皆さんの質問にお答えします(個人的なものです)

Q:正しさについては道徳的正しさ、社会的正しさによって大きく意見は変わると思いますが、先生はどちらを優先して教えますか。 E3
A:正義論についての質問だと思います。前提として絶対的な正しさはあるのか?ということや、それをどのように決定するのか?など、設定そのものが難しい問題です。時代や国などによっても正しさとは変わっていくものです。このあたりを議論すると、一冊の本が書けてしまうくらい多様な見方や考え方をする必要があります。カント的正義と、ベンサム的正義、アリストテレス的正義、サンデル的正義論など多様にありますので、どれが最も正解か、選択できないと思います。私は、可能な限り道徳的正しさに従って行動していきたいと思います。ただ、組織に所属していたり、仲間がいたり、正しいと思うことをそのまま話をしたり行動することが時には大きなトラブルに発展することもありますから、このあたりは社会的な協調を優先する場合もあります。先日観た映画で、「正しいことを相手に言うときは、最も慎重に言わなければ相手を追い詰めてしまう」という台詞があり、一人で納得していました。絶対的な正しさだけで生きることは、人間社会の中では難しいと思います。かといって、いい加減なことばかりの人は信頼されず、頼りにされませんから気楽ではありますが、寂しいでしょうね。多様な価値観を持ちながら、バランスを取って生きていくことが日本社会で求められている協調力というものの内容でしょうか。

Q:先生は豚を食べることに賛成ですか、M1
A:今回の 映画はもともと先生が食べるために飼うという設定が、小学6年生にとって適した内容・方法だったかということです。これが大学生であったらどうでしょう?高校生であったら?教育内容・方法は対象者の発育段階に応じて考慮することが教師の役割です。以前どちらかの大学の先生が小学6年生に、よくお肉屋さんが仕入れる処理された後の丸々一頭のブタを、子どもに解体させながら命を食べることを教えている授業が紹介されていました。こちらの方もなかなか強烈な内容・方法ですよね。100年先にはもしかすると、動物を食べること自体をやめている可能性もあります(牛肉を1キロ作るのに穀物はその8~10倍、豚肉を1キロ作るのに穀物は4倍、鶏肉は1キロ作るのにその2倍の穀物が必要です。穀物を世界の人で分け合える日がくれば飢餓はかなり緩和されます)。人類が肉食をやめる日が来るのかどうか分かりませんが、現在は食べているわけですから、そのことに目をつむって、スーパーのパックに入っている肉がどのようなものから来ているのかを,理解させることは必要です。小学6年生を低く見ているわけではありませんが、感情がまだまだ成長途中であるため、中学校・高等学校あたりならば、このような授業も可能なのかもしれません。

Q:小学校の複数科目担当制度廃止についての意見、感想はありますか?t2
Q:小、中、高それぞれの教員の大変な点はなんですかA2

A:小学校では、学習指導30%:生活指導70%、中学校は50:50,高校では学習指導80~90%:20~10%と考えられています。つまり小学校の先生は、教科を通して人格形成をメインにおこなっていると言っても言い過ぎではありません。教科の知識は人格形成の次ということです。ところが小学校まで受験指導が進み、教科指導をより強くしていきたいことから、専門の教科担当を置くという話になってきているわけです。1人の生徒を多様な学習を通して成長させるということがこれまで求められてきたわけですが、文科省や保護者などが受験指導に対する圧力を高めてきたことがこのような方向性を生み出したのでしょう。小学校における児童の成育のために私は教科専門性となることは、良くないと考えています。実際に、中学校・高校においても何十年前から受験体制を合理的に進めている学校に、多くの生徒が集中している現状があります。人としての成長が本来の教育の目的であったわけですが、よりよい学歴を手に入れることが現在の教育の目的になっています。それを教師も生徒自身も、保護者も,社会も望んでいるという歪みが、生徒児童に大きな圧力をかけている結果になっています。

Q:先生は、豚の授業についてどのように思いますか?L4
Q:小学生に命の尊さ、残酷さを問い直させることについて先生はどう思いますか。また、先生が今日の大学生について思うことは何ですか。X1

