義を見てせざるは勇なきなり
2007年3月 4日 「明治」という国家
本日、TBSの「華麗なる一族」を見ていましたら、弁護士事務所のシーンで、
「義を見て為さざるは勇無きなり」
という額が掲げられているのが目につきました。
この意味は、「人として当然為すべき正しいこととわかっていながら、それを実行に移さないのは、
勇気がないからである」という『論語』での言葉です。
子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也
子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり、義を見て為さざるは勇無きなり
『論語』為政
弁護士のような戦う職業には「常に勇気が必要である」と戒めているのでしょうか。
戦う職業と言えば、本職は軍人となります。余談ですが、乃木希典が信奉した「武士道」にもこの精神が在ります。しかし解釈はもっとリアルです。新渡戸稲造は著書『武士道』において次のように説きます。
勇気は、義によって発動されるのでなければ、徳行の中に教えられる価値はないとされた。
孔子は『論語』の中で、彼がつねづね用いているように、否定によって命題を明らかにする方法で勇気を定義づけている。すなわち「義を見てせざるは勇なきなり」と。
この格言を肯定的にいいなおすと「勇気とは正しいことをすることである」となる。あらゆる種類の危険を冒し、生命を賭して死地に臨むこと――これはしばしば勇猛と同一視され、武器をもつことを職業とする者にあっては、そのような向こう見ずの行為が不当に賞賛されている。シェイクスピアはそれを「勇猛の私生児」と名づけた。
新渡戸稲造著・奈良本辰也訳・解説『武士道』(第四章「勇」)より
いわゆる武士道では、死に値しないことのために死ぬことを「犬死」と説き、それは「匹夫の勇」であるとして恥じます。乃木希典は二人の息子を日露戦争で亡くしますが、「二人の我子それぞれに 死所を得たるを喜べり、これぞ武門の面目」とし、「大義の勇」を讃えます。
子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也
子曰く、その鬼(き)にあらずしてこれを祭るは、諂(へつら)うなり、義を見てせざるは、勇なきなり
祭る理由のない神々を祭るのは、主体性の放棄である。
勇気を持って人として行うべき事を行うべきなのだ
義を見て為さざるは 勇無きなり [出典] 論語のこよみ
解説/人間として正しい行為を、自らすすんでするためには、真の勇気が必要である。当然しなければならないことをためらうのは、勇気が無いからだ。
孔子・こうし/(B.C552~B.C479)中国、周代の春秋末期の思想家・教育家。
姓は孔、名は丘、字を仲尼といい、後世、尊敬して孔子という。(子は、古代中国で、学徳ともにすぐれた人に対する敬称。先生というほどの意)
武士道とは、なにか??
何のために、生きるか・・
そして、何の為に、死ぬのか・・
勇気とは、なにか??
仁義こそ、すべて・・孟子
でもね、今の世の中・・
なかなか、むずかしいんですよね・・
停滞する日本経済・・
約束=マニュフェストを守らない最近の政治家、
私腹を肥やす、政治と金・・
なくならない天下り、公務員問題・・
払い続けられる、異常な公務員給料・・
妊婦、お年寄りに席を譲らない人達・・
児童虐待、いじめ、ホームレス・・
最近のニュースを見ていると、ほんと、いろいろ思います・・