①批判するときに、相手への敬称をつけること。
「まじ腹立つわー!」
こんなだったら、わざわざこんなお固いことは言わない。これは感情的なタイプの怒りっていうのかな。
それとは対照的に、知性で相手を批判、もしくは議論を交わしたいのであれば、もちろん、その動機は怒りのままで構わないんだけど、敬称をつけるべきだと思うんだよね。
敬称をつけないと、言い過ぎかもしれないけど、感情的になって結果として怒号がとぶような状況を起こすと思う。
自分の場合は、そこで敬称をつけることが出来る余裕をもつことで常に冷静でいられる。
感情的になるのは場合によっちゃ見苦しいと感じてしまうから、これは普段の生活でも大事にしていきたいです。
俺みたいに楽しくなってくるとトブ人もいるだろうけどねw
だからデリカシーがないなんて言われるわけですね。。すいません。。
②自分の意思に重きを置きすぎない。
もちろん大事です、自分の意思は。
でも、どこまでが自分の意思なんだろうと考えてみると、自分の意志ってとてもちっぽけなんじゃないいかな。
言い方悪くするなら、所詮社会の一員でいる限り生きている時代のパラダイムから離れることは出来ない。
そこから派生して出来た個人の意思なんて、、、、
って少し思ってしまう。
さらに、精神は肉体に先行するっていうイメージで世が動いているけど、実際は逆。
肉体が精神に先行しているのです。
山王戦の三井くんみたいな現象を起こすことはそうそう出来ない、ということです。
だからこそ、俺はランニングや筋トレで体を鍛えていることで、精神も鍛えていると考えてる。
自己裁量だけど、効果は出ていると思うよ。
まぁもっと話すなら
精神って常に変容する可能性を残していてつかみようがない。
だから、これに重きを置いているということは、常に不安に煽られる可能性があるということ。
だったら、なにか他のものにアイデンティティの軸を置いてから個人の意思を尊重すりゃいい。
と俺は考えた。
こうするとことで、変化への適応力も格段によくなったと自分では感じています。
意思を流動的なものとして捉えているのは楽なもんです。
人類が火をつかって恐怖を端に追いやっていったように、俺も出来る限り不安は取り除きたい。
どうしても動きが鈍くなるんだよね。
でも、恐怖を感じるというのは生きていくためには必要なこと。
ここらへんは、ドラゴンヘッドが好きな人と話したいわ笑
今回は、個人的に文字にしておきたかったことを書いておきたかった。
面倒ですが、読んでいただけたら幸いです。