久しぶりにブログを書きます!
たくさん書きたいことがあるので、小出しにしていきます!
自分自身として、大学体育会学生のキャリア教育事業に本腰を入れて取組んでいるのですが、前期だけで1000名を超える体育会学生と向き合っている中で思うことがあります。
一人一人全員価値観が違うのに、『体育会』という括りでまとめられることで、個性が見えなくなってしまっている、そんなことを感じたりします。
『体育会』だから気合いがある、やりきれる、ストレス耐性が強い、等々。
いやいや、そんなシンプルなものではない。みんなそれぞれに違いがある!ということについてです。
世の中的には複雑な事象をきれいに整理できることで満足感が得られるということもあるのですが、こと、人、に関しては明確に、各々に違いがあるのだと感じています。
むしろ違い、がより見えてくるということが、人がスポーツをやる一つの理由なのではないでしょうか。
社会側がスポーツをシンプルに整理してまとめようとすることで、アスリート側も自らを特徴ある個として認識する考えが弱くなり、極端な話、アスリートは何かこうあらなければならない、という固定概念に縛り付けられているような感覚にすらなります。
スポーツと本気で向き合うということがどういうことか、それはもちろん競技として成果を出すという観点もあるのだとは思うのですが、それ以上に自分らしさを追求する、というためにあるのではないでしょうか。
自分らしさに気づき、周囲との関係性において、いかに貢献し、いかに支えてもらい、組織として、個人として価値創造をしていくのか。
これに尽きるのではないかと思っています。
違いがあるから面白い。
一方で勝ち負けという分かりやすい指標に対して皆が想いを一つにできる、ということもまたスポーツがシンプルに人を惹きつける要素なのでしょう。
本質的にスポーツというものは多様性の中に成り立っているものの、成果という観点では分かりやすい勝ち負け、得点等の指標があり、そういった計測可能なもので評価をするという特性によって、本来のスポーツの持つ魅力である多様性、に目が向きづらくなっている側面があると思っています。
スポーツにおいて競技で定量的な結果さえ出していれば評価される。半分正しくて、半分そうではないと自分は思っています。
定量的に結果を出せる選手を否定しているわけではなく、結果だけでは続かない世界があると感じているのです。
見た目だけが綺麗なモデルは見た目が悪くなると社会から価値を認められなくなってしまうかもしれません。
愛想が悪いが、腕だけは一流なシェフのお店は、味が悪くなったら客は離れていくかもしれません。
誰よりもホームランを打てるが、他のことは何もしないバッターは、ホームランが打てなくなると解雇されてしまうかもしれません。
結果は大切だと思います。
スポーツは結果が全て、という言葉すらあります。
しかし自分はそれだけではないと信じています。
結果を出さないという意味ではありません。
誰よりも結果にこだわりたいと思っています。
一方で結果が出ても、他の何かを犠牲にしてしまっているとしたらその結果は自分の求めている結果ではありません。
スポーツの世界において分かりやすさが指標になってしまっている反動について自分は考えたいと思っています。
スポーツ選手の覚醒剤の問題も、もしかするとそこと切り離せないのではないでしょうか。
結果を出せば、何でも許される、そんなことはないのです。
もっともっとスポーツの評価指標は多様でもいいのではないでしょうか。
いやむしろ実際は多様なのです。
勝てなくても頑張り続けるチームを、頑張り続けることに共感したファンは応援し続けてくれるでしょう。
勝利は貪欲に目指すのですが、決してラフプレーをしないポリシーを持ったチームを、フェアプレー精神が大切だと思うファンの方は応援し続けてくれるでしょう。
目先のファンの数に一喜一憂するのではなく、どういったファンの人にどんな価値を届けたいのか、という点にこだわりを持ち続けることが一つには大切なのだと思っています。
勝っているチームを応援したいファンに応援されたいのであれば、勝ち続けることしかないのです。
勝負の世界、勝ちにこだわり続けるのは当然のことです。
その中でも勝ち続けられるチームはほぼないでしょう。
