先日、墓参りに帰省してきました。毎年、この時期、年1回です。
母は5,6年前から認知症になり、去年から施設に入居しています。 もう私が誰だか判りません。ご飯もヘルパーさんに食べさせてもらっている状態です。他人のおばあちゃんになら普通に声をかけることができる私ですが、自分の母親だと 声も出ない。
明るく話しかける姉たちには救われる思いです。
で、去年、母がこうなったので、姉は母の物を整理しているなか、
家系図を見つけ出し騒いでおりました。
今回、この家系図を見るのも目的の一つ。
巻物か!と思ってましたが見てみると、一枚の紙っぺら。七代まで遡って書いてあります。
一番上のお方はなぜか、戒名で書かれており、1809年(文化6年)没です。何歳で亡くなったのかも書かれていない。
次の赤沢久五郎は、1821年53歳で亡くなっていますが、
その妻、のぶは、1853年81歳まで生きている!
ん~、この時代にしては長生きだなぁ。
年表を見ると、このあたりは、
1800年 伊能忠敬ら 蝦夷地を測量
1808年 間宮林蔵らが樺太を探検。
1833年 天保の大飢饉
1853年 浦賀にペリー来航
そういう時代なのか‼
もうちょっと、綺麗に書いてもらいたかったなぁ。
原版があるのだろうか・・・・・???
姉がゲラゲラ笑いながら騒いでいたのは、さらに書き足されている私たち兄弟の段。
これは、母が書いたもののようです。
私達は3人兄弟で、姉、私、弟なんですが、
姉と私の間に死産の男の子が、そして私と弟の間に女の子がいたと聞かされていた。
が、、、ここには、
私と姉の間には、実はもう一人。 弟の下に、さらに2人いた。
もし全員生きていたら、8人兄弟!ひぇ~~~‼
さすが、天理教。天理教は子だくさんというのが普通らしい。
(子供の頃はおぢばがえりなど楽しかったが、既に私達は信者ではありません。)
中島みゆきも両親が天理教ということで、信者なのかな??
大家族なのかな??
天理時報という天理教の新聞には、
”四十行のひとりごと” というタイトルでエッセイを載せていたが、今は終わっているみたい。なかなか鋭い内容でした。
墓参りの後、今年は奈良に向かい、橿原神宮に参拝してきました。
つづく。