シダネルとマルタン展
―最後の印象派、二大巨匠―
SOMPO美術館


(左の看板の絵はマルタン)

 

シダネルをまた観たいと思い続けて、やっと叶いました。
初めて観たのもここSOMPO美術館で、調べたら実に10年前のこと。
マルタンは初めて知りましたが、2人はともに19世紀末生まれで親交もあり、揃って終焉期の印象派に属し、画風は穏やか、どちらも社会的に成功した画家です。
共通点が多いことで、違いから個性が際立ってくる展示でした。

シダネルは、穏やかな幸福に包まれた時間を感じさせる絵が多いです。特徴のひとつが、画面に直接的に人物が描かれないこと(ある時期までは描き込んでいた)。


友人との楽しい語らいの余韻を残した、誰もいない食卓。
暖かい室内での家族の団らんをほのめかす橙色の窓の灯り。
 

シダネル「ジェルブロワ、テラスの食卓」

 

なぜ人物を描き込まなくなったのかはわかりませんが、不在であることでより存在感を増しています。自分自身の家族や友人との団らんが重なって、温かさが湧いてくる。

あるいは、もしかしたらこの人、団らんを終えた後にしみじみと思い出すひとりの時間がより幸せ、という内省的なタイプかも(気持ちわかる)。

画面上の不在は、ときには本当の不在を突き付けることもある。失われた家族や友人、彼らとすごした幸福な時間。今はないもの。あるいは、どんなに欲しくても手に入れられないもの。見る人の状態による。

説明を読むと、シダネルは家族や友人や仕事に恵まれ、名誉もお金も手に入れたようなので、おそらくは画面上の不在は存在を表しているんだろうとは思います。

初期の頃の人が描かれた作品も好きでした。総じてどこか幻想的で内省的で、ちょっと哀し気でもあり、想像をかき立てます。

今回は個展でないので、いくつもの好きな作品が見れなかったのは残念でしたが、マルタンという画家を知れたのはよかったです。

 

マルタン「二番草」


いくつもの公共建築の壁画を依頼されるなど官に好かれるだけあって? 全体にお行儀のいい破綻のない感じがちょっと物足りなくもありますが、彼もよかった。特に入り口1枚目に展示されていた、『野原を行く少女』。

混んでもなく、1枚1枚じっくり味わえました。

2022年6月26日まで。