先日久しぶりに会った友人が、「一眼レフがほしいな」とつぶやいたのを聞いて、
そう言えばわたしの一眼レフはまだ動くのかな、と気になり、帰宅後に取り出してみた。
触っているうちに、指がかつての興奮を思い出してきた。
久しぶりに撮りたくなった。
 

(リスボン。よくも海外旅行にまで重たい一眼レフを持って行ったものだと思う)

 

その直後に別の知人と出かけた先で、その人をスマホで撮った。
ボケがいまひとつで、「ああ、一眼レフだったらもっとよく撮れるんだけどな」とつぶやいたら、「え、じゃあ今度撮ってください。ちょうど必要だったんですよ」と返ってきた。

撮るチャンスがあるなんて、嬉しい。
操作に慣れるために、近々どこか撮影に行こう。

そしたら、また別の友人から久しぶりの連絡があり、とある場所に一緒に行くことに。
ちょうどいいのでカメラを持っていったら、その人も撮ってほしいものがあった。

構図とか、いろいろ勉強しなきゃ。
わあ大変。と言いながら、久しぶりにどきどきしてるのを感じる。

自分の撮りたいものをただ撮るだけでも、楽しいことは楽しい。
でも、人が求めているものを撮るのはチャレンジだ。好きなことでのチャレンジは楽しい以上の喜びがある。

こんなことが、いくつか続いている。
心が停滞していた時は、なにを言ってもなにも起こらなかったのに。
心が動いている時の言葉や行動は、波動を起こす力がある。のかもしれない。