先日受けたコーチングのセッションを、コーチがメルマガにまとめてくれました。
こうして記事にしてもらえると、ふり返りやすいうえに、セッション中にコーチが感じたことや考察したことも知れるので、ありがたいのです。
この日わたしは、仕事のことで早く動かなくてはならないのに、どうしても動けない、どっちに行ったらいいか途方に暮れている、という話をしました。
これまでもいろんな方に、いろんな提案をいただいてきた。でもどれも、やりたい、やろうとは思えなかった。
コーチングでも話してきた。何度か「これをやる」と宣言したけれど、すぐにヘタれて、なにも続いていない。
そんなんだから、どんなに袋小路にはまっても、どうせ提案されても動けないから人には相談したくない、と思っていた。
こういう時こそコーチング、なのだけど、これまでのセッションを活かせてない自分を責めて、セッションを申し込むことも自分に禁じていたこの数か月。
でももう限界。「まいりました」の境地でセッションをお願いしました。
コーチの記事にある通り、何か月も何年も動けなかったのが、「やってみよう!」と気持ちが動くまで、セッション開始からものの5分程度。
なんででしょう。
セッション前、わたしはコーチに呆れられるんじゃないかと思ってました。またその話か、とか、甘く見てるとか、どうせやらないでしょとか、なにかしらジャッジされるだろうと。
ところが、というか、いつもどおりと言うか、ただの1ミリもジャッジが入らず、100%可能性だけを見てくれた。やれて当然、という態度だった。
コーチの提案は、「人の提案にのること」。
え、やっていいの? 今までやれなかったけど、そんな自分がやっぱりやりたいって言っていいの?
コーチのOKをもらって、それで自分も自分を許せた。できるという自信が湧いた。
ここまでが、最初の5分間だったんじゃないかと思います。
心のベースができたことで、コーチの提案や、これまで人に提案してもらったことに心が動き出した。
もうひとつ思うのは、時が来ていたのではないか、ということ。
これまでは、誰になにを言ってもらっても、動きたい時期ではなかった。
動かなきゃいけないと焦っていただけで、動きたくないのが本心だった。本心に従って動かずにいたのは、よかったのだ。それを責める必要はなかった。
この日、コーチのお宅のサクラランが開花。花言葉は、「人生の出発」「人生の門出」でした。まさにそんな日。