予感的中!!夜の街を激走 | ちょいワル親父の荒くれブログ

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ペタしてね


日曜東三河を制覇した俺は


浜松城でスタンプを押したときに

気がついた事がある

それはインクがきれかけていたのだ

浜松城は人も多く

沢山の人がスタンプお押したのだと分かる

今俺達が集めたスタンプ帖は

12コース中10コースだ

武将のふるさと尾張の史後/めぐめる

清州越四百年ゆかりの地をめぐる

この二枚だけが

今だ手に入って居ない

この二枚は名古屋市内メインだから

もしかすると

もうスタンプ帖が無くなって居るかも

・・・・・・・・

俺達は次の日

仕事を終え

神社か寺ならもしかして

夜でもスタンプ置いてあるかと思い

取りあえず

大須観音にむかい

夜の街を激走した!!


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到着

おおおおおおお

電気が付いてる


大須観音


やっているではないか!!

かつては美濃にあったが、

名古屋開府に際して家康が現在の

大須に移した。

正式名は

北野山真福寺宝生院であるが、

地元の人たちからは

「大須の観音さん」と呼ばれ、

親しまれている。

国宝に指定されている

日本最古の古事記写本をはじめ、

重要文化財の将門記などを

蔵する古刹である。

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急いで階段をあがると

スタンプが置いてあるのが見えた

しかし!?



ええええええええええええ


えええええええええええええ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

俺は愕然とした

スタンプ帖が

無い叫び


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サワ坊が

坊さんに聞くと

一枚だけ有るから

これあげると

貰って来た

サワ坊はここで

スタンプゲット


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地図をみたら

まだ歩いて行ける場所に

一か所あるから

そこへ行ってみることにした



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商店街の奥に有るみたいだ

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万松寺



清正が名古屋城築城の際に

滞在したといわれる。

かつて万松寺は、

現在の名古屋市中区錦から丸の内の

あたりに広大な受領を持っていたが、

名古屋城築城の際、

現在の大須に移転。

大須に移ってからも

広大な受領を有し、

尾張徳川家に信仰された。

幼少期、織田家の人質となった家康が

6歳の頃に万松寺で過ごしたといわれている


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なにやら

祭りをしていて

凄い人だ

こんなに人いるから

ここも無いかと

行ってみたら

案の定

スタンプ帖は無かった叫び

坊さんに聞くと

ありますよっと

奥から出してきてくれた

やっと

手に入れることができた

スタンプポッチっとな

手帖手に入れたから

急いで大須観音に戻って

大観音のスタンプも押さないと




・・・・・・・・


・・・・・・・・

真っ暗だ叫び

大須観音終了してました叫び

いちよう上まで登ってみると

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おぉぉぉぉ

スタンプだけは置いてあった

良かった得意げ


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残りは後一枚だ

帰り道に

若宮八幡社もあるから寄ってみよう



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若宮八幡社

真っ暗だ叫び

若宮八幡社は、

文武天皇朝である

大宝年間(701~704年)

に現在の名古屋城

三の丸の地に創建されたといわれる

歴史ある神社。

名古屋城の築城の際、

家康が現在地に移し

名古屋総鎮守とした。

また、現在の社殿は昭和32年

(1957)5月13日に

造営復興されたものである

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でも坊さんに聞いたら

スタンプは置いてありますよって

探すと置いてあったにひひ

ここで三つ目のスタンプポチっとな


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なかなか良いペースで

進んでるから

12コース制覇出来そうだ


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もしかして思い八事にも寄ってみた

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ここは置いていなかった

夜はココ来るのはなかなか怖いかも


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まぁ取りあえず

一枚はゲットできて良かった

俺達の冒険はまだまだ続く