勝つときもあれば、対策をする相手に負けるときもある。
負けていいということではなくて、負けてしまうときがある。
そんなときでも価値を与えられる存在を自分たちは目指していきたいと考えています。
勝ち続けないと生きていけない、そんな世界は戦争と同じになってしまいます。
スポーツの価値はもっと多様なところにあるはず。
AKBは総選挙で1人以外は全員負けます。
それでも応援され続けるのは、彼女達が1位に向かって、自分らしさに磨きをかけ続けるところにあるのだと思います。キーワードは自分らしさ、にあるのではないでしょうか。
普遍の価値としては頑張り続ける、何か変えようと努力し続けること、だったりするのかもしれませんね。
もちろん他にも色々な価値があると思います。
そういった価値に目を向けて、評価軸を広く持つことで、もっともっとスポーツを通じて人や世の中が豊かになっていくのではないでしょうか。
スポーツで結果にだけこだわり続ける選手がもちろんいても良いと思います。
むしろ今はそれが唯一の評価基準に近いかと思います。
一方で結果とともに観客を楽しませることに大いに力を割く選手がいても良いと思います。
周囲に思いやりを持って、たとえ自分がピッチにたてなくても、ともに闘ってきた仲間に対してベンチから、心からのエールを送る選手がいても良いと思います。
そういった幅を受容する組織があったら面白いですよね。
その価値観をよりたくさんの人に共感してもらいたいと思うのであれば、相手の評価軸にも踏み入っていく必要があるのかもしれません。
冒頭に話を戻すと、スポーツを通じて、組織の中で個人のあり方と全力で向き合うことは、自分らしさを理解するとても良い一つの経験なのだと考えています。
個人として自分らしさに気づくこと、とても大切だなと思っています。
そしてまた組織として様々な価値観の中で、何を大切にしていく組織でありたいのか、そこも本当に大切な観点だと考えています。
自分の価値観をしっかりと捉えて、スポーツの価値を広く捉えていける人間で自分はありたいと思います。
皆さんはスポーツのどんな価値に魅了されていますか??
たくさん書きたいことがあるので、小出しにしていきます!
自分自身として、大学体育会学生のキャリア教育事業に本腰を入れて取組んでいるのですが、前期だけで1000名を超える体育会学生と向き合っている中で思うことがあります。
一人一人全員価値観が違うのに、『体育会』という括りでまとめられることで、個性が見えなくなってしまっている、そんなことを感じたりします。
『体育会』だから気合いがある、やりきれる、ストレス耐性が強い、等々。
いやいや、そんなシンプルなものではない。みんなそれぞれに違いがある!ということについてです。
世の中的には複雑な事象をきれいに整理できることで満足感が得られるということもあるのですが、こと、人、に関しては明確に、各々に違いがあるのだと感じています。
むしろ違い、がより見えてくるということが、人がスポーツをやる一つの理由なのではないでしょうか。
社会側がスポーツをシンプルに整理してまとめようとすることで、アスリート側も自らを特徴ある個として認識する考えが弱くなり、極端な話、アスリートは何かこうあらなければならない、という固定概念に縛り付けられているような感覚にすらなります。
スポーツと本気で向き合うということがどういうことか、それはもちろん競技として成果を出すという観点もあるのだとは思うのですが、それ以上に自分らしさを追求する、というためにあるのではないでしょうか。
自分らしさに気づき、周囲との関係性において、いかに貢献し、いかに支えてもらい、組織として、個人として価値創造をしていくのか。
これに尽きるのではないかと思っています。
違いがあるから面白い。
一方で勝ち負けという分かりやすい指標に対して皆が想いを一つにできる、ということもまたスポーツがシンプルに人を惹きつける要素なのでしょう。
本質的にスポーツというものは多様性の中に成り立っているものの、成果という観点では分かりやすい勝ち負け、得点等の指標があり、そういった計測可能なもので評価をするという特性によって、本来のスポーツの持つ魅力である多様性、に目が向きづらくなっている側面があると思っています。
