数年前に、イタリアで頼まれてある古い教会のミサで歌う機会がありました。

 

通常ならミサが終了すると共に、すべてが終了するのですが、その日は、アフリカから帰国したばかりと言う一人の男性が講演会をしだしました。

 

一時間のミサが終わると帰れるものと思っていたのに、その方、話が長すぎてみんながざわつくほどで、私たち音楽隊は、祭壇の中に座っていたので帰るに帰られず、一人のイタリア人のいつもはとっても真面目で几帳面な高齢のご婦人まで、終わりが見えない話に怒りだしたほど、、、。

 

 

そんなトンでも講演会ともいえる状況でしたが、私の中で新たな気付きをもらったものでもありました。

 

それは、

 

 

「信じられないかもしれませんが、アフリカは世界で一番豊かな国。」

 

と言ったようなことでした。

 

アフリカと言う国は、他の国に無いようなたくさんの資源の宝庫だと言うこと。

 

そういわれてみれば、かつての学校での地理の授業で、金、銀、銅、ダイヤモンド、石油、天然ガス・・・・・などなど、それぞれの国の資源を暗記していたことを思い出してきた私。

 

そこで思ったのが、

 

「じゃあ、どうして貧困に苦しむ状況になって、難民がヨーロッパに渡ってくるのか???」

 

と言う疑問。

 

 

「難民の方たちを少しでも助けたい。」

 

 

と思う一方、

 

 

「そもそも、難民になぜならなくてはいけなかったのか?

 

まずは、難民を助ける・・・と言うよりも、難民を作り出してしまう根源を解決するべきなのでは・・・」

 

と、常日頃、心に引っかかっていました。

 

 

 

 

現在のウクライナとロシアの紛争で、またしてもたくさんの難民を作り出し、みんな日常の生活を投げ出さなくてはならなくなり、家族とも離れ離れで避難し、たくさんの大切な命を失っている状況に。。。

 

 

 

 

実は前回投稿した日は、その前日の2月24日に、20年以上前にイタリアで一緒に声楽を勉強したウクライナ人の友だちと、本当に久々に電話で話したところでした。

 

まさかこんな本格的な戦争になるとは夢にも思わず、懐かしい話に花を咲かせ、ウクライナとロシアの問題が早々に解決することを祈りあった私たち。

 

その後も、何度か連絡を取り合ったものの、今は何と言って何を話したらわからないし、結局ずーっと音信不通のままです。

 

 

 

 

当時私たちが通っていた学校には、ロシア人、ウクライナ人、アゼルバイジャン人、ジョルジア人など、旧ソビエト連邦に属していた国の人たちも結構いて、みんなでロシア語で家族のように交流し、おしゃべりして、私も彼らと、何度も一緒にご飯を食べたりしました。

 

私にとっては同一国の人のように見えていた彼ら。

 

どうしたら、そんな「仲間」と敵同士として戦うことができるのでしょう。。。

 

 

 

地震、台風、山火事、雪崩、土砂崩れなど、たくさんの天災でもたくさんの人が避難しなければならず、日常を奪われることがあります。

 

 

でも、世界の大半の難民は、「天災」ではなく「人災」が原因のような気がしてなりません。

 

 

困っている人たちを「助ける」ってどういうこと?

 

 

それよりも世界が「正直」になり、武器の供給をやめたり、利益を搾取することをやめない限り、肝心の問題は解決することができないような、、、。

 

 

 

 

何が目的で、このような「人災」を起こしてしまうのか。

 

 

何を達成したいのか?

 

 

 

 

 

天は私たちにたくさんの恵みと愛を平等に与えてくれているように思います。

 

 

 

 

みんな裸で生まれ、この世を去るときにお持ち帰りできるのは、資源でもテリトリーでもなく、きっと心の中にある思い出だけ。

 

 

そんな考えをめぐらせながら、ウクライナとロシア間の戦争勃発から8ヶ月以上が経ちました。

 

 

世界中の人の心に、平和が訪れる日が来ますように・・・。

 

 

 

 

トコ

このところ、世界中が気を揉んでいるロシアとウクライナ間の問題。

 

 

どうして、何のためにこのような争いが起きるのか、何を守ろうとしているのか、私には理解できません、、、。
 
 
 
