子供の頃にいったことあるらしい。
玉藻公園
高松城跡地です。
高松城は420年前、豊臣秀吉の家臣、生駒親正によって築城されました。
それまではこの地は野原庄と呼ばれ港町として栄えていました。
築城して高松と改められ、高松城となりました。
高松市のルーツのようです。


この堀にはたくさんの真鯛が泳いでいます。
大きな鯛だとお刺身30人分くらいだそうです。

この鞘橋は攻められたときに
本丸と二の丸をつなぐ唯一の連絡通路です。
敵が攻めてきらこの廊下をはずすと
天守台が孤立して守られるとか、

タイムスリップした気分

天守台かなり高いです。写真だとわかりませんが
お庭もかなり手入れされていて
気持ち良かったです。お庭には「披雲閣」があり、こちらは大正時代に再建されてあります。国の重文指定です。
城舟体験が出来る期間でしたので
お殿様気分でのってきました。
真鯛やスズキ、ボラ等に餌をやりながら
ガイドさんの話も聞きなかなかの忙しさ。

これは別の方ですが、
一本前に乗った私たちのときは満員でした。
この方こそお殿様気分でしょう

内堀にそびえる天守からの眺め
お城は残念ながら残ってもおらず、修復もないのですが、
昔あったであろう天守閣は生駒氏のあと、高松城に入城した松平家が建てたもので
初代藩主の頼重公は水戸三國の実の兄、徳川家康の孫に当たるそうです。
石垣ですが、野面積みのところは
植えられている松の根のせいで膨らんできているので、いづれもたなくなるだろうと船頭さんがおっしゃってました。
昔は松が植えられてなかったともゆってました。
なるほど~(*^^*)
ここの城主さまは海が目の前に広がっていたこともあり、かなり泳ぎが達者だったそうな
ことでんも見えます

高松城跡地です。
高松城は420年前、豊臣秀吉の家臣、生駒親正によって築城されました。
それまではこの地は野原庄と呼ばれ港町として栄えていました。
築城して高松と改められ、高松城となりました。
高松市のルーツのようです。


この堀にはたくさんの真鯛が泳いでいます。
大きな鯛だとお刺身30人分くらいだそうです。

この鞘橋は攻められたときに
本丸と二の丸をつなぐ唯一の連絡通路です。
敵が攻めてきらこの廊下をはずすと
天守台が孤立して守られるとか、

タイムスリップした気分

天守台かなり高いです。写真だとわかりませんが
お庭もかなり手入れされていて
気持ち良かったです。お庭には「披雲閣」があり、こちらは大正時代に再建されてあります。国の重文指定です。
城舟体験が出来る期間でしたので
お殿様気分でのってきました。
真鯛やスズキ、ボラ等に餌をやりながら
ガイドさんの話も聞きなかなかの忙しさ。

これは別の方ですが、
一本前に乗った私たちのときは満員でした。
この方こそお殿様気分でしょう


内堀にそびえる天守からの眺め

お城は残念ながら残ってもおらず、修復もないのですが、
昔あったであろう天守閣は生駒氏のあと、高松城に入城した松平家が建てたもので
初代藩主の頼重公は水戸三國の実の兄、徳川家康の孫に当たるそうです。
石垣ですが、野面積みのところは
植えられている松の根のせいで膨らんできているので、いづれもたなくなるだろうと船頭さんがおっしゃってました。
昔は松が植えられてなかったともゆってました。
なるほど~(*^^*)
ここの城主さまは海が目の前に広がっていたこともあり、かなり泳ぎが達者だったそうな

ことでんも見えます

