ところで、子育てでも組織の人材育成においても、どういう人を育てることを目的とするのかといえば、「慈悲心のある人」の一語に尽きると思います。人と調和できる人、いつでも思いやりを忘れない人と言えるでしょう。
では、そういう人をいかにして育てるのかを先の話と重ね合わせて考えてみると、「相手と縁を結ぶ自分がそのような人になる」、それが一番の近道と言うことになります。道歌に「よき人をみればわが身も磨かれて鏡に向かう心地こそすれ」とあるとおりです。
思いやりや調和を大事にできるひとは、成果を求められる企業でも貴重な人材となりえます。技術や知識だけでなく、心から意図の役に立ちたいと思う情熱があればこそ、多くの人に求められ、成果に結びつく仕事が生み出せるからです。
ただし、気をつけたいのは、相手の成長を願うあまり、期待の言葉をかけすぎることです。
ある方は、子どもに願っていることは胸におさめて口にせず、「そうなって欲しい」と思うことを親自身が無言のうちに実践することが大事と言います。「人にものを教えることは出来ない。自ら気づく手助けができるだけだ」といったのは物理学者のガレリオ・ガリレイですが、ほめたり、激励したりしながら、その人のもてる力が最大限に発揮されるような縁になることが、「人を育てる」ということになります。
人を育てる立場の人は、そうした意味でも「自分はまだ至らない、足りない」との謙虚さが大切です。そこで、たとえば外出するとき、私は「行ってきます」ではなくて「行ってまいります」と申します。「行って」「参る」ーーーすべてを尊い出会いにして、学んで帰ってくる。その繰り返しが自分を磨く習慣となり、自他の胸に慈悲の心を育むことになると思うからです。
では、そういう人をいかにして育てるのかを先の話と重ね合わせて考えてみると、「相手と縁を結ぶ自分がそのような人になる」、それが一番の近道と言うことになります。道歌に「よき人をみればわが身も磨かれて鏡に向かう心地こそすれ」とあるとおりです。
思いやりや調和を大事にできるひとは、成果を求められる企業でも貴重な人材となりえます。技術や知識だけでなく、心から意図の役に立ちたいと思う情熱があればこそ、多くの人に求められ、成果に結びつく仕事が生み出せるからです。
ただし、気をつけたいのは、相手の成長を願うあまり、期待の言葉をかけすぎることです。
ある方は、子どもに願っていることは胸におさめて口にせず、「そうなって欲しい」と思うことを親自身が無言のうちに実践することが大事と言います。「人にものを教えることは出来ない。自ら気づく手助けができるだけだ」といったのは物理学者のガレリオ・ガリレイですが、ほめたり、激励したりしながら、その人のもてる力が最大限に発揮されるような縁になることが、「人を育てる」ということになります。
人を育てる立場の人は、そうした意味でも「自分はまだ至らない、足りない」との謙虚さが大切です。そこで、たとえば外出するとき、私は「行ってきます」ではなくて「行ってまいります」と申します。「行って」「参る」ーーーすべてを尊い出会いにして、学んで帰ってくる。その繰り返しが自分を磨く習慣となり、自他の胸に慈悲の心を育むことになると思うからです。