8転び七起き、迷える雄羊の四方山話

8転び七起き、迷える雄羊の四方山話

子供三人、バカ犬2匹、干物女1人、
教育、金策、経営、仕事に八回転んで
1回は起き上がれなくなるかもしれない生活の中、
まだ成長中のちょい悪雄羊が、
日々考えたり感じたことを書いていこうと思います。

Amebaでブログを始めよう!
勤務医とは異なり、人並みの盆と正月くらいしか、休みが取れない身分となった今、貴重な時間を過ごしに、山小屋を訪れた。音譜アップ

明日は、ジジババと、息子と娘と合流予定だ!!

子供達はスキーじょを渡り歩き、合流するが、家族でもスキーがしたいそうな、、、
スキー持参できたが、できるかなあ~
まあ、昨年もチョコっとは滑ったし、大丈夫でしょう雪馬

さて、山小屋についたら、寒いのなんの!
なんとオリーブオイル凍結してるのを発見叫び
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photo:02



寒いので、先ずは、楽しみにしてもいる薪ストーブグッド!
赤い鹿皮の薪手袋、これは、イギリスの蚤の市で買った物、安かった!
それと大振りの薪メラメラ
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でもなかなか、安定するまで時間がかかり、結構大変(^▽^;)

昭和時代の香りのする、石油ストーブに、大型のファン付き石油ストーブ登場ビックリマーク
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でも、今のガス化ファンヒーターにはかないませんねえ~
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スピードはねあせる

でもね、一度温まって安定すると、薪ストーブが一番暖かいんですよラブラブ

iPhoneからの投稿
28日の土曜日、友達つながりで、珍しいというか、とかげ
学生の頃多少の付き合いはあったが、親しいわけでもなく、特に波長が合うというわけでもない同級生(^▽^;)[みんな:01]
10人ばかりに招待された格好で、ミニ同窓会と相成った!

学生の頃の懐かしいバカ話しにはなったが、本当に親しかった仲間と1年ちょっと前にあった時のような、和やかな黄色い花
晴れ
気持ちとは違った思いを味わった。

話しは弾むのだが、取り残されているような感じかな
長音記号2
くもり

でも、懐かしいもんだ!
皆、ちゃんとおじさんとおばさんになってた[みんな:02]

iPhoneからの投稿
悶々とした余りさわやかではない今日この頃、
去年は、昔の山仲間にさそわれえ、ちょっと山歩きをしたら
生まれ変わったようなさわやかな感覚が
しばらくよみがえった。


今年は、12月にちょっと、
仲間と山に行ってきた。
学生時分から卒業間もない頃は、3000m級のやまでなければ、
山とは呼ばず、ハードに冬の氷雪の中にでかけていったものだ。


今はもう、そんなことしたら命がけだあ~
てなわけで、昔行ったなつかしい、その山の麓(ふもと)を散策して、
それで十分、です。
でも少しずつ上に行きたいと思いはあるけどねえ・・・・


でも、時間がない!
金曜夕方でて、近くまで行き。


松原湖



初冬の森の中

麓森
紅葉葉っぱ

2000mを超えると、あれま、雪!!

雪登山道

恐竜もいて、

恐竜の木


こんなで、葉っぱに上で食事をしようと思っていたんだけど、
池も凍ってて・・・

氷結みどり池


雪の上で過ごす用意もしてないので、立ち食い。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

でも、気持ちよかったあ・・・

子供たちにも見せてやりたいが、
あいつらはもはやもっとすごいものを既にみているかもしれない。
でも一緒にいってみようと決心はできた!!
しばらくはブログを書く気にもならなかった。
もう半年近くがたち、もうだれも読んでくれないだろうが、まあ、また書いてみよう。
アップダウン


子供達も頑張っている。
僕に気遣いながら頑張っている。 ヾ(@°▽°@)ノ

イェーイbaby


このブログの後は、少しさわやかな話にしよ!!

