2019年6月 私は再び沖縄の那覇空港に降り立った。到着したのは深夜だったが、最初に行くのは、ムムの捨てられていた公園

いや、ムムと出会ったあの公園だ。

 

那覇に滞在する4日間は、ここでさくら耳活動を数十年続けてきたおばあに会うのと

一人のおばあが入院してしまったので、もう一人のおばあと共にTNRしたさくら耳の

猫たちにエサをあげに行くことだった。

 

思えば那覇に来て、観光地なんかに行ったことがなかったなあ。

いつもこの公園の猫やおばあたちが気になって、公設市場の裏のおばあの家に

行って話をして、どうすれば不幸な猫を救えるか猫たちの未来を話して、おばあが作ってくれたチャンプルーを食べて知らないおばあも駆けつけてジュースをくれて、

私にとって沖縄は猫とおばあの大切な第二の故郷だ。

 

懐かしい公園―ずぶ濡れになってエサをあげに行く70代の入院しているおばあの姿が

眼の裏にあった。宜野湾の先にある病院までお見舞いに行った。

おばあはすっかり元気をなくし、目の光を失っていた。

 

そして、落書きされた石の上にちょこんと座っていた2か月たらずの山猫ムム。

TNRされた大人の猫たちの楽園に、見たこともない子猫。

おばあは朝晩毎日エサをあげてくれていたので、今朝までこんな猫は見たことないと言ったっけな。あの日、あの夜の暗い公園でムムと出ったのは間違いなく運命だったと思う。

東京で1年3か月とても元気に美しく生きた。私のムム。

デイゴの花が咲き始めるこの地にムムの真っ白な骨を一握りだけ撒いた。

あの日と同じ、那覇の風がムムの骨を仲間のいる場所へと運んでくれる。

 

 

私の家にある骨壺にしまっておくだけより、

この南国の公園でムムの魂のかけらは

再び、植物の栄養になるだろう。

永遠に命を繋いで生き続けるだろう。

 

朝と深夜、時には昼もムムの仲間たちの公園の猫たちにエサをあげた。

一昨年出会ったここの猫たちはおばあたちの優しさのおかげで元気だった。

 

13匹から15匹ほどのさくら耳の猫たちは悠々とくつろいでいた。

 

 

明日が那覇にいられる最終日

翌日の午後には宮古島へ向かう飛行機に乗る。

ここに来ると、どうしても涙が溢れて、

ムムのことばかりを想い出していた。

 

ムムが亡くなってしばらくモノクロームの

世界は時を刻むことを忘れ、

止まっていた。

 

沖縄のおばあたちにお世話になって、あんなに喜んでもらって東京まで連れ帰った子猫

ムム・・・・まだ1歳3か月で命を終えたなんて、言えなかった。

 

2018年は過ぎ…翌年の5月ぐらいから不思議な夢を見るようになった。

ムムは亡くなって一度も夢に現れてくれなかったけど、その夢には知らない猫が

現れた。

ぼんやりとしているのだが、夢の中で子猫は二匹。

その子猫を人にいつ生まれたのか聞いている夢で、毎回シチュエーションは違うけれど

起きると、細かいところは忘れていたりしたけれど覚えていることが3つ。

 

子猫は二匹。6月に私の元へ戻ってくる。

 

スマホのメモに書き留め、友人にも覚えてもらうために話した。

 

「2匹で6月に戻ってくる?!」

でもどうやって?

 

そうこうしている間に、沖縄の神ごとをしている大ちゃんから、宮古での神事に来て欲しいという

連絡があった。

心が騒いでいた。その神ごとのことは大ちゃんから聞いていたし行ったみたいなと思ったけれど

ムムのことでずっと落ちていたから旅行はおろか、沖縄に行くことなんて思ってもみなかった。

 

2019年6月―沖縄のおばあたちに会いに行こうと決めた。

ムムの分まで沖縄の猫たちに何か出来ることはないか再び考えようと思った。

そして、あの子と初めて出会った場所に、骨を少しだけ撒こうと決めた。

 

おばあたちと会うため、ムムへの感謝と報告のため

ムムの骨を撒くため、那覇に滞在は4日。

 

そして大ちゃんと宮古への神事のため、初の宮古島へ行くこと!

