ちょっと間が空いてしまいましたが、勉強嫌いのメカニズム第二弾。

将来のイメージがない!というポイントを説明していきたいと思います。

 

 

★勉強をしたがらない子の傾向

①成績が悪い。

②将来のイメージがない。

③諦め癖がついている。

 

だいたいこの中で2つないしは3つ当てはまると勉強しない子ができあがります。
逆に言うとこれを一つでも改善すれば勉強に向かう姿勢としては劇的に改善される可能性があるということですね。
 
▼前回の内容はこちら!
 

勉強嫌いのメカニズム~①成績が悪いから勉強しない

 
ということで第二回行きたいと思います。
大事なのは原因をしっかり理解して対策をすることです!
 
★将来のイメージが無いってどういうこと?
さて、「将来のイメージが無い」とはどういったことでしょうか。
それは将来何をしたいのか、そして将来何ができそうなのかというイメージが具体化していない状態です。
 
★就職の幅
このお話をする前に将来の進路のバリエーションというお話をしましょう。
さまざまな地域を見てまいりましたが、将来に対して子どもたちが与えれた選択肢の幅は偏差値中位層が最も広くなります。
※広いから良い、狭いから良いという話ではありません。
※一般的でない人生を歩む人は除きます。
 
私の感覚ではこんなかんじ↓↓
偏差値下位の高校に進学した場合職業選択の幅は比較的ありません。
高校の就職斡旋の中から仕事を選ぶかフリーターか専門学校から就職できる仕事という感じになります。
 
偏差値上位の高校に進学した場合はほぼ進学一本となります。
大学進学後の方がもちろん高卒よりも職業選択の幅は広いですが、最大ではありません。
大卒を望まない企業や職種、地域があるためです。
 
「え?4大卒なんですか?いやいやうちなんて」
「県外の大学!?書類審査で落としとこ…」
 
実際地場の零細企業に国立大卒の人間が申し込むとよくあります。
 
これに加えて高校時代日本人独特の同調圧力がかかります。
 
子ども同士「え?おまえ大学いかねえの?ないわー」
親同士「おたくはどちらの大学を受験なさるの?」
※上位校になると大学名は言わずに学部で志望校の話をするようになります。
 
つまり、上位校に行けばほぼ確実に進学せねばならず、大学に行けば大卒の着く仕事にしかつけなくなるということです。
もちろん強い意志を持って学歴を捨てるということはできますが、自分はそうしたくても社会が認めてくれない場合もあるということですね。
 
で、幅としては中位校が圧倒的に自由度が高くなります。
就職する生徒もいる、専門学校に進学する生徒もいる、大学に行く生徒もいる。
大学の中でも、大した大学には行けないじゃない!ということはなく、例えば学歴最上位者の代表例である東大から官僚というルートだって、塾の立場からすれば全然不可能ではない。(ただし死ぬほど苦労はします)
 
幅としては中位校が最も出てくるわけですね。良いか悪いかというわけではなく、です。
細かい偏差値40台後半はどうなんだとかの話はできますけど割愛しますね。
 
さらにこれは都会度でも同じことが言えます。
まずイメージが簡単な田舎に行くと企業が少なくて職業が選択しづらいという点。
これは間違いありません。
進路指導をする上で地方都市まではこんな王道のテンプレがあったりします。
 
★地方でよくある進学から就職までのテンプレ
偏差値トップ高校➡旧帝大その他➡県外の大手企業
偏差値上位高校➡地元国立大学➡地元インフラ・地銀
偏差値中位高校➡地元私立大➡地元有力企業
偏差値下位高校➡専門学校➡地元中小企業
 
もちろん都市や学校の規模・特徴によって県外進学率は変わってきます。
が、首都圏外の人は概ねイメージはできるんじゃないでしょうか?
 
