父親と2人で過ごし
3歳になったばかりの頃からかなぁ

父親が忙しくなり、知人の家に預けられた


知人は良くしてくれるがもちろん3歳のあたいは不安や独りとゆう孤独感で嫌な記憶として残ってる


今考えると父親も必死だったのがよくわかる

でも小さい時でも不思議と頑張ってくれてるのが分かってた

だからこそ泣くこともなく明るく振る舞ってたのかも


んで3歳半ばぐらいだろうか?

『元気してた?大きくなったね~』
とおばちゃんがやたら近づいてきた


その後はあまり覚えてないが数日後には
あたいは『お母さん』
と呼ぶようになってた。

その時は仕事で父親が出かけても家には母親がいるってゆう幸せを感じてた



ほんの少しの間だけだけど…



いつだったか感覚でしか覚えてないが
母親と暮らし始めて1~2ヶ月程度ぐらいたったある日

つまみ食いをしたあたいを母親は凄く怒っていた

勿論3歳のあたいも悪い事をしたと分かってた。
何回も起こられてたから



いつものように説教かと思ったがすぐに違うとわかった


説教とは違う
明らかに怒ってた
今日は時間があるからさっそく振り返ってみますニコニコ




物心ついたのは4歳ぐらい。
でも記憶は2歳ぐらいから部分的に残ってる。


2歳~3歳頃までかなぁ、部分的に残ってる記憶は10tダンプからの景色と工事現場だけ。

でも嫌な記憶ではなくとても幸せを感じる記憶として写真のようにハッキリと思い出せる。


父親がその頃はダンプの運転手で
家での記憶はなく生活の8割形がダンプで暮らしてた。


母親は?
と気になる方もいるだろうが後々語ります。

ダンプの後部席はベットのようにベンチシートであたい専用のベビーシートニコニコ

窓から覗く風景は他の車より凄く高く
橋を渡る時は海の上を走ってるような風景だ。

その時の父親はあたいの憧れでもあり
2歳のあたいが唯一頼りな人だとその時から強く感じてた。


離島に行くときもダンプに乗ったまま船に乗り込みとてもはしゃいでたのを覚えてる。


ダンプには無線機があり会社の人と連絡をとりあう父親。

会社の仲間はあたいに無線機で話し掛け、あたいは無線機がしゃべることにはしゃいでた。

その頃の記憶は良いことばかり



ただ世の中に【母親】とゆう存在があるとは知らなかった
フォローってなんだ?

あ~仕事めんどい~あせるお腹すいた