「ジャジャジャジャーン」から始まる、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。
「運命はこのように扉をたたく」、とベートーヴェンは言った。

というのは実は、嘘だったらしい。

一時期秘書をしていたアントン・フェリックス・シンドラーという男が、ベートーヴェンの死後に本人の言葉として捏造したのだという。ほかにもやたらめったら捏造したらしい。

とっくに知られた事実だそうですが、今まで知りませんでした。キャッチーな言葉ってこわい。どんなに科学的に打ち消されても、真実として広がり続けてしまう。

 

 


捏造の方法は、会話帳の改ざん。
耳が聞こえなくなったベートーヴェンとの会話は、相手がメモ帳に言葉を書きこむことで成り立った。シンドラーはこの会話帳に、あとから相当な数の書き込みをしたのだそうだ。

そんな人物が著した『ベートーヴェン伝』が、現代にいたるまで行き渡っているベートーヴェン像の基になっている。そのなかに書かれたエピソードのひとつが、「運命はこのように扉をたたく」だ。

シンドラーの書き込みは、まったくの嘘だと証明されているものもあるが、だからって彼の書いたことがすべて嘘かはわからないのが、やっかいだ。曲のテンポといった、音楽的に重要な書き込みもあるらしい。

音楽家は、少しでも作曲者の意図を知りたいと、楽譜はもちろん、作曲家の人生や思想、社会状況など、いろんなことを熱心に研究する。
それなのに、曲に関する重大なヒントが嘘か真実かわからないなんて。きっと大問題なんでしょうねえ。

本書が描くのは、シンドラーがどんな人物で、なぜこのような改ざんをしたのか。
ここはフィクションです。事実という点の数々を、著者が自由につなげて創作している。
文体は軽い。軽いから読みやすく、軽いから信憑性薄く感じる。でも、そもそも真実なんてわからないんだから、妙にうまく描かれて信用されるより、ましかもしれない。

人も歴史も、言い伝わってることが真実かどうかなんて、わかりません。
改ざんに手を染めさせるほど、それが200年以上後も大問題と騒がれるほど、ベートーヴェンの音楽は偉大なのだ。