誰かの目から見た、その人じゃなくて、
自分の目から見た、その人が知りたい。
例えば、
「○○さんって、性格悪いらしいよ」とか言われても、「だからなに?」って思ってしまう。
それを、言った人は
「○○さんって、性格悪いらしいから何かされないように気をつけてね」
って意味で言ったかもしれないし、
「○○さんって、性格悪いらしいから、その人と一緒にいるとあなたも性格悪いと思われるよ?」
って意味で言ったのかもしれない。
その言葉の真意なんてわからないし、分かろうともしない。
そもそも、なにを基準として性格が悪いのかって話。
その人がどんな人かなんて、自分の目からでしかわからないと思ってる。
共感できる部分も、できない部分も…。
ものすごいスピードで広まっていく悪い評価もそう。途中でどんどん脚色されて、1だったことが100くらいまで大きくなってる。それを100%信じて、マイナスな目でその人を見てしまえば、いくらだってそう見えてしまうものでしょ?
反対もそう。
すごくいい評価を持たれているからって、その目で見てしまえば、評価が現実を越してしまって「なんだ、そんなでもないじゃん」ってなってしまう。いざ自分が、その人と同じことやってみろって言われたら到底できないだろうに。
常にフラットな視線から見たい。
人に対しても、物事に対しても…。
周りの意見に簡単に影響されてしまうようじゃ、まだまだなんだよ、きっと。
だからって、周りの意見を完全にシャットダウンして聞かないってわけではないよ。
頭の片隅に、「そんなこともあったような」レベルで残しておきたい。
でも、最終的には自分の目で見た、人、物、事象が、自分にはどう映るかを大事にしたい。