Twitter でみた言葉
乳児、肌をはなすな。
幼児、肌を話せ、手を離すな。
少年、手を離せ、目を離すな。
青年、目を離せ、心を話すな。
だったかなあ~ 良い言葉だ。
我が息子も娘も、すーっと親からうまく距離を取れるようになり、
まだ、目を離さない状態だ。
眩しいほどに、集中して青春時代(死語か?)
に突入している。
暗さはみじんもない、集中と、積極性と、
前を見るのみの毎日のようだ。


娘はまだ日本の学校で、なんとなく陰湿っぽい毎日だが、
本人は割り切って、今に抜け出す気で前向きになっている。

さて、田んぼにいる
(いや、今は絶滅寸前で、かつて居たと言うべきか)”タガメ” 
という肉食昆虫をご存じだろうか?

5cm程にもなる、かなり気持ちの悪い奴だが、
僕の子供のころにはまだ居た。
自分より大きな蛙などにしがみつき、酵素(多分 Protainase)
を注入して肉を溶かして行きながら養分を吸い取るハンターだ。
吸われた方は、徐々に衰弱して、骨と皮になって絶命する。


かつて日本は、長男が家を継ぎ、見合いで嫁をめとり、家業を継ぐ人たちがたくさん居て、個人の生業を引きついできた。
しかし、高度成長時代を通じてサラリーマンが増え、同時に女性は働くことをやめて家に入り、専業主婦なるものが誕生した。
1960年から70年代に増殖し、進化し、夫を働かせ、自分は養分を吸うタガメとなる。
そうタガメ女とはこういう女のことをいう・・・・
ということを書いた本を読み、なるほどうまいたとえだと感慨を覚えた。
タガメ女に対して、餌になる方の男はカエル男というそうで、意識してかしないでか、吸われる事を良しとし、妻が居て、家庭があって、しっかりとローンを組んでマイホームを持ち、はみ出さず、秩序をみださず、足並みをそろえた幸せを謳歌しているふりをしているということだ。
もちろん、昔から、都会の会社に勤める人たちはそういう形の家庭を築いていたろうが、少数派だったのだろう。


見合いで結婚するという、親や家が決める結婚ではなく、自由に相手を選べるようになった反面、今度は、自分で間違いのない相手を探す羽目になった。
男も女もだ。
そして今、まさに自由な恋愛感情だけでは、育児、教育、生活などを考えると、ますます結婚は難しくなり、未婚率、離婚率は上がる一方だ。



子供達の関係で、様々親を見てきた。
仲は悪いが、タガメ女とカエル男なので、離れることはできない。
子供はそれも見て育つ。
娘の友人には、それをみて、娘にいろいろと報告してくれるらしいが、娘には、余りに我が家の状態と異なるので、理解できないらしい。



まあ、長くなるので、久々のブログは、中途半端にこの辺でやめておく。
というか、キリがないし、書いている家に分からなくなるのが正直なところ・・・

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この国は、確かに明治維新である意味進歩を遂げた。
維新事態は、歴史上希にみる、ほぼ無血の革命
という意味では、注目度が低すぎるくらいだ。


当時、ヨーロッパ列強の植民地政策で、
今では新自然としている彼らが、
欲望をむき出しにして、アラブ諸国から
東南アジアそして中国と進出を果たしてきていた。


清国も各列強国の疎開(租借)地でどんどん奪われ、
イギリスにはアヘンで国内を乱されるなど、
ほぼ滅んだも同然の状態だっただろう。


朝鮮は根本的に中国の属国で、しかも政治が腐敗して、
独立する力は持ち得ず、そこにききを感じた日本が、
欧米と方を並べたつもりで入り込んでいった結果、
欧米にエネルギー経済、人種差別、太平洋の派遣など
が絡み合ってあの大きな戦争となっていった。


とまあ、歴史を少し詳しく、教科書に載っていない
レベルでみるとそういうことあ見えてくる。


そして、大きく日本も変わった。


その間に、日本は伝統医学をすっかりと捨て去り
(というか、日本独自の者はあまりなく、主に中国、
韓国医学などが伝統医学として定着していたのだろう
と思うが)、しかも、それらを復古させたり、守ったり、
温存して役立てることに対して、疎外ともいうべく
扱いをしてきてしまった。


