NLPでの「ラポール」について、お伝えしていきましょう。
「ラポール」とは、日本語で「信頼関係」と平たく伝えられることもあります。
しかし「信頼関係」という名詞化された言葉で理解しようとすると、ラポールの本質を理解するには苦労するかも知れません。
ここでは様々な方向から光を当ててラポールを考えていきましょう。
さて、こんな経験されたことありませんか?
「この人の言っていることは正しいとは頭で思うんだが、何だか納得いかない。」
逆に、「この人の言っていることは本当のところ良くわからない部分もあるが、なんだか共感してしまう。」
この両者の違いってなんなんでしょう。
日本人であれば、日本語の理解はできますので、相手が何を言っているかはわかりますよね。
でも、相手によっては、納得できなかったり、共感できたりするわけです。
「頭で理解する」という言葉があります。
この場合、あなたは考えています。つまり思考していますね。
思考とは、意識的なものです。
意識を使って話を理解しようとしているわけです。
そして、「胸で共感する」とか、「腑に落ちる」という言葉もあります。
この場合は、身体で勝手に感じる感覚です。
身体で勝手に感じるのであれば、それは無意識的なことにお気づきでしょう。
この両者の違いを一言で表現するとすれば「心が開いているか、閉じているか」です。
同じことを話していても、あなたの心に響く人と、そうでない人の違いを、あなたの心の扉の状態を確認しながら、一度体感してみて下さい。
どうして心が開くのか?
どうして心が閉じてしまうのか?
そんなところを日常で探ってみると面白いかもしれませんね。
「さぁ、心の扉を開けよう」と思って開くのか、「心の扉を閉めよう」と思って閉まるのか?
このように意識的におこなっていないことは、既に体験済みだと思います。
こんなところを注意しながら、自分自身や相手を観察してみてください。
意識に上げてみることによって様々な発見ができるかも知れません。
NLPでのラポールは、人との関係の中で生まれます。
ここでは、ちょっと外して、人以外でのラポールの状態を観察していきましょう。
実は、気づいていないだけで、皆さんもきっと体験済みだと思います。
例えば、映画を見て感動した時、コンサートで心が揺さぶられた時、大自然の中で一体感を感じた時。。。
この時の感覚を言葉に表すとすれば、「共鳴」と言う言葉がうってつけです。
共鳴現象という言葉を聞いたことがあるという方も見えるかも知れませんね。
楽器などのチューニングに使う音叉(おんさ)と呼ばれるU字型の金属製の道具があります。
理科の実験などで使ったことがある方もいますね。
音叉を少し離して二つ置いて、一つの音叉を打ち鳴らすと、もう一方の音叉は触れることなく音を響かせると言うものです。
映画やコンサート、大自然と私たちは、このような共鳴現象をおこしているのです。
決して意識的に感動しようとしたり、心が揺さぶられたり、一体感を感じたわけではありませんね。
このような共鳴は、お気づきのように体感覚です。
意識=思考(頭)=言葉
無意識=身体=感覚
(by NLPラーニング 山崎啓支さん)
つまり無意識のレベルで起きているのです。
NLPのラポールも無意識レベルで構築されるものです。
ここでラポールをあらためて言語化すると、「人とのコミュニケーションにおける無意識レベルの共鳴現象」というとシックリくるかも知れません。
ラポールとは、「無意識レベルの共鳴現象」。
私が人との無意識レベルの共鳴現象で、真っ先に思い浮かべるのが赤ちゃんです。
ふと目が合った赤ちゃんが微笑んだ時に、無意識のうちに微笑み返していたことってありませんか?
これが正に、共鳴現象というものです。
実は、赤ちゃんは無意識レベルのラポールを築く達人です。
NLPでは、ラポールを構築する為に、ペーシングという心理的距離を縮めるテクニックを使います。
ペーシングとは、日本語で「合わせる」ことです。
相手の話し方、呼吸、リズム、スピード、状態などを合わせてみたり、或いは仕草を真似るミラーリングというのもあります。
そして、相手の言葉を返すバックトラッキング。。。
但し、ラポールを理解するうえで、先にこのようなテクニックを覚えようとすると、無意識レベルのラポールを構築するのに苦労するかも知れません。
遠回りのように思えるかも知れませんが、もう少し身近で起きているラポールを探っていきましょう。
「あうんの呼吸」、「息が合う」、「馬が合う」、そんな関係を持った相手が、あなたにもいるのではないでしょうか?
或いは、そういった言葉がしっくりくる、夫婦や恋人、友達を周りで見かけることはないでしょうか?
これらはラポールが築けた状態なわけです。
では、このような人は、お互いペーシングなどをしたのでしょうか?
もちろん無意識的にペーシングはしていたかも知れませんが、意識的にペーシングのテクニックなんて使っていないと思いますよね。
では、どうして「馬が合う友人」や「息の合う恋人」になったんでしょう。
二人には間違いなく無意識レベルでのラポールが構築されているわけですが、何が起きているのでしょうか?