で翻って大都市圏。
大都会では仕事がたくさんあって、職業選択の自由がたくさんある!というのは実情ちょっと異なります。
まず圧倒的に受験状況が違いますよね。
小学校受験・中学校受験・高校受験の数が違います。受験者数が違います。
そしてこの合格者たちはほぼ進学ですよね。
 
また大学の数、大学に行く人数も違います。
でもだいたい大学卒業後に都会から離れずに就く仕事はイメージができる範囲ですよね。
行く大学によって就職先の企業のグレードが決まるというのは学歴社会じゃないと言っても事実あります。
 
で、中位の都会度を持った地域がなぜ幅が広くなるのか。
それは「上京という選択肢も一般的」だからです。
田舎においてイメージできる上京はせいぜい県庁所在地、行って地方中枢都市までです。
 
地元にあっては地元テンプレ。上京すれば都会テンプレ。
そんな状況にある中位程度の都会の子どもたちが最も「幅」は広くなります。
※ただし偏差値と同様、都会テンプレに行くためには都会に住んでいる子どもたちよりもハードルは上がります。
 
子どものために大都市圏に住んでいる親御さんたちも、偏差値の高い学校に進学させたい親御さんたちも本音はこうのはずです。
「一定のレベルの企業などに就職させたいから大都市にいなければならない」
「一定のレベルの企業などに就職させたいから偏差値の高い高校に行かなければならない」
 
※子どものために大都市圏に住んでない人は違いますよ。
 
ということで偏差値と都会度と就職の幅には差があるというイメージはお持ちいただけましたか?
 
子どもにはわからなくても大人なら納得してもらえると思うお話かと思います。
 
★子どものイメージできる幅が勉強姿勢を変える
まず大事になるのは上記のような自分の人生のルートの幅をイメージできているかどうかなんです。
子どもたちに何になりたい?と聞くとyoutuber!と応えるご時世ですが、実際本当にそう思っている子たちは一握りで、中高生になると将来は「理学療法士っす」とか「看護師です」とか「保育士です」とか「インストラクターっす」とか言い始めます。
これは自分の持っている幅の中から選択をしているわけです。
 
お話を戻すと勉強嫌いになる子の特徴というお話。
勉強嫌いの子は、「強烈な将来像がなく」「この幅が無い、もしくは異常に狭い子ども」に多く見られます。
 
強烈な将来像とは、絶対将来メジャーリーガーになるんだ!みたいなものだと考えてください。
まずこれがない。将来は?と聞いたらコロコロ変わる。
これだけなら普通の子です。
ここに「将来像の幅が狭い」が加わると危険な状態になりやすくなります。
 
例えば極端な話こうです。
「将来は親父のような仕事につかなければならない。それが親の望みだからだ。
しかし俺はそれをやりたいとは大して思わない。ただ親不孝者ではないだけだ。」
 
この子がその仕事につくために大学を目指し、今勉強をしっかり頑張れるかと言われたら…
まあ無理はしてますよね。
 
これに①の成績が悪いが加わると、嫌いになる理由がわかります。
 
「将来は親父のような仕事につかなければならない。それが親の望みだからだ。
しかし俺はそれをやりたいとは大して思わない。ただ親不孝者ではないだけだ。
正直勉強は苦手だ。自分なりに期待に応えようと真面目にやっている。
だがどこがわからないのかもわからない。周りは勉強しろ勉強しろと言う。」
 
これで好きになれは無理がありますよ…
3つの要素のうち一つだけなら嫌いにならないけれど2つないしは3つ重なると嫌いになるというのはこういうことです。
 
うちの子はそんなことはない!と思われるかもしれませんが、年間直接100家庭以上と面談し、部下に1000家庭以上毎年見させてきて色々聞いてきた経験上…少なくないですよ。多かれ少なかれそうです。
 
極端な話をしましたが、多かれ少なかれあります。
強烈な将来像があればいいですが、それができなくても恐れることはありません。
幅が広がっていることをしっかり教えてあげたらいいんです。
あなたの未来は光り輝いている。ワクワクしてよい。ここからここの幅の中から自由に選んでいいんだ。と。
 
★なぜ子どものイメージできる幅が少なくなるのか
親世代の多忙が最大の原因です。
子どもに社会を見せる経験をさせていない。
 
あんな仕事いいよね。こんな仕事もあるよね。
そんな話をお子様としていますか?
 
