PJのブログ

PJのブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!
バッハの時代には即興演奏が盛んだったときくが、実際に
楽譜にその都度、自由な装飾を加えて再現する事は器楽、鍵盤には常識だったらしい。

だが、バッハの楽譜にはいかにも装飾待ちをしている他の作曲家に比べ細かい所まで綿密に記されている。
そこで、今日の演奏者達はバッハの音楽を即興の対極にとらえて、楽譜に忠実に
あろうとする傾向があるが、この楽譜に忠実という考えは十九世紀のロマン主義的演奏に対して二十世紀が行ってきた自己主張であるように見え、それが行き過ぎる事により
バッハの音楽をつまらなくさせているように思う。

バッハは、演奏における即興の意識が高かった時代に、綿密な譜面を書いた。
しかし、それは即興の精神を捨てろという事ではなく、むしろそれを前提として密度の高いコントロールを与えるという事である。

なにしろ、バッハ自身が即興の大家であり、即興を通して生み出される音楽は楽譜を通して知られるものよりすぐれていたという。

彼は、机に向かい楽譜を書くときでも、即興の精神を燃え上がらせたに違いない。

『先が見えないもの』

即興が盛んに行われ、同一作品の反復が好まれなかった当時においては

『次に何がおこるか』

という期待が、聴き手の心には強かったはずである。
これは、時間芸術である音楽において大切な要素なのであるが、
ロマン派の時代に作曲家と演奏者が分離して演奏が受動的になるにつれて
しだいに失われていっているように思えてならない。

ジャズは、たえず新たな期待と興奮を我々に与えてくれる。
しかし、本来はクラシックこそ、そこに戻らなくてはならないと感じる。

先日、自身のバンドでも、完全に即興演奏でのライブを行った。
内容は賛否両論だと思うが、その時に作られた音楽の中には
『リアル』があったであろう。

これだけ情報の溢れている世の中でいったい誰が、
先の読めるものに興奮できるだろう。

イブの日に聴いたグレングールドに思いを寄せながら
今日のブログを閉じようと思う。