自慢から入りますが、先日、スタエフでご活躍のやす@旅好きの勤め人さんがわが家にいらっしゃり、番組で部屋の感想を話してくださってました。

 

(やすさんは気遣って名前を伏せてくれてますが、うれしくて自分から名乗り出てしまった)

 

「好きなものに囲まれて、不要なものがない空間で、居心地がよかった。そういう部屋に住めるって幸せなことだ」


そんな風に言ってもらえて嬉しい反面、自分では、あんまりそう感じてないなあと不思議に思いました。

 

(今日は雨で暗いです)

 

たしかに、部屋にあるものは好きなものばかりだし、不要なものはあまりない。

 

でも、窓から自然の見える部屋に住みたいのに実際はそんな景色じゃないし、前のアパートから使っているカーテンはこの部屋では寸足らずだし、セミダブルベッドも買えてないし、ほかにもアレもないしこれもないんですよ。

ない、ない、ない。

 

そうか、わたしはいつも、ここに「ない」ものを見ているのか。
一方でやすさんは、「ある」ものを見てくれていた。


自分を見る目と同じ。いつもアレがない、これが足りない、ないないない。

スピリチュアル的にも、「ない」にフォーカスしてると、「ない」が叶ってしまう、と言います。
ちょっと前に「ある」に目を向けるぞ、と誓ったはずなのに、「ない」に着目してることに気づきもしてなかった。


わたしのコーチが、画家ゴッホのこんな言葉を紹介してくれました。

「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ」

あるか、ないか、ではなく、見出す感性を持つということ。

理想の部屋づくりの途上にあるとしても、道中も楽しむ感性、道中のいま「ある」ものを喜べる感性。

 

やすさんの目になって、この部屋と、この部屋で暮らす自分を見てみた。そうしたら、ここにいることが、前より少しだけ幸せに感じられるのでした。