1995年のプラハに、「ショパンと交信して新作を書き留めている」と公言する女性が現れた。
音楽教育を受けたこともない、50代半ばの貧しい元学校給食センター職員。
世間は、彼女が発表するあまりにショパンらしいマズルカやエチュードといったピアノ曲に心酔し、レコード制作も準備中だ。
そのペテンをなんとしても暴きたいと、あるテレビ局が彼女を追い詰めようとする。
結末は果たして―――。
このあらすじに、通奏低音のように鳴り続けるのが、チェコの重苦しい近代史です。
女性が生まれたのは1938年という設定。
オーストリア=ハンガリー帝国からチェコスロヴァキアとして独立して20年であり、ナチス・ドイツの支配がはじまる時期にあたる。
戦後、1947年に共産化。強権支配のもと、監視、密告、粛清の重苦しい時代が続く。89年のビロード革命によって民主化され、93年に連邦を解消してチェコ共和国に。物語の舞台はそれからたった2年の、まだよちよち歩きの自由な社会ということになる。
民主化されたとはいえ、ある人はスパイ、ある人は密告者、ある人は密告で家族を失う、といった過去を背負う。
登場人物の陰にそろりそろりと顔をのぞかせるこうした過去が、物語に冷たい緊張感を生んでいます。
追う側の、疑いと策略に満ちた心理、「霊と交信する」という常識をくつがえす現象に遭遇した人間の心理、そして社会背景からくる心理とが綾となって、派手な展開はないのにとてもスリリング。
去年チェコとポーランドを旅した身としては、ワルシャワのいたるところで目にしたショパンの面影や、プラハのナーロドニー大通り、カレル広場、ムーステク駅といった名前が懐かしく、胸が高まります。
最後に、「ローズマリー・ブラウンの生涯を適宜参考にした」という付記がありました。調べてみると、ブラウンは1916年ロンドンの生まれの実在の人物で、「音楽霊媒師」としてリストやショパンやブラームスなど大作曲家たちの「新作」を発表、CDまで出していました。
★★★★☆
『プラハのショパン』エリック・ファーユ著、水声社