A:命の重さ、大切さを教えるために、多くの動植物などを育てることを小学校では数多くおこなっています(都市化が進み、動植物を育てることが難しくなっている学校も多いそうです)。個人的な体験ですが、私は祖母に小さい頃面倒を見てもらって、大人になっても遊びに行くととても良くしてくれました。大人になって感じることは、祖母から無償の愛を受けていたことです。とにかく可愛がってもらいました。もし私が悪いことをしても、「あなたは悪くない,相手が悪いはずだ」と私をきっとかばってくれたでしょう。命の重さや大切さを教えるためには、まず自分自身が誰からか愛されていて、必要とされていると感じることなのではないでしょうか。もちろん過保護すぎる愛は、良くない面も生み出しますが、少なくても小さい頃に両親や祖父母などから愛情を注いでもらう経験を受けた人は、他者に対しても尊重の気持ちを常に持っていると思います(個人的な感想です)。いじめが大きな問題になっていますが、いじめをおこなっている子どもたちの家庭状況や生育環境など今後の研究を待たなければなりませんが、いじめをおこなっている子どもたちは、相手を思いやる心を育てる機会がなかったのかもしれません。ぜひどなたか研究の対象にしてもらえないでしょうか。
 今日の大学生に対して思うことは、50年前の私が子どもだった頃より、とても豊かな生活を送っているということです。私が子どもの頃は、自分が働いて一人前になることが最大の目的で、勉強をしなければ貧しさを享受しなければならないという社会状況でしたから、かなり必死に勉強しました。現在、自宅があり家庭的にも豊かな家族生活を過ごして成長した大学生が多く(家庭の所得と学歴が比例していることは統計が証明しています)、未来に対して希望を持って勉強している姿はうらやましい限りです。ただ、その一方で貧困に苦しむ子どもが世界には数億人もいる現状を忘れてはならないと思います。貧困家庭の低賃金が、先進国の豊かさを支えていることを忘れずに、世界をより良い方向に変化させる努力をしていって欲しいと思います。

Q:幼稚園、保育園、小学生は特に、成長のスピードが違うと思うが、どのような工夫が必要か。T2
A:子どもの成長は異なる学年で大きく異なりますし、同学年のなかでも大きく異なっています。AIが担当できない仕事に学級担任があると思います。40人の児童生徒の心の成長の違いを感じ取り、その場その場に適した対応・言葉がけをしなければなりません。工夫としては、全体的に話をする場合も必要ですが、個に対応する面談などを数多くこなすことが必要です。面談でなくても、休み時間や昼休み、清掃の時間などなど私は特に意識して声をかけていきした。教育は個に対応したものでなければならないのですが、時間的空間的な制約などが全員一律の指導となってしまいがちです。(受験指導は、比較的画一的な指導が可能です)

Q:尊敬される先生像とは、どのようなものでしょうか?E3 
A:尊敬されるという語句の解釈が人によって異なるので、一言では難しいですが、やはり小学校(児童)では、自分のことをいつも気にしてみてくれる大人でしょうか。中学校・高校(生徒)ではロールモデルになる憧れの先生ではないでしょうか。厳しく部活を指導してくれる先生が尊敬される場合もあり、同じ先生に対してイヤな気持ちを持つ場合もあります。同様に優しく接してくれる先生が尊敬される場合と、厳しく指導ができない頼りないという気持ちを持つ場合もあります。一般的には、個人的に優しく接してくれる、気にしてくれる、相談にのってくれるなど、自分と先生の関係性が重要な要素になると思います。生徒によって対応を上手く変えることができる先生が尊敬される場合もありますし、対応を変えることがおかしいと思われる場合もあります。部活では、そのスポーツや芸術に抜きん出た能力を持っている先生がかなり尊敬されますね。
 ただ、先生の尊敬度というような調査をしたことも見たこともありませんので、なかなか断定的なことは言えませんが、休み時間や放課後に生徒が次々と訪ねてくるような先生は、生徒に頼りにされている様子を反映していると思います。

Q:命の長さを結局は人が決めてしまうことはしょうがないことなのでしょうか。 L2 
Q:全ての命は平等だと思いますか? また平等でない場合、その差はなんだと思いますか? T1 