宮古への滞在は3日。

 

急いでチケットを取った。

 

こうして、不思議な夢を心の隅っこに置いて、

私はムムの故郷ー沖縄へ再び向かった。

 

 

 

 

 

 

そろそろ、二匹の話をしましょうか。

 

これはめくるめくネバーエンディングストーリー。

沖縄の猫のレスキューへの「はじまりの話」でもあります。

 

23歳の愛猫ルナを亡くし、その後沖縄でムムと出会えたのに

わずか1歳3か月で悪性リンパ種で亡くしたムム。

そしていま!私の元にいる「シュリとナファ」

これは、私に起きた本当の奇跡のお話。

 

全てが繋がっているんだなと思える

心があたたかくなる現在進行形の実話です爆笑

 

まずは23歳で亡くなったルナが繋げた

沖縄の山猫ムムの回想から

 

東京―

まず、2014年の12月に私は、自分の片割れのような存在だった猫のルナを大往生の

23歳で亡くします。この仔は自分の分身のような猫だったので、もう猫を飼うことはないと

喪に服します。

 

しかし・・・ルナは、23歳まで生きたのでいわゆる「化け猫」みたいになりまして、

亡くなったあと、2017年のある時期から頻繁に夢に現れるようになりました。

「沖縄で子猫に出会う」

ルナからそんなメッセージをもらったのです。

 

その不思議なメッセージは的中します。

 

沖縄―

知り合いから沖縄へ招待されて2017年6月に遊びに行ったのです。

そして、沖縄のある場所で私は凄い山猫みたいな険しい顔をした生後三か月にも満たない

おっさん顔の子猫と出会うのです。額に「三日月」のマークがある汚い猫です。

 

でも、考えることがありました。「三日月」=「イタリア語でルナ」

 

当初の目的があり、その子を連れて帰るわけにはいかず何度も諦めるのですが、

その子は何度となく、どこからともなく現われて走って私の膝に乗ることを繰り返し、

結局沖縄の猫おばあや獣医さんに協力してもらい、なんとか飛行機に乗せて、

東京に連れて帰ることになります。

出会った日の山猫 額に「三日月」マーク生後3か月  可愛い可愛い長毛種のムムに成長

 

この時、エサやりさん、TNRをしてすべて自腹で

野良猫を避妊している70代のおばあたちに

たくさん出会います。

沖縄では多くの猫が捨てられ、虐待され、

まだまだ「猫の避妊・去勢」「猫も命ある同じ家族」という

概念が薄い。子猫が生まれたらどこかに捨てる。

自然に生きていくだろうと簡単に思ってしまう現実。

多くのことを知ることになります。

 

語りつくせぬほどの恩義を受け、おばあたちに「運のいい猫」と託された子猫。

沖縄に関係する名前にしたくて、私は果物の「桃」が大好物で「桃」はルナもいる天国の香りがする

桃源郷、そして沖縄では「桃」をムムというということを知り、

 

醜い山猫は「ムム」という名前になったのです。

醜いアヒルの子は、それはそれは美しい猫に成長しました。

 

元気にすくすく成長し、長毛種になり、わがままで気の強い猫になりました。

だけど・・・・・本当に突然彼女に悪性リンパ腫が見つかり手を尽くした甲斐もなく

2017年9月に帰らぬ猫となったのです。

 

寿命を全うしたわけでもなく、最後まであらゆる手を考えたが

助かる見込みもなく、自分が親なのに、助けてあげることもできず、酸素室を自宅に

設置し、美しい彼女が苦しみ逝くのを見ているしかなかった。

 

猫を飼おうとした自分を憎んだ。

ルナの生まれ変わりだったのに長生きさせてあげられなかった自分が許せなかった。

もう、自分には猫を飼う資格はないと思った。

悲しみが心を支配して何もできなくなった・・・・・。