何年も前に聞いた、宇宙飛行士、毛利衛さんが、宇宙から地球に帰ってきた時におっしゃった言葉が、いつも私の胸の中で忘れられない言葉として残っています。
 
 
 
 
「やっぱり地球は青かった。」
 
 
 
「宇宙からは国境線は見えなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
イタリアに来て、本当にたくさんの国の方たちと知り合いになりました。
 
その中には、ウクライナ人、ロシア人もいて、そのほかにも、アゼルバイジャン、ジョルジアなどの国の人もいて、まるでみんな同国籍の人たちのように話して、ロシア人とウクライナ人のカップルも。
なぜ、今なお、このような争いが起きなくてはならないのか。。。
 
 
 
毛利さんがおっしゃっていたもう一つの言葉、
 
 
 
 
「宇宙に出てみると、地球は私たちにとってたった一つ帰ることのできる場所だと実感しました。 」
 
 
 
 
 
私たちは一つの地球人。
 
 
 
人類みな兄弟。
 
 
 
 
早々に、そうみんなが心から思えるようになると、信じたいし、信じています。
 
 
 
 
 
 
 
 
祈りを込めて
 
 
 
トコ

世界的にも、個人的にも怒涛の一年だった2021年が日本時間では残り1時間、イタリア時間では残り9時間で幕を閉じようとしています。

 

 

個人的には3年以上も会えないまま、父が他界してしまったことが何にも変える事はできない辛い出来事でした。

 

自分自身も生まれて初めて「病人」と言われ、病院通い三昧の一年で驚きましたが、そんな中にあっという間に父がこの世から去っていった出来事は今でも信じられない気持ちで一杯です。

 

なので、今年を振り返るにあたり、やはり私の胸の中は父への思いで一杯になってしまいます。

 

 

私が生まれるまでの数年間、プロのオーケストラでバイオリン奏者をしていた父。

 

 

戦後、父が中学生の時、当時国民復興のために、音楽家が日本中、田舎まで演奏旅行に来てくれていたとのことでした。

 

 

そんな中、 諏訪 根自子(すわ ねじこ)さんと言う、美しいバイオリンニストがメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲を演奏するコンサートに触れる機会があり、一瞬にしてバイオリンの音色、音楽、 諏訪 根自子 さんの美しさに魅了されたと言う父。

 

 

奇遇にも、私の祖父である父の父が物置に古いバイオリンを持っていたそうで、それから父は一生をバイオリンへの愛で生きてきました。

 

 

父は一級建築士の祖父の仕事を継ぐために、東京の大学へ建築の勉強をしに行き、その傍らバイオリンの勉強も続けていたそうでした。

 
 

ですが、1954年の青函連絡船の洞爺丸が沈没した事故で有名な、洞爺丸台風の影響で、祖父の事業が大きな損害を受け、父は即、東京での大学生活を引き払って、北海道に戻って来、すぐに仕事に就かなくてはならなくなったそうです。

 

そうしているうちに、北海道教育大学に特設音楽課という新しい課程が設置され、それを見た父は受験をし合格。父は働きながら特音課第一期生として音楽を勉強しました。

 

 

その後、中学校の音楽教員として働き始め、母と同僚として知り合い、知り合って7ヵ月でスピード結婚。

 

 

でも、結婚後すぐそれまでの無理がたたって腎臓病を患い、病弱になってしまった父。

 

 

結婚して7年も子供ができず、父の健康のことを案じていたという母。

 

 

そんな時に札幌交響楽団の団員募集のニュースを目にし、オーディションを受けてみたら入団することとなり、父と母の新生活が始まりました。

 

 

7年もできなかった子供が、オーケストラで働き始めるとすぐに私の姉を授かり、その3年後には私を授かった父と母。

 

 

子どもの頃から

 

「札響のお陰であなたたちがが生まれたようなものよ。」

 

と母からいつも聞かされて育ってきた姉と私。

 

 

 

でも当時の団員のお給料は決して多くはなかったため、二人目の私が生まれると、父は再び教員の仕事に戻る決心し、そしてそのまま定年まで教員として働きました。

 

 

でも、そんな教員生活の日々の中も、私が子どもの頃から

 

「父がバイオリンを弾かないで寝る日はない」

 

と言えるほど、父の中ではバイオリンへの情熱が消えることはありませんでした。

 

 

