「正月、家族と居るのがしんどい。それなのに一緒に団らんしていなければいけないと無理をして一緒にいるのは、何故?」![]()
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本当は、一人の方が楽な時ってありませんか。
私は、そういう時がたくさんあります。
人との心の距離を自分のパーソナルスペースより遠くに置いておくのが快適な人も多いものです。パーソナルスペースって、「近い!入ってこないで。」と言いたくなる距離のことです。
そういう人は、家族のように空間的に近いと心の距離も近すぎて、
自分の手足と混同して自分に課するような無理難題を家族に吹っかけてしまうことも。そして、吹っかけられる家族も似た性格傾向の人が当然多いため、大喧嘩や愁嘆場が日常的に起こることとなります。
自分をもっと楽にして、その上、相手にも迷惑をかけないために、一人で居てもいいですよね。
でも一人で居ることが悪いと思っていると自責の念から、良くないことが起こりそうとわかっている時に家族の中に入って行ったりしてしまうもの。
私たちにもこんなことがありました。
2018年1月1日 午前1時25分
紅白がつまらなくて早々の解散となってしまい一人で後片付けをしていると
神社のお囃子が聞こえてきました。
毎年大晦日から元旦にかけては神社にお参りしている。
だから今年は一人だけど行かなければならないと思って音に釣られて行ってみると、
私が最後の参拝客で、神主が致し方なさげに御幣を振ってくれました。
お神酒係は私をちらっとみてはくれましたが、声はかけてこないで視線を逸らせ、
お汁粉係に至っては、早々に片付け始めたのでした。「もう終わりですよ。」オーラに押され、未練はあったのに、さっさと帰宅してしまいました。
帰宅してみて思いめぐらせば、こちらから「おめでとうございます。」と声をかけ中に入っていくこともできたのにと
いつもの後の祭りテーストの後悔が頭の中で始まりだしました。
しかし、ここからがいつもと違ったのです。
胸の内をよく探ってみると、私は、お神酒もお汁粉も欲しくなかったし、そこの人たちとかりそめの関係も欲していないことに気がつき、大して、欲しくないから、輪に入ろうとしなかったというところにたどり着きました。
一人で行ったのはお詣りはしておきたいと思っていたからでした。
なんだ、そうか。上出来。これで良かったんです。
私も含めて多くの人が、学校時代は独りぼっちと見られると弱者と思われ、いじめの対象になりやすかった経験から一人でいることは悪いこととみなしてしまいがちです。
その考えは、頭にこびりついているけど、本当はどうでしょう。
平時は一人、これは悪い事ではありません。そして、惨めなことでもありません。
もちろん、一人でいるのは、寂しい気はしますが、寂しいのは惨めな事ではありません。
悪いことだと思えてくるとしたら、それは私たちがそう考えるからです。
その陥りやすい困りものの考え方を変えようというのが、認知行動療法(CBT)です。
認知行動療法(CBT)スタイルで楽になろうとすれば、
今ですと、「人は、幸せになるためには一人で居るべきではない。」という絶対的な頑固な考えを
「人の幸せは、千差万別だから一人で居てもいなくても」と客観的な柔軟性のある考えに変わっていき、ずいぶん気持ちが楽になっていくはずです。
これが、CBTの極意です。
この発展形でメタ認知という考えがあります。
自分の考え(認知)を認知するというちょっと訳が分からない説明もあるけれど、
要するに自分はそんなふうに考えているんだという事を客観的に距離を取って見られる能力のことです。
考えそのものが変わらなくても、その考えに縛られなければよいので、この方法でうまくいく人も多くいます。
例えば自分に「自分の友達に起こった問題だったらどんな助言をしてあげられるか」と問いかけてみてはどうでしょうか。すると、そのうち良いとか悪いとかではなく、気持ちが楽になる方の考えを選べればいいという助言にたどり着きやすくなりませんか? それに気がつけばしめたもの、自分の頭の中を占有していた困りものの考えは頭から消えるか片隅に追いやられて違った見方ができるようになってきます。
考え方が変わってストンと落ちても、距離をとって、まぁ、いいかと軽くなっても、どちらもありですね。
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