昨晩子供たちがスカイプで、僕はもう寝た後に母親と話していて、
なんかやっぱりパパに感謝してるみたいなこと言ったそうだ。(#⌒∇⌒#)ゞ
世の中そういう、実は感謝しているとか、嬉しいとかいう話や、
ちょっとした努力が実って嬉しいとか、一見、臭そうとうか、
感動秘話に作り上げてるような話というものはたくさんある。
しかし最近は、年取ったせいか、いろんな人の言葉や
努力をしている人を見たり、ちょっとした家内の言葉、
子供にもなんとなく感動したり、ジーンとしてしまうこと
がよくある。
アホだと思っていた干物女が、実はいろんな事を考えていたり、
がんばっているのをみて、嬉しいことも多々ある。
もちろん、outside でがんばり、inside では使い物にならない
くらいにだらしなくなるから干物女なのであるが、
それはそれで、良いのだと思えてしまうのだ。
ひとぞれぞれ、がんばりどころが違うし、
役割があるし、意外な能力を持っていたりするからだ。
干物女は、音感が鋭く、語学においても、
聞き取りがとてもよく、訛りにも良く対応する。
かといって、東北弁や鹿児島弁、沖縄弁は聞けないが。
実は子供の教育に目一杯以上の努力をしてきたつもりだが、
ちょっとやり過ぎか、ちょっとこれは甘やかしすぎたなど
と考えた事も度々あった。
しかし子供たちのゆったりとしているというか、
堂々としているというか、せせこましさのない姿と、
グローバル化したというか、
ボーダレスに付き合いをする能力の獲得、
そして何よりもとてもすがすがしく
勉強に励んでいるスポーツに励んでいる姿を見ると、
何とも嬉しいものだ。
日本では部活動と言うカリキュラムが
授業の中に入ったそうだが、それもおかしな話だ。
そしてそれが点数化されて成績になり、
中学の場合には、高校への内心点に関係するとも聞いた。
こんなバカな話があるか!!
そもそも部活動というのは、自分がどんなものが好きか、
運動が好きなのか文芸が好きなのか、
好きなことを授業とか勉強以外の時間を使って、
あくまで楽しみ、それから何かを獲得できればいい
というところが原点なのではないか?
もちろん、それで目標を見つけたっていいが。
僕の世代はとても楽しく部活動やったというか
大汗かいて無駄なことをやっている青春が
バカみたいで楽しかった思い出がある。
そういうものは、ちょっとした違反や悪い事や
先生に内緒のことも含まれていたりもするし、
カリキュラムに入れて学校で先生が管理した方向
に持ってったら、面白くもなんともなくなって
しまうのではないだろうか。
そういう事情があるから、僕の医院にも、
ケガしていてもスポーツをやらせたがったり、
疲労骨折するまで運動させたり、とんでもない親、
コーチが子供の背景にいる!!
一方、イギリスの Boarding schoolに行っている
息子たちを見ていると、季節ごとに授業でやる
スポーツというのはあるのだが、適当にやってるというか、
草野球を楽しむような感じで、とても楽しんではいるが、
その中で、チームワーク能力や、リーダーシップ能力、
アピール能力などをちゃんとみて、生徒の特性を
見抜いて評価していることに驚く。
そして、能力のある子には、プログラムが用意されていて
ピックアップされて本物のプロになっていく
チャンスが与えられたりして、常に若い時から、
その人の特性を伸ばそうという文化がある。
だれもが同じように同じ事ができるという事は、
全く考えていないし、そう思うことがおかしいと言われた。
音楽や演劇に際しても同じで、才能があると思われる子は、
プロがコーチをすることが提案される。
中学生のだんかいでだよ!!
もちろん、プロを排出するには小学校時代から
そういう目で子供をみていないと抜擢はできないのだろう。
予算や、お国柄や、文化的な背景の問題も大きいが、
クリケット、乗馬、サッカー、ダイビングなど幅広いことをやるし、
森の中でキャンプやアウトドア・サバイバルなどを
やったりと、なんかとっても冒険的な行事もあり、
なんとなく写真などを見ると、スタンドバイミーの世界を、
思い起こしてしまうような楽しさが感じ取れる。
そんな生活をしてる長男と次男、今度、友達の家によってから、
日本にかえったら?と誘われたそうだ。
ところが、片やウクライナ、片やオークランド !
ちょっと渋谷に寄ってくる札幌に行くとちょっと訳が違う
というか、ちょっとボーダレスなりすぎなんじゃないか?
我が家のITツアーコンダクターとなっている僕は別に
そういったことを要求されればそういう手配は
全然苦ではないし、案外向こうの交通費は
安かったりするので別にどうということはない。
それを贅沢だからやめろとか言うのもなんだが、
ちょっとウクライナ寄ってから日本に帰っるってのは、
余りに思いつかないレベルのことだったので、
ちょっと焦ったが、考えてみれば、
どうということはないな・・・
家に来るイギリス人の英語教えてくれる先生なんか、
ちょっとキャリアを積むために、地理学で日本の自然が
面白そうだったから、日本を選んで、
そのために何らかの組織を介して生活の糧のことを考えての
ことだとは言え、
割と気軽に国境越えて外国に行くということに抵抗がない。
日本人は海外に行くということはまだ特別で
国境越えて言葉の通じないところに行くという壁がある。
もちろん語学に堪能で年がら年中意識している人も
いればビジネスマンなどはそんなこと言ってられないから
関係ないだろうが、
個人で、地元の集団の中に溶け込んで行くには、
やはり言葉の壁がないというのは全然意識が
違うんだなぁということを実感している。
共通の communication tool は持ちたい物だ。
さっきの日本の天変地異のことを書いた。
古くは、小松左京の日本沈没もあながち嘘ではないし、
経済的にも沈没しそうなこんな国からは、いっそのこと、
どっかの永住権取って、投資をして、
仕事でも見つければ、移り住んでしまいてしまいたい
と思うのは僕だけだろうか。
この後は僕がITツアーコンダクターとなっていった過程
の事を、続きで書こうと思っている。
これは子供を海外に出し、頻繁に行き来して、
地元に入り込んでいった僕の歴史でもある。