スポーツにおいて競技で定量的な結果さえ出していれば評価される。半分正しくて、半分そうではないと自分は思っています。
定量的に結果を出せる選手を否定しているわけではなく、結果だけでは続かない世界があると感じているのです。
見た目だけが綺麗なモデルは見た目が悪くなると社会から価値を認められなくなってしまうかもしれません。
愛想が悪いが、腕だけは一流なシェフのお店は、味が悪くなったら客は離れていくかもしれません。
誰よりもホームランを打てるが、他のことは何もしないバッターは、ホームランが打てなくなると解雇されてしまうかもしれません。
結果は大切だと思います。
スポーツは結果が全て、という言葉すらあります。
しかし自分はそれだけではないと信じています。
結果を出さないという意味ではありません。
誰よりも結果にこだわりたいと思っています。
一方で結果が出ても、他の何かを犠牲にしてしまっているとしたらその結果は自分の求めている結果ではありません。
スポーツの世界において分かりやすさが指標になってしまっている反動について自分は考えたいと思っています。
スポーツ選手の覚醒剤の問題も、もしかするとそこと切り離せないのではないでしょうか。
結果を出せば、何でも許される、そんなことはないのです。
もっともっとスポーツの評価指標は多様でもいいのではないでしょうか。
いやむしろ実際は多様なのです。
勝てなくても頑張り続けるチームを、頑張り続けることに共感したファンは応援し続けてくれるでしょう。
勝利は貪欲に目指すのですが、決してラフプレーをしないポリシーを持ったチームを、フェアプレー精神が大切だと思うファンの方は応援し続けてくれるでしょう。
目先のファンの数に一喜一憂するのではなく、どういったファンの人にどんな価値を届けたいのか、という点にこだわりを持ち続けることが一つには大切なのだと思っています。
勝っているチームを応援したいファンに応援されたいのであれば、勝ち続けることしかないのです。
勝負の世界、勝ちにこだわり続けるのは当然のことです。
その中でも勝ち続けられるチームはほぼないでしょう。
勝つときもあれば、対策をする相手に負けるときもある。
負けていいということではなくて、負けてしまうときがある。
そんなときでも価値を与えられる存在を自分たちは目指していきたいと考えています。
勝ち続けないと生きていけない、そんな世界は戦争と同じになってしまいます。
スポーツの価値はもっと多様なところにあるはず。
AKBは総選挙で1人以外は全員負けます。
それでも応援され続けるのは、彼女達が1位に向かって、自分らしさに磨きをかけ続けるところにあるのだと思います。キーワードは自分らしさ、にあるのではないでしょうか。
普遍の価値としては頑張り続ける、何か変えようと努力し続けること、だったりするのかもしれませんね。
もちろん他にも色々な価値があると思います。
そういった価値に目を向けて、評価軸を広く持つことで、もっともっとスポーツを通じて人や世の中が豊かになっていくのではないでしょうか。
スポーツで結果にだけこだわり続ける選手がもちろんいても良いと思います。
むしろ今はそれが唯一の評価基準に近いかと思います。
一方で結果とともに観客を楽しませることに大いに力を割く選手がいても良いと思います。
周囲に思いやりを持って、たとえ自分がピッチにたてなくても、ともに闘ってきた仲間に対してベンチから、心からのエールを送る選手がいても良いと思います。
そういった幅を受容する組織があったら面白いですよね。
その価値観をよりたくさんの人に共感してもらいたいと思うのであれば、相手の評価軸にも踏み入っていく必要があるのかもしれません。
冒頭に話を戻すと、スポーツを通じて、組織の中で個人のあり方と全力で向き合うことは、自分らしさを理解するとても良い一つの経験なのだと考えています。
個人として自分らしさに気づくこと、とても大切だなと思っています。
そしてまた組織として様々な価値観の中で、何を大切にしていく組織でありたいのか、そこも本当に大切な観点だと考えています。
自分の価値観をしっかりと捉えて、スポーツの価値を広く捉えていける人間で自分はありたいと思います。
皆さんはスポーツのどんな価値に魅了されていますか??