南相馬市、相馬市での活動を終え、

先生方と別れ自分が向かったのは。


浪江町の請戸小、震災の遺構。

震災遺構 請戸小学校

こちらは学校関係者が全員無事に避難できた

と言われる小学校。


それでも建物を目の前にすると、

胸をグッと掴まれるような

苦しい痛みを覚えます。

*自分は当時は千葉に居て、立てない揺れを感じた後、

テレビで家屋などが流される映像を見て、

現実に起きてる事なの?と

ショックを受けたくらいなんですが。

大人 300円(250円)

高校生 200円(150円)

小・中学生 100円(50円)

()内 20人以上の団体



一階部分は津波に飲み込まれたとの事。

濃い青の看板がそのライン。

一階の教室には天井や壁のものが散乱。

海水に浸かって経年劣化もしてるので

落下物もかなり朽ちてます。


見学路の天井は物が落ちてこない様に

網が張られています。



津波で廊下との壁はほぼ流された跡。

(廊下にも机や椅子が

たくさん散乱していたそうです。)


残っている壁から、波の流れてきた方向が分かる

曲がり方。


放送室



職員室


コンクリート以外は流されて歪み。。。



校庭には遊具など、あったんだろうか…



津波で曲がった水道。






ストーブの排気口かな?

場所によってはぐにゃりと曲がって。

漂流物による物なのか

津波の威力かは分かりません。


奥に倒れているのが

校長室の金庫。

震災後、アスファルトの間から芽吹いた桜。

奪う自然の力もあれば、

生まれる自然の力も有る…


小学校の裏手には

震災の崩れた構造物が集められてる?


調理室。

手前から奥に向かって津波は流れ込み、

置いてあった器具は奥に流されてました。

流された物が積み上げられた側。

自然によって人工物は

押し流され…


凸凹の道路を寒い中避難したという。

小学校から大平山へ避難したそう。


夢や希望の溢れる時期に、

死ぬかもしれないと感じたと思うと、

胸が苦しくなる。

車椅子の生徒もいたそうですが、

皆で助け合って、

全員無事に避難できた事は幸いでしたが…





卒業式に向けて準備をしていた時期との事。

曲がった体育館の床と、

卒業証書授与式の垂れ幕のアンバランスが、

切ない。

この階段部分は完全に津波を被ったそうです。

踊り場のところに津波がここまで来た、

という看板が。

津波前。

津波の後。

曲がった校庭の時計


どちらも読むとどうしようもない、

非力な自分に打ちのめされそう。


どこに、誰の家が、何があったかを

関係者で再現したジオラマ。


この高台?には登れません。

多くの生徒がここから海を眺めたり、

自分の家を見つけたり、

楽しんでいたのかな。


綺麗な海だよね、

と友人と語り合うこともあっただろうな。

プールがあった所。

地震の後、避難しようとした時、

プールから水が溢れていたそうです。

プールの手すりもぐにゃりと曲がっていたとか。

あの時の光景を写真で見ただけでは、

不思議としか思えない。。


その後、請戸地区のお祭りの場所、

苕野神社へ。

小学校の前の通りを北に向かい、

交差点を過ぎると右手に入る道があり、

50mくらい進むと左手に神社の跡。

跡、ですが綺麗に整備されてます。

切ないだろうな。。。

鳥居も狛犬も石塔も

みんな流されてしまった。。

本殿跡に祠

本殿から参道に振り返った風景。

四角い枠は拝殿の基礎。


この地域の漁業の安全、豊作祈願のお祭り、

あんば祭りが再開されたとか。


津波の悲劇は忘れても、

その教訓は後世に残さないとダメですね。