Q:ブタがいた教室で、最後にPちゃんが強引に車に引きずられていくところを見て残酷で悲しくなりました。もしあの二択ではなかったなら僕は絶対Pちゃんをペットとして寿命が尽きるまで小学校で代々飼わせたかったです。それも命の教育だと思います。先生ならどうされますか?T1 
A:今回、最も難しい質問ですね。豚の命、鶏の命、魚の命、野菜の命(?)など 、命の定義がとても難しいですね。植物に命があると一般的に言わないところは、意思が見て取れない点なのでしょうか。基本的に命(生命)は最大限に尊重しなければならないと思います。ただ、毎日食べていかなければ私たちも生きていけませんから、他の生命体の一部を取り入れることは必要です(将来完全栄養サプリメントなどが開発されれば別ですが)。
太古の昔から動植物を食べてきた人類は食物連鎖の頂点におり、他の動植物の命の長さを決定して、平等に扱わない(有効に利用するかしないか)力を有しています。未来に、宗教上、栄養上、常識上、その他の社会的要因などで変化するのかもしれません。
 食用の家畜と、ペットとの間に、どのような違いがあるでしょうか?動植物から人が受ける愛情(のようなもの)の違いでしょうか。ペットはもちろんですが、植物を大切にしている人もその植物の命を大切にしています。動植物から愛情を受けていると感じている人にとっては、命の重さを感じていると思います。海外では、犬や猫を食べる習慣がある地域もあります。新潟県では戦争中食用うさぎを大量に生育していました。日本は鯨を食べることで海外から批判されていますね。食べるだけではなく、毛皮を取るためミンクもアライグマもキツネもウサギもムートン用ヒツジも殺されるそうです。また殺処分となるペットも毎年数十万匹もいるということです。どこまで考えてみても、答えの出ないとても難しい問題です。
 私が教師だったらこの授業の最後をどうするのか、これも難しい質問ですね。このままの設定とした場合、食肉場へ送ることを私が最初から決めて、その決定の責任を子どもには負わせないと思います(小学生にその責任を負わすことはちょっとコクだと思います)。討論するのであれば、この質問と同じように食用動物の命の重さは、命の長さは人が決めて良いのかをテーマにして討論させることが良いと考えます。中学生や高校生だったらどのような決定を下すのかも興味がありますね。
 私も子どもの頃、鶏を絞めている場面を見る機会があって、とても好きだった鶏肉(焼き鳥や唐揚げ)を半年くらい食べられませんでした。現実から目を反らしてしまうことになるかもしれませんが、現物の解体の場面を見てしまうと、圧倒的に食欲が無くなってしまいます。現代的な日本人の生活様式(食事に関して)が、動物の命を食べていることをいつの間にか忘れられています。これは良いことなのか、忘れることは悪いことなのか、もう一度考える必要があると思います。

Q:幼児教育が無償化されるということは、保育士や幼稚園教諭の給料は税金で支払われて、保育士や幼稚園教諭は公務員扱いになるのですか? 
A:無償化という定義は、保護者の負担がなくなるということです。結果的に税金で給与は税から支払われるということになりますが、雇用関係などは今まで通りなので、公務員扱いになるわけではありません(もともと公立の幼稚園・保育園の先生・保育士は公務員扱いです)。
 それにしても、幼稚園教諭や保育士の給与水準は低く過ぎます(介護士や看護士も低く過ぎます)。公立の給与を上げて行かなければ人材も育ちません。労働条件の水準も上げて行かなければいけないですね。

Q:子供が0歳や1歳の頃から保育園に入れてしまうのは、可愛そうではないですか?また、その後の成長に影響はないですか?E4 
A:0歳や1歳児が、母親と離れて過ごすことがどのような影響を及ぼすのか、いろいろ研究があるようです。ひとまず通説では、1998年厚生白書で「三歳児まで常時家庭で母親の手で育てないと子どものその後の成長に悪影響を及ぼす」というものを否定しています。可愛そうかどうかは、主観的な面が大きいようですが、悪影響がないと考えるのであれば、母親の育児を少しでも軽減できること、職場復帰ができることなどからメリットも多くありと思います。また、同年代の友だちや、保護者以外の大人との接触が多様な刺激になると思います。子どもはたくましくて、最初は母親と離れるときには大泣きしますが、すぐに慣れて泣くこと無く園に入っていきます。それほど心配しなくても大丈夫だと思います。