術後 | 精巣腫瘍治療記+α

精巣腫瘍治療記+α

2009年末、21歳で精巣腫瘍に罹患。一度は転移なしとなったものの翌年再発し5月から化学療法。患者であると同時に薬学生でもあるので、患者側と医療側双方の視点でこの病気と向き合っていければと思います。また自分の病気とは関係ない勉強、研究、趣味の話もちらほら。

手術から5日が経過して、やっとPCを開く気になれました。
手術前にコメントやメッセージをくださった皆様、ありがとうございました。

手術から今までを振り返ってみる。


8/19(手術日)
その日2番目の手術で、時間はお昼過ぎ、13時~15時くらいだろうと言われていました。
手術室へは浴衣のような病衣を着て、弾性ストッキングというものを履いて行くんですが、
朝の時点で素肌にその病衣だけは着ておけという指示。
術中や術後に使う点滴のラインも朝のうちに確保し、輸液を流していました。
ご飯も何も口にできないので(危うく水をごく自然に飲みそうになること数回・笑)、
基本的にはヒマで、マンガ読んだりネットサーフィンしたり、あとは寝て過ごしました。
術後はPCいじったりなんてまず出来ないだろうけど、少し操作する位なら出来るだろうと思ったので
今のうちにとニコ動で奥華子の作業用動画をDLしておいたり(結局聞けなかったけど)。
昨年の手術の時もそうだったけど、手術する前はある程度緊張はするんだけど、
そのうち緊張するのにくたびれて、手術するときにはケロッとしているんですよね(笑)
あとはやっぱり、今回は2回目の手術っていうのも精神的には大きかったと思う。

14時少し前にお呼びがかかりました。
下に履いていたジャージや下着を脱ぎ、弾性ストッキングを履き、
それ以外は何も身につけるなということなので眼鏡とリストバンドを外し。
昨年の手術ではストレッチャーに乗って手術室まで行ったのだけど、今回は自分で歩いて行きました。
いつもは職員以外は入れない病棟の隅のエレベーターから4階に下り、
エレベーターから降りて2番目の自動ドアから中に入り、
手術室の待合のような場所で看護師さんの挨拶や簡単な確認を受け、
そこからさらに奥の、手術室が5つ連なっている廊下を直進して一番奥の手術室に入りました。
手術台(狭い)に乗り、枕を調節したり腕を乗せる補助の台をセットし、
手術中の様子をモニターするための血圧計と血中酸素濃度を測るやつを取り付け。
その後すぐ、手術室に入ってたぶん5分とかそれくらいで、最初の硬膜外麻酔の準備でした。
右側臥位になり、脚を抱え込むようにして体を丸めます。
麻酔科医が背骨を触って何やらチェックした後、最初に局所麻酔を打ちます。
これは次の硬膜外麻酔の針を入れるための麻酔で、痛いのはこの時だけ。
次に(感覚が無いから分からないけど)椎骨と椎骨の間に針を入れ、ある程度の深さにまで達せさせ、
管を留置して針を抜いて硬膜外麻酔の準備は完了です。
昨年の手術ではこの針が少し深く入りすぎたためか背中に何とも言えない違和感が走ったのですが、
今回はそんなこともなく、結局手術中はこれといって痛さや不快感を感じることはありませんでした。
この管を入れ終わり仰向けに戻ると、すぐ全身麻酔に行きますよと言われ不意を突かれた感じに(笑)
麻酔は腕に入れた点滴から入れられたのだと思います。
「ハイこれから薬入れますよ」と言われてすぐに意識が朦朧としはじめ、ちょっと抵抗したのだけど、
ものの2~3秒で眠りに入って行きました。

この日の記憶はほぼここまでしかありません。
多くの方から聞いた通り、意識が無くなった直後に手術が終わっていた、
というか翌日になっていたという感じ。
術前の説明によれば手術室で覚醒した所を確認してから病室に戻ったはずなのだけど、曖昧。
病室で父親の顔を見た気もするのだけど、その記憶も曖昧。
翌日も、朝は朦朧としていた気がします。
術前の説明では手術時間は4~5時間とのことだったんですが、手術は21時頃までかかったようです。
手術室に入ったのが14:10ころ、それから30分程度で全身麻酔で意識を失ったように思うので、
6時間くらいは手術にかかったんじゃないかな。
まあ手術時間が長くなるのはままあることだと思いますが^^;