私は受験生以外の学年の保護者さま、特に中1と中2の保護者さまにはずっと言ってきました。
夏休み、夏期講習もいいけれど、休みの日に大人の仕事をたくさん見せてやってくださいと。
ハワイに連れていけとは言いません。飛行機に乗せろとも言いません。
親子で堅苦しくなく将来の仕事の話をする機会を設けることが大事だということなんです。
 
今それを外から伝えてあげないと、子どもたちにその経験が不足していることに気づけないくらい、大人に余裕がありません。
 
子どもたちは自分の知っている範囲でしか将来を選択できません。
なので一番最初に来るのは親の仕事です。
 
うちの長女は
「じいじとばあばみたいに学校の先生になりたい」「パパみたいなパソコンの仕事がしたい」と言います。
色々見せていると思ってもそうなんです。
(次女は飛行機に乗せたこともないのに3歳でパイロットになると言いますが笑)
 
経験が足りなければ子どもたちは将来は親と同じものしか選べません。
思春期の親にアンチな時期にそれをするために勉強するのは苦行でしかありません。
極端な例のようになってしまう可能性…否定できませんよね。
 
でも、たくさんの仕事を知って、見てきた中から親と同じ仕事を選ぶなら自分の選択です。
それって素敵なことだと私は思います。
そしてそれは小さなころから魅力を伝え続けることで仕込みができるものでもあります。笑
 
★いつだって遅くはない
いつだって将来の幅をイメージさせてあげることは遅くありません。
でも、相手にも感情があるものなので、遅くなればなるほど膝を突き合わせて向き合わなければならなくなります。
小さいころからであれば、気楽にあれもいいよねーこれもいいよねーで行けます。
高校生になるとそうはいきません。何を目指すか真面目に話をしよう。となります。
そしてそれはうまく折り合わない場合もあるわけです。
 
最近こんな保護者さまのお言葉をいただきました。
「おかげさまで子ども(高校生)と将来の話を真面目にする機会を初めて持てました。こんなことを考えていたなんて全くわかりませんでした」と。
私からは進路を決める時期が切羽詰まっている(高校2年生春)。本人の意思を確認するチャンスは文理選択前しかない。
親子でしっかりすり合わせをしておかないと最終的に望まない進路を選ぶ可能性がある。と伝えて話し合いをしてもらっただけです。
結果としては親子ともニコニコの結論になり前向きに勉強できるようになりましたが、危なかったと私は思います。
親子で言っていることが全く違いましたから。
 
★結論
将来のイメージは、将来何になれ、というだけではありません。
将来自分にはこんな可能性がある。
その可能性を広げるためには勉強は非常に有益である。
 
それが勉強嫌いにさせないポイントのその2、というわけですね!
 
※本文は大いに私見です。根拠はありません。経験則です。エビデンスを調べる気もないです。信じるも信じないもあなた次第で、ご利用は計画的に!笑

今日は勉強嫌いな子の理由その②を書くぞー!と思っていたのに、

娘を保育園に送っていった帰りの車の中で流してたスッキリでこんなコメントが。

 

「大学なんて高い授業料取ってオンラインしかやってない」

 

オンライン教育の是非を言うネタ中の発言ではなかったけど、すごい違和感が。

 

オンライン教育はなぜ悪者扱いされなければならないのか。

 

上記の発言でわかることは

「オンライン授業は品質が悪い」

「生で箱の中でやる授業に勝てない」

というイメージがあるということですよね。

 

これを今日もエビデンス無く考えてみたいと思うわけです。

 

◆大学が今ヤバい理由とオンラインって大学から見たら無関係ですよね?