方や、かなり乱れたり滅びそうになったり、
戦場になり支配され、
政治体制が変わったりしても、
中国や韓国では伝統医学は継承された。

中国と韓国では西洋医学と2本立てて、
共同作業をすることはあまりないようだが、
きちんと残っているようだ。


それらは、欧米に逆に伝わり、
欧米の holistic medicine の中に
取り入れられているものもある。


東南アジアやインド(アーユルベーダ)
の事は僕は余り知らないが、いわゆる
Aromatherapy とフランス人化学者? 
René-Maurice Gattefossé が名付けたそうだが、
20世紀初頭には、植物からの製油が治療に使われており、
古くは魔女の魔術・秘薬のような世界に通じるものだったろう。


イギリスやベルギーでは、それらが、
様々なものを取り入れ、洗練され、
系統化されて、holistic medicine
(呼び名は色々でそれぞれ誤解を招くような命名
がされてしまっている)として、国家資格にまでなっている。



一度は学ぼうと思ったが、カレッジあるいは専門学校
(日本と違い専門学校の地位は高い)
に3-4年通わないととても学べるものではない。


漢方薬に関しては、知り合いからレクチャー
をうけつつ学んだが、僕の漢方と称する者は、
所詮日本のエキス剤を使用して治療できる部分
のものでしかなく、本来は、経絡を知り、
鍼灸とペアで成り立つ者なのだ。


一方で保険で使える一応化学的い裏付けを
試みた形のエキス剤という均質な者を考え出したのは、
故 医師会長の竹見太郎が運動をして厚生省に
働きかけたけっかだと聞きかじっている。
このような形で存在しているのは日本だけだが、
薬はある程度残ったものの、
その独特の診断技術が伝承されなかった。



その後、中国語のものを諸先輩が独自に解釈をして、
日本語化したり、弟子に伝えたりしたが、
古典中国語からの解釈の問題などもあり、
諸派乱立でそれぞれに余りに考え方が一貫せず、
混乱を招いているのが現状だ。


きちんと中医の勉強をしたものを受け入れれば、
かたちは少し変わるが、
系統化されたものが医療に反映できると思うのだが。



やせ薬になるだの、尿が近い人にはこれだなど、
中身が古典的な漢方薬の一部の作用を、当てはめたり、
西洋医学の病名で漢方薬を使用する無理をしたりで、
いい加減な使い方が医学界でさえはびこっているのが現状だ。



僕は頭痛の治療の打率、西洋医学のみで60%、
アロマテラピーと漢方を取り入れて70-80%、
理学療法を入れて90% 選手だ。



理学療法の世界もばらばらで問題があるのだが、
この国には自浄作用、自ら変わるという力がない
(民族性)ために、holistic medicine は
このまま確立していかないだろう。


精油 (Essetial oil) は雑貨あつかいのまま、
街やホテルのサロン止まりの ””流行りもの”” でいくのだろう。



傷や火傷の治癒力など、すごいものがあり、
僕は実体験のもと、
時には医療ではないことにして
実際にしようして効果を上げている。


Holistic medicine の施設を立ち上げられたら
おもいしろいだろうにと日々考えているのだった。
8転び七起き、迷える雄羊の四方山話-医

国内と国外とは言っても、海外と海内とは言わないなあ~・・・・

最近は、留学関連のことで、東南アジアからヨーロッパ方面にばかり出かけていて、国内はほとんどめぐっていなかった。

国内は結構高いし、家族では別荘に行くくらいだ。


とはいえ、僕はどうしても出席しなくてはいけない学会があり、個人の休みはほとんどそれに当ててしまうのだが、学会がいいところであれば、それなりに行くことは行くが、ゆっくりと行けるなんて事はないんだなあ~

8転び七起き、迷える雄羊の四方山話


8転び七起き、迷える雄羊の四方山話-おいのぼり


ずいぶん前になるが、最後のマニアックな専門医を取る前には、関連する学会には片っ端から行って、最前線をずっと追いかけた期間があった。

一般演題からセミナーまで全てを、地方にでかけて一日中まじめに聞いて勉強したのだった。
福岡、沖縄(那覇)、札幌なんてところもいったが、専門医試験とは関係ない人は、学会にかこつけて繰り出して楽しんでいたが、その時はいくら場所が良くても、でかけずに勉強していて、イライラしたっけなあ。

$8転び七起き、迷える雄羊の四方山話-飛行機


大体、那覇空港に下りて、ターミナルビルから出た途端に、あの南国の生ぬるい風!! あんな風に当たって勉強なんてできるわきゃない!!
沖縄とか東南アジアとかの人は、年中当たっているとはいえ、偉いなあ~ あんな生ぬる~い風の中で勉強してるなんて!!   な~んて思ったっけ。