8/20
後で、看護師さん皆さんに「あの日は死んでたよねー」と言われた日(笑)
病室は、術前の病室とは違う、スタッフステーションに近い部屋に移されていました。
この日は、痛かったのと、もしかしたら麻酔がまだ残っていた(?)のとで、ボーっとしていました。
格好は、病衣は前日と同じ浴衣のような病衣。腹部には傷の痛みを和らげる腹帯。
下着はオムツの上に、T字帯というフンドシのようなものをつけていました。
(下腹部に傷や管があり普通の下着はそれを圧迫するので着けられないのです。T字帯は今も使用。)
脚には血流促進(血栓防止)の弾性ストッキングと、圧迫を繰り返す機械。
背中には硬膜外麻酔の管をそのまま留置し、そこに麻酔を持続的に入れるボトルが繋がります。
腹部の傷の脇にはドレーンという管がつき、腹部で出る余分な分泌物を体外に排出します。
しばらくは歩けず自分でトイレに行けないため、尿を出すための尿道カテーテルが入っていました。
また酸素マスクも取り付けられ、呼吸を助けていました。
(感覚としては無くても大丈夫と思ったけど、外して暫くすると血中酸素濃度が下がっていたので、
実はこの日の朝の時点では結構麻酔が残っていて呼吸を抑制していたのかもしれません。)

午前中は痰が結構出て、でも歩くことはおろか上体を起こすだけでもきついので、
小さな容器に吐いたり、ティッシュを枕元においてそこに出したり。
飲水許可も出たのだけど、あまり飲む気にならず。
ベッドの上で下半身洗浄されるという辱めも受けましたw

多分夕方ころだと思いますが(食事もできなかったので時間の感覚が無い)、最初の歩行をしました。
両側から看護師さんに支えてもらって、病室の外まで1歩ずつ、ふらふらと。
何とか病室の外までたどり着きますが、疲れてぐったりでした。
傷が痛かったというわけではないんだけどね。何でだろう。うまく歩けなかった。
外に出たところで、車いすに乗って元の病室に戻りました。

この日は痛みで寝返りも打てない状態だったのですが、あまり長い間同じ姿勢で寝ていると
背中や臀部が痛くなりついには床ずれになってしまうので、無理やりにでも動かなければなりません。
背中に大きなクッションを入れて体の向きを変えますが、傷が痛みうまくいかず。
夜から翌日にかけては1時間に1回くらい眠りから覚めましたが、その度にベッドの柵をつかんで、
無理やり体を横向きにして背中を浮かせていました。でも30秒もせずに力尽きる。
この時は背中痛かったなあ…。


8/21
この日には痛みは大分マシに。
歩行も、まだ覚束ないものの、歩いた後へとへと、という状態ではなくなりました。
(とはいえ術前の説明では翌日には離床できるとのことだったので、これでも遅いくらいと思います)
尿カテをまだ入れていたのですが膀胱に尿が溜まっている感覚があって、
看護師さん「それは尿カテが膀胱を刺激しているからですね」→ボルタレン(座薬)投与。
しかし一向に良くならず、エコーで下腹部を見てみたら本当に尿が膀胱に溜まっていることが判明。
導尿(ピストンみたいなので吸い出す)したら900mLも出てきました(!)。
こんなこともあり尿カテは嫌になって、歩行もできていたので昼前に尿カテは抜いてもらいました。
一緒に背中の痛みどめの管も抜いてもらいました。

この日の昼から食事が解禁!
最初は五分粥からスタートです。
おかずも付いていたのだけど、この日はお粥を半分食べたくらいで終了。
消化管を切ったりした手術ではないのだけど、リンパ節は割と背側にあるので、
そこにたどり着くために腸とかを押しのけたりしているのでお腹の調子はあまり良くないのです。
ただ、曲がりなりにも食事ができたということで点滴の必要なしとされ、これも外れました。
これで身体についている管はドレーンだけに。
点滴が無くなったことでここから痛み止めを投与することはできなくなったので、
内服薬で痛み止めとしてボルタレン、および胃を保護するためのサイトテックが処方されました。
主治医には頓服的に飲んでいいよ、と言われているけど、今の処は処方通り毎食後飲んでいます。


8/22~23
特段書くことはないのだけど(えー)、ちゃんと回復は感じられました。
痛みも小さくなっていたし、歩いて売店や院内図書館にも行けたし、食事量も増えた。
ただとはいえ出来ることはまだ少ないので、時間が経つのが長くて長くて、退屈な日という印象。


8/24(今日)については、ワケあって次のエントリに譲ることとします。