ここは


現実で私の周りは誰も知らないので


何でも素直に書ける。


秘密の居場所。



明るくてサバサバしてて、


親切で優しくて厳しくて


頼り甲斐のある人。


現実の私。



でも、それも本当の私。


人の役に立てたら嬉しいし


曲がったことは大嫌い。


話を聞いてあげて相手が楽になったら嬉しい。


みんなから頼ってもらって嬉しい。



でも


私が今生きてるのは


息子がいるから。


息子は14歳。


私は32歳。


7年くらい鬱病だけど


自殺したら傷を息子に見せてしまう。


私が死んだら息子は悲しむし苦労する。


その事を考えたら


せめて


息子が就職して


自分の家族を持つまで生きなきゃって思って死ねないでいる。


逆に


そのおかげで生きてきた。


本当に頑張った。


辛かったけど生きた。


でも


息子も息子で頑張ってるだうし、苦労もかけてきた。


私の勝手で息子に迷惑をかけたくない。


ちゃんと教育して自立して欲しい。私がいなくなっても大丈夫なように。




いつでも


常に死にたい。



幽霊も宗教も信じてない。


親が創価学会だからかな。


仲も良くない。




私が死んだら


息子は親に引き取られる。


創価学会に入れられる。


・・・・それでも幸せになれるのかな。


息子が幸せなら何でもいい。。。



私の子供時代


両親はいつも家にいなくて


おばあちゃんに育てられた。


父は仕事と飲み。


母は創価学会と浮気。


私の兄弟は生まれてすぐに死に


精神的に落ちた母は幼い私に


「あんたのせいだ」って言ってた。



大好きなおばあちゃんが死んで


母は言った。


「おばあちゃんはあんたの事が嫌いだったのよ」


ショックだったけど信じない。


嫌ってた祖母に私を任せて夜遊び行ってたのかよ。


おばあちゃんは私を愛してくれた。


最初はどうだったか知らないけど


絶対に愛してくれた。


15歳でおばあちゃんが死んで


私には何も無くなった。



17歳で妊娠して


家出して出産しても


そこに聖教新聞が届き


遠い東京に引っ越してからも


やっぱり聖教新聞は届いた。


母の計らいで。



近所の創価学会の人も家を訪ねてきて説得しようとする。


公明党の宣伝(お願い)も来る。




私よりもつらい環境の人は山ほどいる。


だから


私も強く生きなきゃいけない。


子供がいるから、なおさら。


私一人なら、いつ死んだっていい。


生きなきゃいけない。


幸せな思いをさせてあげたい。


美味しいご飯を食べてほしい。


学校から帰ったら「おかえり」って迎えたい。


電気の付いてる家に帰る温かさを知って欲しい。


出来ることを全部したら


私は


やっぱり


死にたい。



元気に孫の面倒も見てあげたいけどね・・・・・・・。