「ホームレスじゃない。ハウスレスよ」

ぼろぼろのキャンピングカーを寝床に、仕事を求めて移動する現代のノマド(遊牧民)。主人公は、定住の選択肢も残されていながら、それを選びません。そこは彼女にとっての「ホーム」ではなく、逆にホームを手放すことになるからなのか。

仕事でホームレス(映画の文脈で言えば、ハウスレス?)の方や元ホームレス、今まさに住まいを失おうとしている方たちと、お会いするようになりました。
「好きでホームレスをやってる人もいるから、支援は必要ない」という声を、今でも時折耳にします。
好きでやってるか、なんなのか、その人にとことん寄り添おうとでもしない限り、決して理解することなどできないのだと思います。
たとえば生活保護を申請に行って、あるいは利用しているときに、それによって「ホーム」をとことん傷つけられたことがあるとしたら、ホームを守るためにハウスを手放すことを選ぶ人だっているかもしれない。それを、「好きでホームレス(ハウスレス)を選んだ」と言えるのか。



 

この映画の主人公のことも、そういう意味では、わからない。
感じ取れることといえば、彼女は尊厳を失っていない、彼女にとってのホームは失っていない、ということくらい。

いくら働くことが好きでも、きつい労働で腰でも痛めれば、瞬時にすべて失うような、不安定極まりない生活。外敵から身を守れるほど頑強じゃないハコ(車)でひとり眠る毎日。その厳しさを引き受けるタフさと、周囲に思いやりを示し続ける柔らかさを備えた主人公。彼女が移動する厳しくも雄大なアメリカの大地が、彼女の精神とだぶって見えます。

社会保障が手薄であっていい、ということではなく、それとは全然別のこととして、自分にとってのホームを失わなければ、人生はOKなのかもしれない。
どこまでも自由であっていいんだ、と思わせてくれる作品でした。