守破離 | 精巣腫瘍治療記+α

精巣腫瘍治療記+α

2009年末、21歳で精巣腫瘍に罹患。一度は転移なしとなったものの翌年再発し5月から化学療法。患者であると同時に薬学生でもあるので、患者側と医療側双方の視点でこの病気と向き合っていければと思います。また自分の病気とは関係ない勉強、研究、趣味の話もちらほら。

中学の恩師が教えてくれたたくさんの言葉の中に、「守破離」というものがあります。
剣道とか柔道のような、日本の武術の世界で使われてきた言葉らしい。
新しく技を究める際の心構えを示したもので、曰く、

まずは「守」、師に技を習い、それを模倣する。
つぎに「破」、体得した技の省ける所は省き、加えるべき所は新しく加え自分なりにアレンジする。
そして「離」、学んだ技を捨て去って、全く新しい技の体系を自分で作り出す。

言葉にしてしまうと簡単ですが、これはきっと、
数十年とかあるいは一生という時間的なスパンを見据えたものなのだと思います。
その道に一生を捧げると決意して始めてできること。
「守」「破」「離」のプロセスそれぞれが、
その道への高度な理解なしには到達し得ないものだと思います。


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今日から自分は研究室が始まりました。
研究テーマや所属のグループもだいたい決まり、いよいよといった感じです。
かと言っていきなりスタートダッシュでガンガンやる感じではなくて、
まずは自分の専攻分野の勉強から始めなきゃいけないのでしばらくは座学メインですが、
この研究というものが自分の一生の「道」になるかもしれないのだと思うと、
静かながらに身の引き締まる思いです。

「守破離」に話を戻すと。
自分は、そんなことやっても無意味だ、とか思うことにはとことん否定的になる傾向があって、
「守」をすっ飛ばして「破」「離」に急いで進みたがるきらいがあります。
それでも今までは単なる勉強というある程度勝手を知っている土俵の上だったから良かったんですが、
研究はそれとはまた違った今の自分には全く未知の世界。
もちろん、本質的に頭を使わなければ生きていけない世界なので、
一瞬一瞬いま自分が何をやっているのか、もっと効率的にすることはできないか、…などなど、
頭をフル回転させながらやっていかなければならない側面もあるとは思います。
だけど、その一方で、先輩や先生から言われたことを、まずは丸呑みして、
愚直なまでに言われたとおりにやろうという姿勢も持っておくべきなんじゃないか。
これは無意味だとかこうやった方がより効率的だとか考える前に、まずは体を動かして、
方法に文句つけたり改善するのはもっと後でもいいんじゃないか。
頭よりも先に手が動いている、そんな所も必要なんじゃないかって思います。

「守」がなければ「破」も「離」もない。

世の中、言葉や理屈だけじゃ説明できないようなことがきっとあるはずだし、
それを体験できるのは今しかないと思います。
いちいち理屈をつけて何かを体験するのを拒んでしまっては、
せっかくの今だけの機会を逸してしまうから、まずは何でも体験しておきたい。
言葉や理屈は、そのあとでよいと思っています。
正論を掲げて斜に構えてみたところで、到達点は目に見えている。


初心を忘れずに頑張っていきたいものです。