 

これって私の知る限りメディアでもそうなんですが、授業品質の話は一つも出てきてないと思うんです。

オンラインになったから知識の獲得、提供の仕組み上大幅にクオリティが下がった。

聞いたことないんですよね。

 

オンラインばっかりで画面で疲れるとか、人と会えなくてつらいとか、生活費や学費が稼げない…これはわかります。

でもそれって大学のサポートすることなんですかね?

 

そう思う人がどういう考えなのかわかんないんですが、大学って本質的には「大学生の今の生活を豊かにしてくれる施設」じゃないですよね?

「学生の能力を向上させ世の中に役立つ人材を輩出する施設」もしくは「最有力資格の"大卒"をゲットできる施設」ですよね。

 

であれば大学の授業のクオリティが下がらなければ問題ないはずなんです。

 

なのになぜ大学が一般的に「オンラインなんぞ」という扱いをうけなければならないのか。

 

「大学は授業料もらってるんだから大学生の生活を保障するべきだ!」なんて考えてる人間がいるとすれば、あなたちゃんとした大学行った方がいいですよっていうレベルだと思います。

※全寮制のスポーツ推薦などは別です。それは保証するべきだと思います。

 

私が入学したときに入学式でこんなことを言われました。

「我々は最高学府の所属員である。入学した今この時から皆さんは習うためにいる人間ではなく研究者である。」

不良学生でしたけど、入ってよかったと思えたスピーチで今でも覚えています。

 

大学生のメンタルケアや生活のケアは必要です。

でもそれは大学のやるべき本質ではない。やったとしたら大学側の善意です。

求めるものじゃない。私はそう思います。

ぶっちゃけそれは高校もそう。豊かな高校生活の保障を学校がするのは本質的におかしい。

学力や運動能力や芸術の力を伸ばしさえすれば良い。

 

いやいや授業品質がーって言うんなら、

オンラインだから寝ちゃう授業は、オンラインじゃなくても寝てますって。

 

◆高い授業料とオンライン授業コストはちゃんと計算してからモノを言っていただきたい。

 

オンライン授業が安いと思っている方々たくさんいますよね。

 

じゃあオンラインのオの字もわからない教授でも使えるオンライン環境整備にいくらかかるかわかります?

専門業者入れて機材設置、テスト、マニュアル作成、保守システムの構築などなど…

それを何十万人という人のために作るなら安くもできますけど、一つずつの授業について言えば1年で見るのなんて1000人いないでしょ。

 

箱があって、そこにぶらっとチョークと本持ってやってきて2時間講義して帰っていくほうがよっぽど低予算なんですよ。

 

たとえばうちの授業映像なんでLIVEじゃないんですよ。っていう人。

映像作って見られるようにした時点でお金かかってるんですよ。

特定の生徒が見られるようにログインシステム導入して、そこに動画アップするスタッフ雇用して…

 

例えばその動画を5年10年と繰り返し見せているとすればさすがに元取っただろこれ!ってなりますけど、

コロナが出てまだ2年。そんなにこすってないでしょ?

 

オンラインのくせに高い!と思ってるならそれは違います。

文句を言うなら、「そもそもちゃんとしたモノ作れ」であって「オンラインが悪い」じゃないんですよ。

 

あとこれも考えてくださいよ。

大学の授業…もともと黒板に何にも書かずに自分の書いた本を朗読(笑)して終わる先生いましたよね。

そもそもちゃんとしてないっていう笑

 

大学の授業品質がオンラインだから下がった。

これがあるとすれば大学側の授業提供に怠慢がある場合。

でもそのレベルの大学ってもとから授業はしょぼいですから!!!!!!笑

 

【まとめ】

授業品質に差が無ければオンラインLIVE化したら基本的にコストは上がります。

映像授業でもコロナの影響でスタートしたとしたらまだ全然製作費回収できてないです。

そもそも大学は知識や経験を提供してくれるところ。生活を保障するところじゃないです。

 

「大学は高い授業料を払ってるのにオンラインしかやってない」

視聴者いっぱいいるところで間違った言い回しを使わないでいただきたいものです。

 

ICT教育関係者にとって非常に迷惑です。

 

