三十三間堂 | azukiのブログ

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地下鉄烏丸線 五条駅を出たところで京都タワーと東本願寺が見えます。

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市比賣神社へ行くと桃の節句でお雛様が飾られていました。

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本殿では声を掛けてくださいまして、人型を奉納させて頂けるようでしたので、ピンク色の人型に名前を書かせて頂きました。2番手のようでした 

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天之真名井のお水
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仏師の系図を見ながら座学を受けて、三十三間堂に向かいます。 


正面橋は大仏殿があった残りで、ここから約19mの大仏が見えていたそうです。

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大仏前郵便局という名前が残っています。



橋を渡り真っ直ぐ進むと豊国神社があります。(大仏殿の敷地であったそうです。)

当時の境内は、現在の方広寺境内、豊国神社、国立博物館、妙法院、三十三間堂をも含む広大な敷地だったそうです。




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豊臣秀吉は1586年に大仏殿と大仏の造営を始める。
1595年に大仏殿がほぼ完成し高さ約19mの木製金漆塗坐像大仏が安置された。
翌年に起きた地震で開眼前の大仏は倒壊し、秀吉は激怒し大仏の眉間に矢を放ったと伝える。
2年後、秀吉は法要を待たずに死去した。

大仏殿は、奈良東大寺の大仏殿をしのぐ規模であった。

以上、Wikiより抜粋。


キラキラ  墨書き 

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春桃会の開催で拝観料が無料でした。

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春桃会では、千体観音像を特設の高壇から遥拝することができました。


午後から瀬戸内寂聴  の青空法話が開催され、縁日限定の女性専用「桃のお守り」が授与されていました。



御朱印を頂くと仏名帳を授かりました。

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安井金比羅宮、八阪神社へ御礼参りに行き本日の京都は終了しました。



お疲れ抹茶アイス  

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