誰がために鐘は鳴る
今回はヘミングウェイ著、「誰がために鐘が鳴る」より感銘を受けたので、以下に記したいと思います。いつも何かの作品や映像に触れてそれを文章に残す時、とても速く書いてしまう。おそらく、その作品から受けた感銘により、思考や感情が先走ってしまうからだと思う。でも今日は違う。しっかりと言葉を選びたい。この作品では、多くの人が死んだ。戦争というものの中で。憎いやつ。死んでほしくないやつ。どうでもいいやつ。人が死ぬたびにそいつの事が走馬灯のように頭を駆け巡る。宗教、権力、領土、そんなもののためにアイツが死ぬ。大切な人が死ぬ。それが戦争であり、この世界なのかもしれない。この物語の戦争シーンでは、人はどこまでいっても人だ。その優しさも冷酷さのも生々しさが溢れ出ている。 死ぬかもしれない、生きられないかもしれないと感じた時、その人の人生は輝く。主人公のロバートは『この三昼夜が俺の人生だ。』と何度も心の中で繰り返した。人生は長さじゃない。大好きな人と一緒に過ごせる時間が一晩でもあれば人はその時間を自分の人生にできる。ロバートは強いと思った。この作品では、ほんの数秒のことが何ページ、それは言いすぎかな、何行にも渡ることが多くて人々の緊張感がリアルに伝わってくる。クライマックスになるほど、人の表情、におい、操作する銃の一動作においてでもかなり細かく描かれていて。その緊張感が読者に『生きる』ことは何かを説いているように思う。いま、いま、いま、いまのいま、これが続いてくれたら俺は幸せだ。ロバートは、大切な人との時間がどんなに短くてもそれは所詮『今』の繋がりであるから、今だけが人生なのだと強く訴えかけている。そしてそうやって生きることにすがる人間が最愛の人のために自分を犠牲にする。この世界は美しくて、どうしても守りたい人がいる。だから自分を犠牲にする価値はある。でもそれは全部戦争のせいじゃないか。【ゆえに問うなかれ、誰がために鐘は鳴るやと、そは汝がために鳴るれば】