岩上神社(いわがみじんじゃ)
雨宝院の西の門近くに小さな神社が建っています。
二条堀川付近にあった霊石が岩上通六角辺りに遷された後、中和門院(ちゅうかもんいん・後水尾天皇の女御の一人)の屋敷内に遷されると怪異な現象が起き、気味悪がられて蓮乗院という真言宗の僧に頼んだところ、その僧によって現在地に遷り「有乳山 岩上寺」と称して祀られた。
子供に化けたという伝説に因んで「禿童石(かむろいし)」と呼ばれたこともあったという。
後に子育ての信仰を集める霊石として信仰され現在に伝わっています。
寺は、1730年の大火事「西陣焼け」・1788 の「天明の大火」で堂舎が焼かれた。
明治維新の際には廃寺となったが、大正年間に織物業の千切屋が敷地内に祠を構え、以降「岩上神社(岩上祠」となって今に至る。
現在中山神社がある場所では、「二条城造営の際に現在地に遷る」とあり、二条城の敷地内にあったことを示唆します