定年後はボランティアであちこちの学校や施設で、父のバイオリン演奏を中心にファミリーコンサートをしてきました。

 

 

「定年退職記念コンサート」として初めて行ったのを皮切りに、自分のリサイタルを定年後8回も開いた父。

 

 

プロのレベルには及ばなかったかもしれないけれど、私にとっては、最後の最後まで挑戦する姿を見せてくれ、消えることのない彼の情熱に、たくさんのことを教えてもらいました。

 

 

野心とは無縁だった父。

 

ちょっと不器用で、「馬鹿」が付きそうなほど本当に正直な父でした。

 

青年の心のまま大人になり、86歳で亡くなるまで、私にとって父はいつも「現役の父」でした。

 

 

 

「親孝行、したい時に親はなし」

 

見たいな諺を昔聞いたことがありますが、まさにそんな感じ。

 

『いつか、父が大喜びしてくれるような「私の音楽」を聴いてもらいたい。』

 

と思いながら音楽に励んできたけれど、結局間に合わず、父は天に召されてしまいました。

 

こうして父が旅立ってしまったこの2021年を締めくくるに当たり、独りよがりですが、父に感謝の気持ちを伝えたく書かせていただきました。

 

 

(同じ位置で、同じ時間に東と西を撮影した、わが街の河川敷の大晦日の夕暮れです。)

 

 

 

 

こんなつたないブログを読んでくださる皆様にも心より御礼申し上げます。

 

世界中のいたるところで、みんながそれぞれ『思い』を抱きながら生きているのだと思います。

 

 

 

行く年、2021年は世界中の人々にとって、いろいろと特別な一年だったと思います。

 

来る年、2022年は、生きているものすべてが心に温かさを感じる年となりますように。

 

 

 

すべてのものに、たくさんの愛を込めて。

 

 

トコ

先日、イタリア人の夫と一緒に雑貨屋さんへ行き、いろいろ見ていると、何気に3色のマグカップが眼に留まりました。

 

 

シンプルだけれど、何となくフィーリングがあって、お値段もお手ごろ価格。

 

 

 

「思い切って、小さな贅沢として、朝食の時のマグカップを変えてみようか。」

 

 

 

と夫と意気投合して決定!

 

 

 

 

この3色のマグカップは

 

 

 ・  ・ 

 

 

の3タイプ。

 

 

 

 

 

夫に、「何色がいい?」

 

と聞くと、

 

まさかの

 

 

「僕は

(えっ、今何て言った???)

 

 

との回答が・・・。

 

 

 

 

「なんですとぉーーーー!

 

 

は私の色でしょうが!」びっくりプンプン

 

 

と思い、

 

 

 

「ふざけないで、・・・

 

白と緑とどっちがいいの???」

 

 

 

と聞きなおすも、

 
 
 

 

「僕は

 

 

と言い張る夫。

 

 

 

『なんでこんなくだらない冗談を言い張るんだろう・・・。』ムキー

 

 

と、不覚にもイラッとした私。

 

 

 

 

いろいろもめた挙句、

 

結局、のマグカップとコーヒーカップを一つづつ買って帰宅した私たち。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、朝食の時、恒例のミルクコーヒーをマグカップに作り、

 

 

夫に

 

 

どっち?」

 

 

と聞くと、

 

 

 

「僕は

 

 

とまたもやの回答が。

 

 

 

『何、が好きって本気でいってるの?!?!』ガーンムキー

 

と再びイラつき、

 

 

私の前にのマグカップを置くことに・・・。

 

 

 

モヤ、モヤ、モヤ、モヤ、モヤ、モヤ・・・・・・。ニコもやもやもやもやもやもや

 

 

 

 

 

知り合って23年、

 

 

結婚してまる20年、

 

 

 

私は自称

 

 

が好き。」

 

 

と宣言していたつもりでいたのに、

 

 

 

夫曰く、

 

 

「キミ、が好きだなんていったことがなかったのに、なんで今になってにこだわるの?」

 

 

と言ってくる始末。ガーン

 

 

 

そのあと私は家中、夫を連れ回し、

 

 

 

「よーく見て。

 

これもだし、あれも

 

ほらここにもがあるでしょ。

 

あれだけが好きだって話していたのに、ぜんぜん聞いていなかったってわかったっ!」プンプン

 

 

と、夫を脅すことに。

 

 

 

 

それと同時に、

 
 