$8転び七起き、迷える雄羊の四方山話


でも、シンガポールに渡った時は、そうかと思いきや、あの時は、子供を海外の学校にやることで緊張していたし、学校の先生とも、home stay host 等とも英語だし、緊張していたから、暑いから、年中生ぬるいからなんて思わなかったなあ~



そんな風に思いながら、先日大阪の学会に行った。
1日目、2日目とそれなりに勉強したつもりになって、久々に会った仲間とでかけることになった。

僕はお酒を飲まないので、いつもレンタカーの運転手になることが多い。
今回も、レンタカーで若狭湾まで出かけた。

聞いたら車で3時間と言うことで、昼前に出て、天橋立の西の伊根湾に行った。
写真をみれば、釣りバカ日誌で浜ちゃんが転勤になった舞台にもなったので、ああ!!と思う人もいるかもしれないし、昔 NHK のドラマの舞台にもなったそうだが、それは知らなかった。
江戸時代から昭和の初めまで、現役の漁師達が働いていた、船の車庫みたいな、船着き場が家の中に入り込んでいる建物で有名なところだ。


今でももちろん現役の漁師が仕事をしているのだが、今の船は大きくなって、屋内の船着き場には入らなくなったので、外に停泊との話だった。
とても有名な造り酒屋もあり、本当にフルーティーなワインみたいな日本酒の味見をした。
山の(野の)幸にも、海の幸にも恵まれた場所なのだった。



なんかマッタリとした、おちついたというか、やはり僕が日本人であるが故の原風景と感じるのか、しっとりと心になじむ風景だった。



それと岩牡蛎のシーズンが始まっており、天然物も養殖物もあるそうだが、天然物を味わった。
これまで、東京横浜で食べていた岩牡蛎は、いったい何だったの? っていうくらい、しまっていて濃厚で、思わず目を閉じて、天を仰いでしまうくらいにおいしかったのだ!!
他の魚介もおいしかった。



日本人は味に贅沢な民族だな~
でも、地中海沿岸やアジアでは、そういう新鮮な天然のものを食べている民族はいるのだ。
でも、こういうのは、地元の国じゃないと、なかなか、落ち着いては味わえない感じがした。


ああ~   高級日本旅館の旅がしたい~   かもしれない!!
ヨーロッパに行くくらいかかるだろうなあ~


$8転び七起き、迷える雄羊の四方山話
8転び七起き、迷える雄羊の四方山話-Ange;H


8転び七起き、迷える雄羊の四方山話-Kiev



僕は、子供達、家内、自分の学会と交通機関、宿泊施設の手配をいつもやってきたが、数年前からその規模や、範囲が大きく広がった。


そう、子供がシンガポールに渡った時からだ。
まあ、それまでは、旅行会社や医局秘書に頼んだりしていたが、ネットが発達してからは、自分で手配したりするようになった。


昔は、自腹を切らなくても、旅費が調達できたことが多かったこともあるのだが・・・









それが、シンガポール、マレーシア、インドネシアを、それも急なスケジュールで動くように(僕がではなく家族がだが)なり、もちろん数ヶ月先とかの通常のスケジュールもあったが、明日とか、数日後とかの飛行機を手配したり、同時にホテルを手配するようになったことが、在宅ツアコンの始まりだった。



同時に、home stay host に英語でメールを書いて、迎えを頼んだり、様子を聞いたりすることも増えたし、ホテルの reservation に部屋の変更や、ベットの数などを伝えたりすつこともやるようになっていった。


これに伴い、まずは、航空連合を一つに絞り、ホテルなどを手配するサイトも固定した。
ついでに、マイル、ポイントをためることに快感を覚えるようになったのだ。



季節やキャンペーンなどで、大ホテルが格安でとまれたりするので、シンガポールでは Orchard street 周りのホテルは、10カ所くらいは予約したのでは内科と思うが、そのうち、快適に過ごせる場所がきまり、常連になっていった。
また、中心街からはずれた場末のホテルなども取ったこともあったな。



