20歳も終わり、21歳になろうとしています…!

あと二週間ほどで21歳になり、その後すぐに後期が始まります。


すると、就職活動が始まります。
夏休みのようにぬるいものではなく、本格的に審査が始まりますね。


冬が訪れれば毎日のように自分自身が審査され、結果によっては自分自身を否定されるような思いもするでしょう…

「しんどいな…」

こんな言葉を一人でつぶやいてしまった。

そんな時、こんな歌を聞くつもりです。

A Hard Days Night / The Beatles





ほら、ハッピーになれたっしょ?笑




そんだけっす!

明日はイケメン2人と俺で会合です。

くそ楽しみ!
他人の思考法にのっとって相談をうける。

なんて言っている友人がいましたが、この話を聞いたときは



「むりです」





としか思いませんでした。


理論上では相互の勝手な思い込みで成り立っているコミュニケーションにおいて、片方の思い込みの度合いをあげすぎだろ!と思ってしまったわけです。


ちなみに、俺が相談をうけるときは感じたり思ったことをずばずば言います。

冷たいなー。と言われることもあります。

それでも、思ったことを言ってあげるのが相談であるとずっと考えてきました。





だけど、「相手を思いやる」という観点から考えると


俺の友人のように

相手のことを考えて言って欲しい言葉を想像して言ってあげることも優しさなのかな。

相手もその人にその行動を希望しているのであれば、構わないのかもしれない。





だからって即座に俺も同じようにしようとは思わない。

思いやりって観点だったら俺の行動だって優しさになりえるからね。



ま、ひとつの考え方ですね。


こういう風に考えれば



女の子の相談には、うなづいてあげればいい




という言説にもやっとの思いで理解できそうです笑



ま、自然に思いやりができる大人になるべく日夜修行ですね。
Twitter上で、カンニングが話題になっていますね。

どっかにまとめられているとおもうので知らない人はそちらを参照していただきたいのですが





リテラシーもモラルもあったもんじゃないよね笑







3年になって勉強に本腰をいれはじめた俺にも批判されるべき部分はあるし、ゆとりって言われても仕方がない。










だが、この流れを生み出した張本人の学生、大学側にも責任があるだの軽々しく言い放つその外野


それはねーだろ…って思う発言が多すぎて、昨晩は寝ずに考えを巡らせていました笑











俺の考え方に、自分に原因を見つけようとする姿勢が大事である、ってのがあります。


社会や環境に原因を求めるのも構わないけど、果たしてそれらと自分に接触点があるのだろうか?

ただひたすらに文句を言っていたって、接触点がなければ到底自己もその環境も変容することはない。



大学つまんねーとか言っている人(俺含め)は大抵そのまんま卒業まで行くでしょ?

ゼミに入って変わる人もいるだろうけど、これはその接触点の有無が問題となっていると俺は考えてます。


そこで俺は


目に見えないものに縛られている自分を自覚して、その中で戦い続けたほうが人間は強くなる。

と考えるようになりました。

これが実は一番きつい。

自分に対しても負けず嫌いって人はほんとーに少ないですよ。

自覚している、していないにかかわらずね。




ま、レベル上げをするなら強敵と戦ったほうが経験値は高いでしょ?

実はラスボスは自分なんだから、そいつと戦い続けたいと俺は考えています。



そのラスボスと戦いつづけることによって、自分以外の戦闘相手が必要なことも自然と理解できます。



まずは、自分に原因をみつけていこうではありませんか。



カンニングの流れから脱線しているしまとまってねーー。


文章力なし!