木曜日はほとんど丸一日、ある後輩と共に過ごす。
便宜上、以後この後輩のことを「R-1」とする。個人情報に厳しい世の中であるし、我が国の西洋化を考えた時、無断で名を晒すことでR-1から訴訟を起こされる可能性が捨てきれないからだ。
このブログに様々な人物が登場していることで、私を友人の多い者と見なすのは些か短絡的である。
現に一昨日登場した友人の一人とR-1は同一人物だ。
なぜ「友人」、「後輩」とR-1を指し示す表現が変わったのか。
そのことこそが今回のブログのテーマだ。
私とR-1は仲が良い。
この夏共に北海道に行くことを先程約束してきたほどだ。
しかし、この社会の常識で考えれば私たちの関係は先輩と後輩とするのが適切であろう。
先に共通の組織に属したのが私だからだ。
けれども私とR-1は仲が良い。
昼にコーヒーを買ってくるよう頼んだら完全に無視されたほどだ。
恋愛関係を除き、私とR-1ほど仲良くなった先輩後輩がかつてあったろうか、いや、あるまい。
それほど仲の良い後輩を友人と呼んだ、その私をいったい誰に責めることができよう。
R-1本人から訂正や訴訟のない限り、私たちは友人である。
たった11年、私の方が早く生まれただけなのだから。
便宜上、以後この後輩のことを「R-1」とする。個人情報に厳しい世の中であるし、我が国の西洋化を考えた時、無断で名を晒すことでR-1から訴訟を起こされる可能性が捨てきれないからだ。
このブログに様々な人物が登場していることで、私を友人の多い者と見なすのは些か短絡的である。
現に一昨日登場した友人の一人とR-1は同一人物だ。
なぜ「友人」、「後輩」とR-1を指し示す表現が変わったのか。
そのことこそが今回のブログのテーマだ。
私とR-1は仲が良い。
この夏共に北海道に行くことを先程約束してきたほどだ。
しかし、この社会の常識で考えれば私たちの関係は先輩と後輩とするのが適切であろう。
先に共通の組織に属したのが私だからだ。
けれども私とR-1は仲が良い。
昼にコーヒーを買ってくるよう頼んだら完全に無視されたほどだ。
恋愛関係を除き、私とR-1ほど仲良くなった先輩後輩がかつてあったろうか、いや、あるまい。
それほど仲の良い後輩を友人と呼んだ、その私をいったい誰に責めることができよう。
R-1本人から訂正や訴訟のない限り、私たちは友人である。
たった11年、私の方が早く生まれただけなのだから。