シンガポールはほとんど、子供の学校関係でいききしていたので、ほとんど観光地には行っていないが、orchard の地下街の怪しいパソコン携帯電話屋のお兄ちゃんとなかよくなって、チップにゲームを300種類入れて S$ 200 でどうだとか、SIM Rock cutter で SIM を改造することも教わった。
SIM Rock free のiPhone を購入し、日本の携帯電話のガラパゴス事情にも詳しくなった。(これはそのうちネタにしようと思う)



それはさておき、シンガポールからは、インドネシアに船の切符を買って、インドネシアのホテルを取り、行き来したこともあったっけ。





子供がイギリスに行き来するようになると、更に業務は過酷になった。

はじめのころは、電車で移動したので、電車・地下鉄の時刻表や路線図、を調べ(リアルタイムの情報はガイドブックにはない)、移動先を換えたために、一日の内にホテルをキャンセルして別のホテルを予約し、家族のiPhone に pdf で Hotel Baucher を送ったり、航空券を変更して、E Ticket も iPhone に送ったな。
その当時まだ iPad はなく、iPhone の画面での予約表やチケットの表示を用いていたのだ。


最近では、3人の家族が、行き来する日付が変わったり、ホテルにチェックイン、チェックアウトする日付がちがったり、泊まる人数が変わったりで、しかも往路と復路の飛行機を合わせ、さらに座席を隣り合わせに指定する。
この作業は、便が込んでいる時は結構焦る!!
席が埋まってしまわないうちに、別々にとった飛行機の席を急いで合わせてとるのだ。


たとえば、一人がイギリスに行く便が、もう一人のイギリスにもどる便だったりすると、往復で買わないと航空券は高いので、往路と復路で飛行機を合わせるのだ!!
結構、複数やっていると時間もかかり、夜中によくやっていた。



一つ前のブログに書いたが、子供がウクライナのキエフの友達のうちに寄って換えるからと、帰国便を変更し、 Wizzair というハンガリーのイギリスの Lutton とかいいう local 空港から、ロシア西部を中心に就航している便を片道:片道でもこれは国内便のような感じで安め、キエフからヒースローには British Air でもどる便をとった。
キエフから日本は KLM の経由便があったが、時間が不自由なのでやめた。



とった E Ticket は pdf で息子のパソコンに送り、息子はそれを iPhone に転送して見せて搭乗するわけだ。

おかげで航空運賃や、ホテル予約のトラベルサイトのポイントは、年に何回かはヨーロッパ往復の特典航空券や、ホテル一泊分の支払いに使えるくらいにたまり、更にポイントマニアとして、いかに特定の場所にポイントを集中させる工夫を凝らことを楽しめた。

これからもまだこれがつづく・・・・
昨晩子供たちがスカイプで、僕はもう寝た後に母親と話していて、
なんかやっぱりパパに感謝してるみたいなこと言ったそうだ。(#⌒∇⌒#)ゞ

世の中そういう、実は感謝しているとか、嬉しいとかいう話や、
ちょっとした努力が実って嬉しいとか、一見、臭そうとうか、
感動秘話に作り上げてるような話というものはたくさんある。
↓(23)

しかし最近は、年取ったせいか、いろんな人の言葉や
努力をしている人を見たり、ちょっとした家内の言葉、
子供にもなんとなく感動したり、ジーンとしてしまうこと
がよくある。ひらめき電球

アホだと思っていた干物女が、実はいろんな事を考えていたり、
がんばっているのをみて、嬉しいことも多々ある。

もちろん、outside でがんばり、inside では使い物にならない
くらいにだらしなくなるから干物女なのであるが、
それはそれで、良いのだと思えてしまうのだ。
ひとぞれぞれ、がんばりどころが違うし、
役割があるし、意外な能力を持っていたりするからだ。ドキドキ

干物女は、音感が鋭く、語学においても、
聞き取りがとてもよく、訛りにも良く対応する。
かといって、東北弁や鹿児島弁、沖縄弁は聞けないが。ぐぅぐぅ



実は子供の教育に目一杯以上の努力をしてきたつもりだが、
ちょっとやり過ぎか、ちょっとこれは甘やかしすぎたなど
と考えた事も度々あった。ガーン


しかし子供たちのゆったりとしているというか、
堂々としているというか、せせこましさのない姿と、
グローバル化したというか、
ボーダレスに付き合いをする能力の獲得、
そして何よりもとてもすがすがしく
勉強に励んでいるスポーツに励んでいる姿を見ると、
何とも嬉しいものだ。!!