何が起きているかを知るには、まず人間の深い部分にあるプログラムの存在に気づく必要があります。
いわゆる本能に近いものです。
人間は生き長らえる為に「安全・安心」欲求を持っています。
無意識は常に「安全・安心」を満たす為にプログラムを創ったり、起動させたりしています。
ですから、ラポールを築くには「安全・安心」という状態が必須条件であります。
それも意識レベルではなく、無意識レベルにおいての「安全・安心」です。
この状態を作れないと、どんなにペーシングをしても一向にラポールは築けません。
例えば、私の職場に新しい社員が入ってきたとしましょう。
私もその方も初めて顔を合わせます。
お互いわからないことばかりです。
特に、新しい社員の方は、「場」自体もわからないことだらけで不安でしょう。
何日もかけて職場になれて、そしてお互いが日頃の会話でわからないことを埋めていきます。
このようにして安全安心欲求を満たしていくと思います。
普通は、こうして時間をかけながら心理的距離を縮めていきます。
NLPでは、それをもっと短時間に意識的におこない、無意識レベルでのラポールを築きます。
ペーシングをする理由は、相手と同じ状態を創ることにより、相手を安心させることにあります。
なぜならば、自分と似た存在ですので、相手のことが何となくわかるからです。
私たちは、相手のことがよくわからない場合に緊張したり、身構えたりするのです。
偉大な催眠療法家であるミルトン・エリクソンがペーシングについて、次にように説明しています。
「相手が体験していることの一部に、自分を合わせることで、
相手の知っていること、またはやっていることが真実であると認め、
その人物を現在ありのままで受け入れる」
ペーシングすることによって、相手を承認し、そして相手にとって私は安全だということを伝えるのです。
数々のペーシングのテクニックや相手を観察することは重要なことにかわりありません。
そして、その土台となるのは、ペーシングする人の、
人としての在り方も、非常に重要だと言うことを既に体験を通して私たちは知っています。
ラポールを構築するにあたって、そんなところを意識的に考えてみるのもいいかも知れませんね。
ここで再び無意識レベルのラポールを築く達人の赤ちゃんに登場してもらいましょう。
ふと目が合った赤ちゃんが微笑んだ時に、無意識に微笑み返していたことが、一度や二度はありますね。
この時、私と赤ちゃんは無意識レベルで共鳴が起きています。つまりラポールができています。
赤ちゃんは私にペーシングやミラーリング、ましてやバックトラッキングを使ったわけではありませんね。
では、何故私は、赤ちゃんに心を開いたのでしょうか?
赤ちゃんは、ご存知のようにほとんど無意識的に生きています。
意識的に今からミルクを飲もうとか、寝ようとか、泣こうなんて思っていないんです。
無意識が非常に優位な状態で過ごしていますね。
そして、まだ価値観というものもなく、赤ちゃんは「良い悪い」関係なく私たちを見ていてくれます。
赤ちゃんが、「こいつは気に入らないぜ!」とか、「あんたは、嫌いだなぁ」とかなんて思っていないですよね。
全ての人を受け入れる心を持っているんです。
しかも、無意識な状態で。。。
これって、ラポール創る上で、最高のステイトじゃないでしょうか?
ラポールの本質は、テクニックではなく人の存在そのもの。
もちろん、テクニックを軽視しているわけではありません。
しかし、テクニックで外見的に呼吸を合わせ、形も合わせ、価値観も合わせたとしても。。。
もし内心で相手のことを軽蔑していたとしたら。。。
そんな状態で相手は私を信用してくれるでしょうか?
意識はだませても、無意識は抵抗するのではないでしょうか?
ペーシングを使って相手を操作してやろうとか、コントロールしてやろうとか思っていたら、真のラポールを築くことはできないのではないでしょうか?
立場を逆にしてみればよくわかります。
あなたは、誰かに操作されたいんでしょうか?コントロールされたいんでしょうか?
そんなはずありませんよね。
それよりも、相手にとって私が安全で、安心な存在であれば、もうペーシングすらする必要がなくなるかもしれません。
テクニックを有効に使うためにも、自分自身が相手にとっての「安全・安心」な存在になるということを心にとめておいて頂けるといいと思います。
ラポールについてお伝えしてきました。
テクニック的なところは、書籍やネットでいくらでも拾えます。
しかし、それだけではどうしても片手落ちになってしまいます。
「テクニック+在り方」ということを少しでもご理解頂ければ幸いです。
ラポールをテクニックという一側面だけでなく、人としての在り方の大切さを教えてもらったのが、NLPラーニングの山崎啓支さんです。
私が、NLPに興味を持ち、最初に受けたが山崎啓支さんの単発のセミナーでした。
そこで伝えられた言葉、
「私自身が安全安心な存在、『歩く安全地帯』だったとしたら、もうペーシングする必要がなくなるんです。」
私にとって、「歩く安全地帯」は忘れることのできない言葉になりました。