知的障害を持った人が電車の中で、あぁ、とか、うぅ、とか、絶え間なく言っているのを見かける事がある。見慣れた風景だったんだけど、それが今日、突然に、自分の少年時代と似ていることに気が付いた。

僕は、母親からたしなめられるのが嫌で、もっと小さな音で、口を開かず、声を出すというよりは喉をならすという感じで、うん、うん、とひっきりなしにやっていた。起きている間はいつもやっているというわけではないだろうが、記憶しているのは、車の中の風景と、「うんっていうのがまんできないの」と運転席から響く母の声だ。
父の経営するそろばん塾に通っていた僕は、サッカーから僕を引き離し空気のむっとした重さの詰まったそろばん塾へ連れて行く、あの母の運転する車の後部座席が嫌いだった。

自分を狂わせそうなくらいのストレスを発散して、脳が破裂しないようにする小さな抵抗が、あの「うん」ではなかったかなと思う。そういった発声をともなう症状をまとめて呼ぶ学術用語がありそうだ。知らないけど。

で、たぶん母親は、「あの癖はしばらくたしなめていたら治った」と考えて、今はその事すら忘れているかもしれないが、僕にしてみれば、切実なストレス解消方の喪失と、「母親が自分を非難する」という新たなストレスの発生とを天秤にかけさせられ、「『うん』」を言わないようにしないといけない」という悲壮な決意を起こしてしまったという事なのだ。

知的障害を持っている人たちは、僕よりストレスを感じやすいからなのか、声を出して誰かが不快感を小さく出してもそれに気がつかないからなのか、単に声を出す理由が僕と違うからなのかはわからないけど、よく声を出している。でもやっぱり、どんな生き物のどんな声も、ある種のストレスを発散するための行為のような気がする。

電車を降りたら、駅から出る階段の屋根の裏から音がしていた。駅前の空を鳩が1羽飛んだ。じゃあこの音は雛鳥の鳴き声か、と思って雛の姿を見ようとしたけど無理だった。階段を降りきって噴水や車の音が混じってもその音は聞こえていた。

すこし衝動に駆られて、「うん」と小さくやってみたら、まだまだやり足りなかった。ストレスを減らすのは大変だ。