日本では部活動と言うカリキュラムが
授業の中に入ったそうだが、それもおかしな話だ。

そしてそれが点数化されて成績になり、
中学の場合には、高校への内心点に関係するとも聞いた。
こんなバカな話があるか!!
ダウン

そもそも部活動というのは、自分がどんなものが好きか、
運動が好きなのか文芸が好きなのか、
好きなことを授業とか勉強以外の時間を使って、
あくまで楽しみ、それから何かを獲得できればいい
というところが原点なのではないか?
もちろん、それで目標を見つけたっていいが。


僕の世代はとても楽しく部活動やったというか
大汗かいて無駄なことをやっている青春が
バカみたいで楽しかった思い出がある。


そういうものは、ちょっとした違反や悪い事や
先生に内緒のことも含まれていたりもするし、
カリキュラムに入れて学校で先生が管理した方向
に持ってったら、面白くもなんともなくなって
しまうのではないだろうか。


そういう事情があるから、僕の医院にも、
ケガしていてもスポーツをやらせたがったり、
疲労骨折するまで運動させたり、とんでもない親、
コーチが子供の背景にいる!!


一方、イギリスの Boarding schoolに行っている
息子たちを見ていると、季節ごとに授業でやる
スポーツというのはあるのだが、適当にやってるというか、
草野球を楽しむような感じで、とても楽しんではいるが、
その中で、チームワーク能力や、リーダーシップ能力、
アピール能力などをちゃんとみて、生徒の特性を
見抜いて評価していることに驚く。


そして、能力のある子には、プログラムが用意されていて
ピックアップされて本物のプロになっていく
チャンスが与えられたりして、常に若い時から、
その人の特性を伸ばそうという文化がある。
だれもが同じように同じ事ができるという事は、
全く考えていないし、そう思うことがおかしいと言われた。

音楽や演劇に際しても同じで、才能があると思われる子は、
プロがコーチをすることが提案される。
中学生のだんかいでだよ!!
もちろん、プロを排出するには小学校時代から
そういう目で子供をみていないと抜擢はできないのだろう。


予算や、お国柄や、文化的な背景の問題も大きいが、
クリケット、乗馬、サッカー、ダイビングなど幅広いことをやるし、
森の中でキャンプやアウトドア・サバイバルなどを
やったりと、なんかとっても冒険的な行事もあり、
なんとなく写真などを見ると、スタンドバイミーの世界を、
思い起こしてしまうような楽しさが感じ取れる。

そんな生活をしてる長男と次男、今度、友達の家によってから、
日本にかえったら?と誘われたそうだ。

ところが、片やウクライナ、片やオークランド !

ちょっと渋谷に寄ってくる札幌に行くとちょっと訳が違う
というか、ちょっとボーダレスなりすぎなんじゃないか?



我が家のITツアーコンダクターとなっている僕は別に
そういったことを要求されればそういう手配は
全然苦ではないし、案外向こうの交通費は
安かったりするので別にどうということはない。


それを贅沢だからやめろとか言うのもなんだが、
ちょっとウクライナ寄ってから日本に帰っるってのは、
余りに思いつかないレベルのことだったので、
ちょっと焦ったが、考えてみれば、
どうということはないな・・・

家に来るイギリス人の英語教えてくれる先生なんか、
ちょっとキャリアを積むために、地理学で日本の自然が
面白そうだったから、日本を選んで、
そのために何らかの組織を介して生活の糧のことを考えての
ことだとは言え、
割と気軽に国境越えて外国に行くということに抵抗がない。


日本人は海外に行くということはまだ特別で
国境越えて言葉の通じないところに行くという壁がある。


もちろん語学に堪能で年がら年中意識している人も
いればビジネスマンなどはそんなこと言ってられないから
関係ないだろうが、
個人で、地元の集団の中に溶け込んで行くには、
やはり言葉の壁がないというのは全然意識が
違うんだなぁということを実感している。
共通の communication tool は持ちたい物だ。



さっきの日本の天変地異のことを書いた。
古くは、小松左京の日本沈没もあながち嘘ではないし、
経済的にも沈没しそうなこんな国からは、いっそのこと、
どっかの永住権取って、投資をして、
仕事でも見つければ、移り住んでしまいてしまいたい
と思うのは僕だけだろうか。