ただ…

◆なぜオンライン教育は品質が低いと思われるがちなのか

これは本当なんですよ。品質低いと見られがち。

 

実際私のところに相談に来るお子さま保護者さまについても、他のオンライン塾でひどい目にあって相談に来られる方めっちゃ多いです。

 

講師が授業すっぽかした。ほとんど話をしなかった…などなど。

あり得ないような品質の塾授業がたくさんあります。

 

これは否定しません。

高品質なオンライン授業を探す方が難しいです。

 

あと義務教育のGIGAスクール活用とか高校のオンライン授業とか、品質が自治体ごと、高校ごとにすっごい差があります。

で、ひどいところは本当にひどい。

小中に関しては授業品質とは別に人格形成が入ってくるのでそれこそ大学とは違い勉強だけじゃないっていうところで完璧なオンライン教育提供環境を間に合わせるのは至難だと思います。ここ政治だよなーとも思います。

 

この辺があるのでオンライン評判悪いんですよね。

 

業界的に見たらオンライン教育はブルーオーシャンなんで、玉石混淆です。

 

結論。

子どもたちに良いものを提供できるよう私も頑張らないとなあと思いました。

計算ミスとは、確実に解けるはずの計算を間違えることで誤答をしてしまうことを言います。

 

ここで大事なのは「確実に解ける」です。

 

計算力とはスピードと正確性。

 

本当の計算ミスというのは何か。

九九を間違えること。2-1を間違えること。これが計算ミスです。

 

そのミス、本当に計算ミスですか?

 

正確性が無い状態で計算を間違えることはただの「間違い」です

 

正確性が何かを考えるときに、こう考えてみましょう。

なぜ私たちは九九を間違えないのか。(間違えがちな人はごめんなさい汗)

 

それは小2もしくはもっと前から何千回、何万回と繰り返してきた動作だからです。

同じように一桁のたし算と一桁のたし算を間違えないことも同じです。

 

では小学生が3桁×2桁のかけ算を間違えてしまった場合、そこには何の問題があると考えられますか?

 

見間違え?では、あなたは九九を見間違えがちな人なんですね。

おっちょこちょい?では、あなたはおっちょこちょいで3-2を間違えるんですね。

 

原因は簡単です。

反復不足。精度が上がっていない。

 

本当の計算力が欲しければ何にも考えずに手が動くだけで計算ができる感覚まで持って行かなければいけません。それは高校の因数分解も同様。

 

そろばんを習ったことが無くても計算力の高い人間は二桁+二桁のたし算くらいは即答します。

理由は1+1から99+99まで答えを全て暗記しているからです。

それは暗記しようとして暗記したのではなく、何千回、何万回と計算を繰り返した副産物です。

 

ぜひ試してみてください。

 

で、大きな勘違いをしている人たちがいます。

ミスを無くそうとしてたくさん問題集やドリルをやってる人。

根本的に考え方が間違っています。

類題をたくさん解いてはいけません。

ミスとは何か。

ミスとは解ける問題を間違うことです。

解けないかもしれない初めて見る問題をたくさん解いてもミスか間違いかがわからないんです。

 

正しくは、

同じ問題を10回やって10回間違えなくなるまでやる。

 

これが正しい計算力の付け方です。

 

机の上を見て散らかしたプリントや一回やって終わった気になっている問題集やドリルがたくさんある人。要注意ですよ。

 

正しく計算力を身に付けましょう。

 

あ、最後に電卓あるからいいじゃんという人。

きっと関数電卓などではなく普通の電卓を想定しているんだと思います。

人生における計算が電卓の方が早いレベルで終わる方はいいと思いますよ。

でも日常生活の小銭計算のレベルでも電卓出しますか?

仕事でも計算力ない人は「数字弱いんで」とか言いますが、数字弱い人はだいたい仕事できないです。

最低限の計算くらいできた方が生きる上でも良いと思いますよ。

 

※なお計算は反復なので大人からでも身につきます。ご老人の方々の計算ドリルを楽しんで計算能力を向上させている姿を見てください。