YouTubeつけっ放しでおそうじしていたら、自分のことかと思うような話が流れてきた。2年前の「本田健の人生相談」だった。
職場でずっと生きづらさを感じていたというマサさんという男性が、今、これからの自分の役割が少し見えてきた、それをどうやって実現していくか、というようなことを話していた。正しく伝わるように慎重に言葉を重ねるような話し方も、もしかしたら似てるかもしれない。自分では自分の話がどういう印象を与えるか、わからないが。
健さんはまず、要約するとこんなことを言っていた。
「一足飛びに正解はわからない。どんどん行動して、あれかな、これかな、と一個一個検証作業をしていくことで、いつか本当にしっくりくる自分の場所に行けるんだ」
そこまでは一般論。
「(その過程で)マサさんは、性格からすると必ず悩むんですよ」。
そして、悩む自分をネガティブに捉えているだろうけど、それは違うと。
悩むのは、いろんな面が多角的に見えてしまうからだ、あっちからもこっちからも見えちゃうから、自分の中でそれらが対立して、どちらがいいかわからなくなってしまう。人からは優柔不断と思われ、自分でも決められないことに劣等感を持つ。
じゃあどうするか。
「こう言ってください、『すべての選択でオレは迷うタイプだ』『なぜなら両面がいつも同時に見えてしまうから』」
2年前のマサさんと一緒に、わたしも言いました笑
マサさんと同じく、口にすることで、なんだか気持ちが軽くなった。
「悩むのがすべてのエネルギーなんですよ。(悩む)一個一個のプロセスが、誰かの深い癒しにつながるんです」
マサさんはマサさんのままで、誰かの深い癒しになれるということなんですね。悩みながら得たことが誰かの助けになる、それが自分の魂の目的だと。
悩むのがすべてのエネルギー、と言われると、確かに悩むことにすごいエネルギーを使ってきたのが、それがむだな消耗ではなくて、そのプロセスに価値があるということになる。そんなことを言ってくれた人は、いままでいただろうか。
わたしはずっと、難民問題とか貧困問題とかに関わってきた。
知れば知るほど、割り切れなくなる。解決策など見つからない。特に国内の貧困問題に関わっていた3年弱は、何をやるにもアレをやったらこっちに弊害が出て、こっちをやったらそっちに悪影響で、支援者としてどうしていいのか全くわからなかった。外に向けて声をあげられたのは、必要に迫られて苦し紛れに絞り出したことくらい。
それはそれで、その悩むエネルギーを放出したらよかったのだろうか。
まわりもみな、悩みながら、矛盾を抱えながら、それでも自分よりずっとやれてたじゃないか…と、ここでもまた、否定的な面がすぐ思い浮かんできてしまいますが。
健さんは最後に、「おめでとうございます。ここからスタートですね」と祝福の言葉を贈っていた。
今もわたしは、あれやこれやと悩んでいるが、2年前の映像が今ごろ流れてきたのも、なにか意味があるのでしょう。