先日行った宝徳稲荷大社について久し振りに考えていました。
宝徳稲荷大社に行った話はこちらから。
宝徳稲荷大社は越路のお稲荷さんと言われていますが、その実態については不明な部分が多いです。
元来、お稲荷さんを苦手としている私が入れると言うことも不思議なんです。
私は、特に仏教系のお稲荷さんが苦手で、赤坂にある豊川稲荷の東京別院では奥の院には入れませんでした。
行ったことはないですが、伏見稲荷大社からはそういう感じを受けません。
と言っても、行ったらまた変わるのかもしれませんけど。
元々稲荷信仰というのは、2系統あると言われています。
一つは、五穀豊穣を祈り、稲作や農業を守る宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)。
こちらは、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)や保食神(うけもちのかみ)とも言われます。
これらの総本山が京都にある伏見稲荷大社ですね。
もう一方が、インドから入って来た荼吉尼天(だきにてん)の系統です。
荼吉尼天は仏教の神ですが、日本に入ったのち稲荷信仰や人頭蛇身の弁財天などと習合して広がっていきました。
明治の神仏分離令により神社と寺社が分かれさせられて、伏見稲荷は神社に豊川稲荷は寺社になりましたが、元々はどちらも神社であり寺でもあった訳です。
さて、話を元に戻すと、私が感じる部分はここら辺にあるのかなと思います。
そして、毎年暁之神事で感じる宝徳稲荷大神の雰囲気と、今年初めてお詣りさせていただいた御神木脇の祠で感じたものには大きな違いがありました。
本当に大切なのはあそこなのではないかなとさえ思えました。
いずれ、もう一度伺ってみなければ、と心に固く誓いました。
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