朝食をすませていざ奥の院へ。
神聖な場所なのでカメラ(iPhone)は持たず。
なので写真はありません。
投宿していた宿坊から歩いて15分ほどで奥乃院入口到着。
手前の手水舎で身を清め、
入り口に入る橋の手間で一礼、
そこから奥へと進みます。
この参道の両脇には沢山のお墓があり
戦国武将のお墓や大企業や起業家のお墓が
延々と続いています。
地図を片手に有名武将のお墓を巡っている方々が多い中
ひたすら奥をめざす私。
弘法大師御廟へ到着。
懐から包を取りだします。
さて、
関東と関西(と別けられるかどうかは不明ですが)では
骨壺の大きさが違うのはご存知でしょうか?
意外に知らない方が多い気がします。
ま、地元にいればみんな同じくそうしてるし
日本では他所の方とそんな話になることはないので当然でしょう。
様々な地域の方と交流する海外在住ならではの
情報かもしれません。
基本東日本の骨壺は大きくて(両手で抱き抱えるほど)
西日本のそれは小さい(両手の平で抱えるほど)です。
これは遺体焼却後の措置の違いによるもので
関東では拾える遺骨は出来るだけ拾って骨壺に納めるのに対し、
関西では頭蓋骨や喉仏など重要な部分をまずは納め、
あとは骨壷に出来るだけ収めて、
残りの遺骨・遺灰は火葬場が処理します。
で、この残りの遺骨を持って帰りたければそうできます。
これは分骨や、散骨、
勝新太郎さんやその道の方なんかは食べたりもします。
因みに一般社会でも遺骨を食べる風習は
その昔は日本各地にあったりました。
私は父親が亡くなった際に
(因みに20年弱前、私が22歳の時。まだ早かったです。)
いくつか(確か肋の辺りだったと思います)持ち帰りました。
それ以来住む場所も転転としましたが
各所住んでいる家に棚を造り、そこに安置し毎朝手を合し弔っています。
また、旅にでる際は携持し一緒に旅をし、
宿についたらとりあえず
一番見晴らしいの良い場所、
または地域によっては安全な場所にねかせます。
さて話を戻して御廟前。
懐から父親の遺骨を取りだし
入定されているお大師様のそばへ。
手を合わせ、南無大師遍照金剛と唱えます。
んで暫く、5分だったか、30分だったか佇ました。
お大師様のご加護を受けられたかどうかはわかりませんが
お大師様の側にオヤジと一緒に来ることができて良かったとおもいます。