こんにちは 看護師セラピストのmihoです。

 

働き方は人それぞれで考え価値観は様々ということは前提のうえ

 

私のこうでありたかったことの夢が実現できたこと

保育園 小学校あがってどんな風に働いてきたか参考の1つになれば思います。

 

私は総合病院に12年勤めてそのうち

長女出産 次女出産した後育児短時間制度を利用して日勤平日勤務をしていました。

 

長女の時は終業時間を短めにしたスタイル 次女が出産してからは始業時間を遅めのスタイル

にしました。なぜかというと 長女と次女は同じ保育園に入れず

そもそも横浜市は当時保育園は激戦区 特に長女の保育園は人気だったので

余計に難しかったのです。(雇用証明書を育児短時間で申請しちゃったから・・・・)

本当は長女の保育園に入れたかった・・・・・(><)

 

長女の保育園も気に入ってママ達とも仲良かったのもありもう転園はせず別々の送迎を

アシスト電動自転車 前後ろに乗せて毎日送っていました。雨の日もちゃんとカバーつけて

保育園2件連れた後駅前に自転車を置いて 電車で移動というスタイルを毎日していました。

 

仕事は楽しく 特に次女出産後に配属された呼吸器内科外科病棟のスタッフはみんな優しくて

助け合いもあり 上司もユニークで優しくとく最高な環境で仕事ができていたのですごく幸せでした。

スタッフとして認めてもらって 褥瘡リンクナースの補佐をやって褥瘡予防の働きかけなど力をいれるなど

充実した病棟時代。それまでも出産前すごく自信をなくしていた時期があったので

その環境で看護師としての自己肯定感を取り戻せた気がします。

あとは自分に何があっても

お母さんなんだからしっかりしなきゃとより大人である自覚を持とうとしていた時期でもあります。

 

それでも勤務中しょっちゅう保育園から電話がかかって熱がでては鼻水からくる中耳炎の繰り返し

小児科と耳鼻科に何回もかかっていてとにかく落ち着かなかったです。

 

それでもスタッフがサポートしてくれたおかげでなんとかやっていけましたし

定時であがらせてもらえるよう配慮もすごかったです。

 

育児短時間制度が終わってからさすがに2つの保育園の送迎は厳しいと判断し退職

私が退職前整形外科病棟時代お世話になった

病棟看護師長とお会いし、たまたま持病のリウマチを診てもらうために

受診しにきたのを見かけたので 「わー久しぶりですー 」なんて話をして

私の退職の話をしたら その病棟師長さんはすでに退職して大学の看護学部の基礎看護学の教員になって

いて 「じゃあ 浅井ちゃん うちでお手伝いしてくれない?」と言われ

 

え?指導?ー---まじで? と予測しなかった話しがきて

退職後は非常勤単発で大学の演習講師をすることになったのです。

 

 

 

看護師4年目のこと

 

当時整形外科の病棟で働いていた時の出来事

 

変形性股関節の全置換術がメインの病棟

いつもの通り術後1日目

 

60代男性でした

申し送りが終わって病室へかけつけました。

 

先生がすでにドレーンを抜いて

歩行器に手を添えてベッドサイドに座っている状態。

離床の準備しなければとバイタルサインを確認 ガーゼからの出血確認

痛みの確認 動脈の触知確認 神経障害の確認 等々して

尿道カテーテルを抜去して 身体を拭き衣類を着させ

 

歩いてもらいました。

そこでその男性から言われた一言

 

「君は私を覚えているかね?」

と言われました。怪しい患者かしら・・・・とか戸惑っていると

その男性はなんと 小学生の頃にお世話になった

個人塾塾の先生だったことが判明

 

眼鏡かけて失礼な話し老けていたから名前も当時あまり意識していなかったし(なんつー小学生)

 

S先生とお呼びしましょうか

戸建ての個人塾 でかい犬が3頭いて隣でいっつもワンワン鳴き声が聞こえて

扉をあけると怪盗ルパンシリーズやシャーロックホームズシリーズとか本が

ずらーり(私は一切読まなかった とにかく少女漫画ばかり読んでいたので)

奥様もいてすごく仲が良さげな家族

年齢は父と一緒

 

S先生の塾の授業はハイレベルすぎて正直ついていけなったのですが

すごく熱心だったのは覚えています。

でもそのおかげもあって標準レベルまでいったのですが

 

言いまわしもすごく独特で

ちょいちょい怒られ (悪友とくっちゃべっていた私が悪い)

他のクラスでもなんだか怒りながら授業していたし

正直苦手なタイプでした。

 

母も塾の面談とかあった際「あの先生頭良すぎて何いってるかさっぱりわからなったのよね」

って・・・・なんですと?と思いました。

 

でも勉強関連のゲームをやってご褒美に

サーティーワンのアイスサンドがめちゃくちゃおいしかったのを覚えているし

すごく生徒思いだったのを覚えています。

 

そして私に当時きつくあたったのを謝ってきました。

いえいえとんでもないですと 

もう25歳だった私 看護師を目指したこと 結婚したことを伝えました。

 

そして結婚していたのにも関わらず私は苗字を変えていなかったので

→いちいち説明するのが面倒だったから

その翌日病棟の廊下に呼び出され

「何で苗字を変えなかったのかね?」とまた独特の言い回しをされました。

 

国際結婚したこと伝え夫婦別姓を選んだことを伝え

納得されました。

 

兄にその旨伝えると「先生らしい言い方だよねー」と言われました。

 

S先生は塾の指導は当時続けていたのでまた指導のために

アスリート並みに歩行訓練をガシガシやっていたのを覚えています(よく小学校登校時にランニングしていたので)

 

大人になった今となってはS先生の授業また受けたら楽しいだろうなと思っています。

また再会したいですねと数回年賀状のやりとりはしましたが、それからは会っていません。

 

地元からは少々離れている病院で勤めていたものでしたから

とても不思議な再会があったエピソードをお話しましたが

看護師4年目は私にとっては病院時代もプライベートでも

すごく思い入れのある時期でした。

 

 

 

 

 

 

 


静止画のつもりが動画へ😅


夜は長女との2人時間


2人きりでお風呂に入る 

髪を洗ってあげる

マッサージをする

一緒に寝る


というミッション 

長女は長女で小6で何かと言い返すようになったり それがまともで筋通ればいいけどって

私とのバトルはあります。


でも見ていてこの精神面の成長って加速していってるからすごいと感じます。


これが母娘関係の

新たなステップになりそうです。