私も、

 

 

「夫がが好きなんて夢にも思ったことがなかったわ・・・。」

 

 

と驚く始末。。。キョロキョロ

 

 

知っているようで知らなかった、まさかの夫の好みの色・・・。

 

 

 

いつも自分がどれだけ「」にこだわっていて、

 
 

しかも

 

 

「ただ単にが好きなのではなく、のトーンにもこだわりがあるって語っていたのに、全然聞いていなかったの?!」プンプン

 

 

と言って、イラッとしてしまった私だけれど、

 

ちょっと考えれば、くだらないことでイラッとしていて、

 

 

何だか最終的に、可笑しくなって来ました・・・。爆  笑あせる

 

 

 

 

 

結局翌日、もう一つ赤のマグカップとコーヒーカップを買って、

 

 

 

二人とも「」で朝食をとることにした私たち。ニコニコニコニコ

 

 

 

 

 

 

今回のことで、

 

 

『ペアの時は色違い』

 

 

『女性は、男性は

 

 

 

みたいな思い込みにとらわれていた事に気付き、

 

 

 

 

それに加え、

 

 

『ペアとは言え、同じ色でも良かったんだ。』

 

 

との気付きも。

 

 

 

 

 

四六時中一緒にいて、20年も一緒に生活しているのに、

 

 

お互いにが好きだったことさえ知らなかったこと。

 

 

 

 

二人で

 

 
 

「えっ、そうなの?」びっくりびっくり

 

 

 

と言い合ったことに、

 

 

 

 

イライラの後は、笑いと教訓をもらった一件でした。

 

 

 

 

 

これがいわゆる

 

 

「思い込み」

 

 

と言うものなのね。ニコ

 

 

 

 

 

こんなに身近な夫とでも、

 

 

「思い込み」

 

 

で見えていないことがあったことに気付き、

 

 

 

 

 

『いかに人生、多くのことを、

 

「思い込みの色眼鏡」

 

で見てきているんだろうか・・・?』

 

 

 

と自問した今回の一件でした。

 

 

 

 

トコニコニコ

雨の降らない日々が数ヶ月続いた、ここイタリア、トスカーナの我家近郊の今年の夏。

 

 
 
 

カラカラ状態になってしまっていた大地に、ようやく恵みの雨が降ったと思ったら、今度は連日の雨となり、今年のキノコ狩りは、結局本格的なシーズンを迎えないまま幕を閉じてしまいました。

 

 

 

 

キノコだけではなく、栗も不作となり、落ちているのはブルーベリーかと思うほどの小さな栗ばかり。

 

 

 
 

 

でも、小さいとは言え、栗なりに一生懸命実をつけて、こうして茶色くなって実を落としているのかと思うと、何だか愛おしくすら感じてしまいます。おねがい

 
 
 
 

 

キノコはないとは言え、お天気の日は最高に気持ちの良い、空気も景色もステキな秋を過ごすことができました。キラキラ

 

 

 

 

なので、我家は時おり、やっぱり森の散歩へレッツ・ゴー!

 
 
 
 
 

紅葉、落葉の森はいつも心に沁みます。

 

 

 

 

 

そしてこの時期、いつも眼に留まるのは、たった今、葉っぱが落ちたところには、すでに来年の春に芽吹くべく芽が、そこに準備されていること。目

 
 
 
 

 

        ↓ちょっと見えにくいですが、葉っぱの間の木には、すでに芽が見える栗の木

 

 

 
 
 
 

↓我家の葉っぱが落ちきった、ほぼ枯れ木に近いあせる・・・レンギョウの木も、すでに来年の春に向けて動き出しています。照れ

 

 

 

 

 

 

すべてが、私たちにメッセージを送ってくれているよう、、、。

 

 

 

 

 

 

「失うときは、準備万端と言う事」 を。

 

 

 

 

 

 

失くしたのではなく、何かが生まれているのだと。

 

 

 

 

 

失うこと、変化することを恐れてはいけない。

 

 

 

 

 

それが起こる時は、すでに準備ができているから起きるのだと言う事を。

 

 

 

 
 

すべては新しい芽吹きのために起こるのだという事を。

 

 

 

 

 

そんな芽を見ると、いつも勇気をもらいます。

 

 

 

 

 

すべてに感謝。

 

 

 

 

 

トコニコニコ