『法界寺 』
薬師堂の向かいに辨財天が祀られていました。
京都市伏見区日野西大道町18
東西線石田駅下車
・真言宗醍醐派(通称 日野薬師)
藤原氏の北家にあたる日野家の菩提寺
地名の石田は、いわた⇨イワタの森があります。⇨いわた帯 (ご住職から由来のお祭りのお話しを聞きました。)
万葉集にゆかりのある場所のようです。
法界寺・日野薬師は1051年、日野資業(ひのすけなり)が薬師如来像・薬師堂を建立したのが起源です。
時代背景と仏像の造られ方や、特徴のお話しを聞いてから門を入りました。
拝観した仏像は、国宝・阿弥陀堂・ご本尊阿弥陀如来座像(藤原時代・寄木造)です。
※平等院・阿弥陀如来と似ているそうです。(まだ見ぬ仏像です)
(国宝・阿弥陀堂正面)
ご住職より解説を聞きました。
阿弥陀如来の印相は上品で水かきが見えました。
ふっくらとしたお顔と浅い衣紋は柔らかく優しい丈六仏です。
飛天の後背が光を当てると後ろの壁に天女が綺麗に映って見えました
天蓋も当初のもののようです。
漆喰の壁画の彩色も綺麗に描かれていました。
ご住職が、よく見えるように光を当ててくださり、薬師堂でも木戸を開けて頂きました。
本尊・重要文化財・薬師如来立像 約80センチ(平安時代後期)
西国薬師の38番霊場 wiki
*胎内仏があるため、子授け、安産のご利益があり、祈願すると女性の母乳がよく出ると言われ「乳薬師」と言われています。
(秘仏のため非公開・昨年ご開帳あり)
放映では薬師如来が少し映っていたそうです。
本堂は奈良県斑鳩町竜田にあった伝燈寺から移築されたのもです。
浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)は1173年に法界寺で生まれたと言われ、現在は真言宗醍醐派別格本山の寺院です。
るな塚(臍の緒を納める)と産湯の井戸の標記あり。
移動します
厚生山『恵福寺』
(こうせいざん・えいふくじ)
京都観光 ナビ☆
(境内の枝垂れ桜が名所になっているそうです)
鎌倉時代後期に法界寺の塔頭として創建され五百坪の境内があった天台宗の寺院だったが、現在は浄土宗。
応仁の乱からこの土地、日野は兵火に覆われ被害に遭い文献などは残されていないそうです。
御本尊は阿弥陀如来立像
(浄土宗の向かって左側の黒い法衣は法然上人、右側の紫の法衣は善導大師)
腹帯地蔵菩薩様が大きい (平安後期)
※お腹の前で裳のひもを結んでいるように見える安産祈願の地蔵でわ「腹帯地蔵」と称される。
両手が与願印なのは珍しいそうです。
石碑の解説も聞きました
室町幕府 八代将軍 足利義政の正室 日野富子、日野の場所のお話しを聞いて検索しました。