この後は僕がITツアーコンダクターとなっていった過程
の事を、続きで書こうと思っている。

これは子供を海外に出し、頻繁に行き来して、
地元に入り込んでいった僕の歴史でもある。

最近当然ながら、地震・活断層の話が多い。
何万年前とか十数万年前の活動がどうだとか・・・

恐竜と鳥類の進化の本を読んだ。
1億2000万年前から6500万年前の酸素濃度の変動がどうだ・・・100万年の間に酸素濃度が、二酸化炭素濃度が、呼吸システムの進化に影響して云々だ。
今の CO2 排出量増加による温暖化もそういう中に含まれては来るにしても、考える期間の単位が違う。
とても、人間が心配できる範囲の話ではない。

この年代の単位は何万年のスパンだ!!
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一方で、恐竜たちに負けず、我々も人類の時代を一生懸命生きてはいるのだが、何千何年云々の話を読んだ後だと、この一刹那の喜怒哀楽、苦労はなんなんだろうと思ってしまうんだなあ~

そんなこといっててもしょうがないのだが、どうせ80年くらいの人生、地球からみたら、なんでもないし、その人の幸不幸なんて関係ないはなしだよね。

そして、何万年も書けて起こる変化は進化や緩慢な絶滅を呼び、突然の天変地異は突然の人類の終わりを告げるかもしれない。

関係ない関係ないとたかをくくっていられるかと思いきや!!
大地震が、日本近海、インドネシアで起こった後、数年の間に大噴火おこることは100%という論文を出し、論文を書いた後にも地震ー噴火の連鎖が実際に起きた。シンガポール大学の学者だったかなあ? わすれました。

日本も後3年以内くらいに、大噴火、大地震の可能性大!!叫び

逃げたいよ~

少なくとも、子供はやはり、海外へ避難させるか!!!?

とりあえずは、独り言・・・・・
夜中の羽田の第2ターミナル

8転び七起き、迷える雄羊の四方山話-夜中のターミナル


今回のイギリス往復ハードスケジュールの極めつけ!!
朝の 6:25 羽田着で、そのまま学校と仕事と相成った。ヾ(@°▽°@)ノ


僕は前日朝に帰り、午後から仕事をし、翌日にその 6:25着のフライトの送迎をするというツアコン並みの動きとなったのだ。あせる

早朝に家を出るのは結構つらいなあ~
と言うわけで、成田で味をしめたホテル前泊作戦だ!!
まあ、贅沢なのだが、体力をお金で買うのだ。!!


えーと、羽田の国際線ターミナル・・・たしかショボいんだよなあ~
韓国行きくらいしか出ていなかった頃のバラック立ての昔にくらべれば立派立派!!
しかし、中途半端なのだ。

江戸の町風に作った安っぽいレストラン街だし、
レストランもフライトの Departure が終わる前にしまってしまうしねえ・・・カゼ


それで、ホッホテルがない!!やっほー


国内線ターミナルよりにしかホテルがない!!

まあ、羽田で前泊する人もいないんだろうなあ~

いや、地方から羽田で乗り継ぐ人がいるのだから、、、、
そうか、だから国内線ターミナルにはホテルがあるのか。
でも、国際線に乗り継ぐのなら、国際線ターミナル直結のホテル
とかがあれば、便利なのに!!



と言うわけで、国内線第2ターミナル直結の、「エコセロホテルトンキュウン」
を、私の愛用の楽天トラベルで急遽、夕方に予約。
空いているだなあこれが。
というか、すいてる。
ちょっと高い!!叫び

夜中にホテルについた。
自宅→成田→ヒースロー(Bury St Edmonds)→ 成田/仕事場→羽田/仕事場と学校
という、とんでもないスケジュール!!


それはそうと、電話して聞いてみると、24:00でターミナルからホテルには入れなくなると。

24:00前ぎりぎりで、守衛が巡回する、照明のほぼ消えた第2ターミナルに初めて入った。
人のいない飛行場のターミナル!!
滅多にみれるもんじゃあないぞ アップ

写真をみてくださいな。
説明がなければ単なる、夜中のビルだけどね・・・・