みゃらまーが行く!

みゃらまーが行く!

パンクな性格、ソウルなヴォイス。

ほんとに、今さらの改悛・懺悔でしかないが、今年になってから、ネットショッピングをやめた。

いや、家庭内に必要な食材だとか日用品だとか、基本的な必需品=MUSTについては引き続き購入するが、それ以外に自分が欲しいなと思う服、コスメ、スキンケア関連についてはいったんここで終わらせなきゃと思い、そこはまだ続いている。(当たり前か。まだ半月だもんな)

自分はどこか欠落しているところがあるのだと思っている。
数年前にここでも書きかけてやめたのだが(笑)自分はいわゆる「汚部屋」族だ。
自慢ではないが、片づけがまったくできない。
片づけをするための脳の中の機能が欠落している。
本当は病院に行ったほうがいいレベルだということは自覚している。

・片づけが悪い
・何を持っているか、持っていないかの区別ができていない
・何かが欲しくなるが、それと同様のものを持っていたかどうかもわからない
・そのうちに太ってくる
・太ったので、前に同じようなものを持っていいてももう着られないだろうから
・また買う
・買ったが最後、買ったことで安心してしまい、届いた箱を開けないことすらある

この繰り返しで、家の中のスペースがどんどん侵食されてきた。
今、我が家で床or畳がそのまま見えるところは、全体の数パーセントというところになっている。
配偶者からは「たぶん病気だよね」と言われたことがあるが、まったく同意だ。

これまでに何度か、片づけの方法みたいな本も買った(散らかるのに…)
本ではなくてネットのコラムなども読んだ。

でも…

片づけられない自分からしてみると、こういう極意モノって、片づけという作業が苦にならない人とか、もはやこれ自体が楽しくてしょうがない人が書いているんじゃないかと、ひねくれついでに思ってしまう。
ま、そうじゃない筆者もいたかもしれないが。
しかし、自分のように、どこかではすっごく醒めていて「片づけなきゃ」と思う部分も日々、脳裏にありながらも、実際には「1メートル四方のところだけ片づける」とか「15分だけ片づける」ということすらできない人間はどうすればいいんだろう。

ただ、だからといって配偶者に代わりに片づけてほしいとは思わない。
ましてやお金を払って業者の人にやってもらおうとも思わないし、こんな家を誰にも見せられないという恥の気持ちもある。

怠け者と言われたら、はい、甘んじてその非難はお受けします。

その通りなのだからしかたがない。

今やっている仕事もどこかで区切らなければならないだろう。

そうなったら、郷里の実家に帰って新生活をしたいのだが、今のままでは引っ越しもかなわない状態だ。
あまりに家の中がひどいので、匿名でやっているインスタグラムで、家の中の様子の写真を載せようかと思ったことがある。
たまたま目に留めてくださった人々から嘲笑・罵倒されるしかない、罵倒されなきゃいけない、いや、罵倒されたいとまで思うありさまである。

いくつか本を読んだ中で、胸がきりきりと痛んだことが書かれていた。
自分の片づけ以前のことから始まっていた。
親やその上の世代の家族が亡くなった時に、その人たちのモノが放置された家を、後に残った人たちがどう整理するかということの感情について。

他のコラムなどには、少しずつ片づけを進めるとしても、まだ存命の老親などに対して「これ、もう使わないでしょ、使わないものは捨てちゃうよ」などとは言ってはいけないとも書いてある。
しかし、自分が読んだその本には「もしも老親が亡くなったとして、そこにすべて置き去りにされたものの片づけ。それにかかるあなたの時間とコストをどう思うか」的なことが書かれていた。
「あなたが遺族の立場になったら、散らかった家をどう片づけるの?」という問題提起なのだが、実はそのすぐ続きに「つまり、あなたが家の中を散らかしたまま死んだ後、その残骸を片づけなければいけない人の時間やコストをどう思うのか」ということが書かれていた。

だから、残る人たちに迷惑がかからないようにしないといけないのだ、ということ。

わかってる。わかり過ぎるくらいわかっている。実家だってまだぜんぜん片付いていない。


そこをを読んだ途端、苦しくなって本を閉じてしまい、以来、まだこの本の続きがずっと読めないでいる。
あまりに正論すぎて、あまりに当然すぎて、心の中で「ごめんなさい」とつぶやいたことは覚えている。

自分はいったいどうなっちゃうんだろう。
いつか、途中経過のところが宇宙の力か何かでキレイに片付いてしまい、実家のこたつで配偶者とお茶でも飲んでいるシーンにワープしてしまわないだろうか。

ないよな、そんなこと…