宗教二世オフ会に参加して、お話を伺っていたなかで、「宗教から出ることになった。今となっては何とかして“覚醒”(信仰から完全に抜け切る事、“マインドコントロール”から解放されること)して、これからの人生を全うしたい(一部脚色)」とお話しされている方がおられました。
大学に行ったり、哲学書を読んでみたり、元宗教二世の方が書くブログを読んでみたりと、とにかく色々やっているが、一向に“覚醒”できないとのことですが、それはそもそも簡単な事ではないと私は考えます。
これまで、信仰や活動の度合いもあるでしょうが、宗教の中に生活があった方ばかりだと思います。どっぷりを超越したレベルであったわけです。しかも「不信仰」は容易に絡みつく罪との事で、疑う事なく成長の一番コアな時期を、わき目も振らず100%で過ごして来られた方ばかりだと思います。
私は排斥されて20年以上経ちましたが、未だに月一で宣教活動をしている夢を見ています。(大概宣教活動に必要なアイテムの何かを忘れてしまい慌てふためくオチなのですが…)こんな状態なので、私は“覚醒”を諦めています。
強いフレーズの文章(「良心の危機」のようなもの)を読む事もしていません。自分の半生が無駄だったと感じたくないからです。むしろ、「その時代があったからこそ、今がある」ぐらいでありたいと思っています。
そのために私の場合は、「宗教の中にあった私の人生」から、「私の人生の中にあった宗教」ぐらいのものとなるよう、この「有限の人生」をいかにオリジナリティ溢れるものにしていくのか、日々チャレンジし続けているようにしています。
具体的には、「10年前の自分には絶対予想されない自分になる」というものです。それはもう忙しいです。とても“覚醒”という作業だけに時間を割いている暇はありません。だって永遠だと信じて疑わなかった命があと40年少々しかないんですよ!?(笑
実りあるものに時間を割いていくのはどうでしょうか。日記のようにブログを書くのはいかがでしょうか。忙しくも楽しい人生を送れば、ON、OFFのようにカチッと音がして煩わしい過去が消えるわけではないのですが、割合は着実に他に圧倒されて相対的に小さくなると思います。そして過去のブログを振り返った時、意外と前進しているのに気づけるかもしれませんよ?
また、これはいい方が極めて不適切であること承知で言いますが、アルコールや薬物依存性である人が、その改善を図るために集う集会があります。この集会の主たる活動は依存性だった時の自分、抵抗虚しく手を出してしまった自分、頑張って今日一日離れられた自分など、とにかく同じ境遇の人達の前で、匿名で自分の話をする、というものです。この時、他の参加者は決して他人の発言を否定しません。そんな会です。これを何十年と続けて、これからは少しでも明るい人生となるようにと励んでいます。
是非、オフ会(今はzoomですが)に参加して同じ境遇のみなさんと話をしてみて下さい。私がそうですが、どれだけ愛している妻でも、信仰を持ったことがない人なので、その領域についての話だけは圧倒的に相互理解を欠いたものになります。だからと言って、ひとりでモヤモヤしていると長い時間を離れた組織のことで頭をいっぱいにさせてしまうのではないでしょうか?それでは改善に時間がかかります。
自分の事を話す。言葉にして発信する。リハビリ的な感じですが、副作用も小さいと思いますよ。
焦る事はないですし、焦って考え込んでももいい事はありません。
むしろ、“覚醒”にこだわる必要はないと思います。「目が開けた」というのも、それはそれでなかなかにショックが大きかったと、アダムとエバという人が言っていましたよ?(笑。
ではまた。