霊符はどこから伝えてきたのか?道教の文献によって、霊符は元々雲の流れに結成したものだと言う説があり、《雲笈七箋》の七巻には“自然のまま浮かぶ気の流れが、天に字を結成し、一丈余り、諸天内に聳え立ち”と言われ、それから神々から人間界へ伝えてきた。故に霊符をを書く文字はまた“てん書”、“龍章”、“雷てん”等に呼ばれている。
霊符は外在の“図形”と中に流れている“精気”に組み立てられるものである。
“外在の図形”と言うのは我々現在使ってる文字のように正しく書けば意味がするものである。それは、“道”という全ての源との契約の証拠であり、偉大なる神から受けた三界を指揮、鬼神に号令を下る権限の象徴でもある。故に霊符の“外見”は非常に重要な部分である。
霊符を書く文字は“符字”と呼び、“符字”と“霊符”は両方とも独特な発音があり、その発音は“符音”と呼ぶ。そして“符字”は八種類があると言われ、“即ち一“天書”、二“神書”、三“地書”、四“内書”、五“外書”、六“鬼書”、 七“中夏書”、八“戎夷書”であり、“八顕”と呼ばれている。霊符は“符字”と他の星図や神像、厭勝物などの元素の組み合わせに構成されるもので、その元素の意味さえ分かれば霊符の仕組みは明らかにできるし、自由に用いることができる。《太上洞玄霊宝素霊真符》の上、巻に“霊符は、皆字があり人はその字が分からない、分かる人がいれば、万霊を呼び寄せ、鬼神を使役し、精通しないのもが無き”と言われていた。故に霊符は以上述べた様に、“符字”を主的な元素として組み合わせたものを明らかにする。簡単な霊符は一つか幾つの簡単な“符字”に構成される物だが、複雑な霊符は幾つの“符字”を重ねて、他の元素を加えると、非常に読み解きにくいものである上、道教の派別によって、霊符を構成する元素の形も不一し、元素の組み合わせ、成り立ち、書く手順、上下左右の順位も異なっている。そしてその書き方は各派別内に秘伝されていて、それ以外の人には殆ど見せはしない。そして、相当の数の霊符は、その外見だけを見ると、あちこちが墨に塗り重ねていて、墨だらけにしか見えないとか、どこかで大きな墨丸が描かれているとか(私が書いた法教霊符は例)、そしてシルエットみたいな神像とかのわけの分からない霊符の内容を解読するのは殆ど不可能なことだが、実はそれが分析で読み解けるものだ。ただし、それを分析するには、かならず書く過程を追跡しか手がない。こういう墨だらけの霊符は、中国の宋朝からの雷法の諸派別によく秘伝されている。
小乗霊符を書くには、その符形は全てである。一筆一筆で書く筆画は決められた意味があるからだ、そして筆画に合わせる呪文を唱えなければならない、故に正統な伝承がない限り見本だけがあってもそれを模写するものは霊符とは呼べられない、見本は既に完成したもので、霊符を書く手順や、筆画の流れに含まれる力の意味さえ分からず、合わせる呪文も知らないまま描いたものは効果が発揮するはずがない!鬼神を使役する霊符は瓢箪を見てひさごを書くような簡単なものではないからだ。
霊符は派別の伝承、威力の大小の異なりによって、見かけの様式もそれぞれである。霊符はその曲げようも無い巨大な力は人々にとって、不思議で神秘な存在であるから、科学が高度発達の現代にもそれに興味を持つ人々が多いし、信者も少なくない。いずれにせよ霊符に対する信頼、熱愛と敬虔は変わらない。そのため霊符を頼ったり自らそれについての知識や本を探したり、集まったりする。勿論その中にいい伝承を受ける人が多いだが、そのお陰で霊符という文化は今日まで継承してきたが、一方、眼中に神様なしの“霊符達人”にいい稼ぐチャンスを与えた。彼らは“宗師”、“山人”、“居士”などの看板を揚げて偽霊符作ったり霊符の本を編纂したりするようなことで儲かっている。これは信者たちの信念を減らし、熱意を冷めさせるだけでなく、道教霊符に泥を塗ることにもなっている!霊符の図案には独特な規律があるので、学んだことある人は符の構造が分かり、真偽の見分けはしやすいものである。よく見られる捏造の霊符は千篇一律上には三つの点、下は“勅令”(またはある神様の勅令)、左右には二本の幾つの丸がついてるせんか組み合わせた枠のようなものの中に願いことを書き込めて、最後に罡煞と“符脚”で完了。これで少し頑張れば一日中沢山の“霊符”が完成できるし、一週間頑張れば一冊の“霊符秘本”が編集済み。。こう言う状況は霊符が流行する中国の台湾と香港ではよく見かけることである。