“We are on our way somehow !”

“We are on our way somehow !”

興味のあることを、
気ままに、ココロのままに綴っています…

今日 12月20日は、

甲斐バンドの『HERO/ヒーローになる時、それは今』が、1978年にリリースされた日である⋯


自身のブログ「僕の中のKai Band (vol.1)」にあるように⋯自身は 俗に云う“HERO組”です


今は公開しておりませんが、

2016年にBTRのライブに初参戦した時のブログから、松藤さんとのエピーソードを少しご紹介したいと思います⋯


ご縁でお知り合いとなった甲斐友さま ご夫婦のお誘いで、大阪の十三(淀川区)にあったクラブウォーター(2024年 西成区にて再開)と云うライブハウスでの話⋯


1 部の終了後に、松藤さんと坂井さんがお手洗いに行かれ、戻って来られた時に⋯

こんな機会は二度と無いだろうと思い、

目の前を通る 松藤さんに、

「小4の時に、HEROのイントロのドラムと甲斐さんの声でファンになりました!」と38年越しにお伝えしたら⋯


松藤さんが、

「あれ、俺じゃないんだわ⋯。」と


自分が

「えっ!?」と真剣に驚いてると⋯


松藤さんが

「嘘だよ〜。(笑」と ご冗談を!!


その後ろから、同じくトイレから戻って来られた坂井さんが「なに? なに?」と松藤さんに。

松藤さんが坂井さんに、

自身とのやり取りを簡単に話されると⋯


坂井さんが

「したら、あれ⋯解散の時は、いくつ?」と尋ねられたので⋯


「18(歳)です!」と返答すると⋯


坂井さんは

「じゃあ、俺と同じ歳じゃん!!」と⋯。


この坂井さんのボケに、自分は緊張のあまり、関西人として良い返しが出来きませんでした⋯トホホ


これだけでも、一生ものの思い出なのに⋯


更に⋯


終電の関係もあり、自分はお誘いの打上げには参加出来ず、ライブハウスを後にしようとしていたら、外は凄雨で⋯


打上げのテーブル・セッティングをされていた甲斐友さまが「○○くん!気を付けて帰ってな!!」と⋯


横で同じく手伝われていた 松藤さんが、甲斐友さまに「○○くんって、言うの?」と尋ねられ⋯


そしたら、松藤さんが

「○○くん!お疲れぇ〜!!

 気ぃつけて帰りやぁ〜!」と関西弁風に!!


坂井さんや、前野さんにも

「お疲れさま〜!」と送り出して頂きました!!


本当にあの晩の出来事は、

忘れられない一夜です!!

今朝 届いていたメールです⋯



明らかに詐欺です!!💢


メール✉️の

発信元は、恐らく中国ですね!!


受取銀行に記載されている「ぎん」の文字は、

明らかに日本では使用しません!!


てか、うちにお子様なんて居ませんが!!

それが、何か?って感じです😆


こんな稚拙な詐欺メールに、

騙されないように お気をつけ下さいませ!!

現在、NHK朝の連続テレビ小説『ばけばけ』のオープニングテーマ曲は、ハンバートハンバートの「笑ったり転んだり」と云う曲で、牧歌的で温か味があり、ケルト民族(ケルト民謡)調のメロディーにノルタルジックな雰囲気を感じる曲である


簡単にハンバートハンバートをご説明致しますと、

1998年に結成、

ご夫婦デュオのアーティストです⋯


自分が初めてハンバートハンバートの「大宴会」という曲を聴いたのは、父が亡くなる前年の今頃だったと記憶している


父は、2015年に肺癌を患って手術をし、

その後 2022年に転移再発して、

2024年にこの世を去るのだが⋯


2023年春に左肩皮下の腫瘍除去手術をした際、

執刀医から短くて一年ぐらいとの説明を受けた時に⋯

「親父も、亡くなってしまうんだな⋯」と、

ふと思ったのを覚えている

永遠の命なんて無いのだから、

当然と云えば当然なんだけど⋯

いつか来る最期に 心の準備が出来た気がした


それから抗癌剤治療の付き添いや

急な医師との面談など⋯

多い時には 月に2、3回

実家に帰ったり、病院に行ったりと⋯

電車で帰省することもあれば、

カーシェアで車を借りて帰ることもあった


そんな時、車のラジオから

ハンバートハンバートの「大宴会」が流れて来た⋯


歌詞の内容は、

ある亡くなった故人(男性)の通夜の席で、

故人自身があれこれと楽しげに、

通夜の様子(宴)を伺っていると云うものである⋯


この曲を聴いた時に、

うちの親父にピッタリの曲だなと思った⋯


抗癌剤治療中に 親父は、

必ず 帰り際になると 

「父さんが死んでも、

 何ぁ〜んも悲しむことはないからな⋯」と言って、自分を送り出してくれた


亡くなった時は「悲しみ」は まったく無く、

物理的に存在しなくなる

「寂しさ」の方が強かった⋯


酒を酌み交わすこともなくなる⋯

親父の小言のような

政治論や経済論が聞けなくなる⋯

そんな事の「寂しさ」


何とか亡くなる一週間前に、

長年音信不通だった自分勝手な妹、

そして甥っ子達(父母からみて孫)や

その子供(父母からみて ひ孫)の顔も見れ、

親父の通夜は「大宴会」ほどではないにしても、

そこそこに楽しい“宴”になったことだろうと想う⋯



ハンバート ハンバートさんご自身の

YouTubeチャンネルで、フィドル(バイオリンの英称)とボーカルのみの動画がアップされているのがあるのだか⋯

それが とてもシンプルで、

ストレートに“こころ”に訴えかけるのである⋯



●甲斐バンド武道館ライブ参戦後記〈その1〉追記


11月21日(金) 生放送の「セイ・ヤング21」にて、

リスナーさんからのお便りを受け、甲斐さんとラブリー・パートナーの松藤さんが、上京されてから過ごされた高円寺での思い出話しをされていた時に、メンバー4人で住んでいたマンション名を公言されているのを聴き⋯


あれ!?  

そんなに 、

あっさりと公表しちゃうの!!(笑


いやいや、甲斐さん!!

そのキーワードが一番欲しかったんですけど!と、

ラジオの中の甲斐さんに

ツッコミを入れてしまいました!!(笑


とは言え⋯

甲斐さんの口から正解が聴けた嬉しさと、

真の意味で聖地巡礼が達成された満足感で、

いま一度 あの時の喜びを感じました!!



なかなか東京遠征が出来ない自分のようなファンで、まだ高円寺のマンションを訪れたことがないと云う方は、ぜひ!?

次の機会に行かれてみては⋯と思います!


近年 外壁の補修塗装がされたのか!?

築年数54年とは思えないほどの美観なのと、

キチンと耐震補強工事も施されていて、

まだまだ “聖地巡礼”に間に合いますょ!!(笑


※聖地巡礼の際には、

くれぐれも マナーを守りましょう!!

今回の席位置は、

本編のブログでも書いていますが…

1階スタンド席

甲斐さんのマイクスタンドが真正面の

“着席指定席”でした


真正面と云うのもあるのでしょうが…

ステージ全体とアリーナ席が一望でき、

武道館 独特の形状もあってか、

真上にあたる2階席を除き、

かなり広角で会場全体が見渡せて、

“初”武道館の雰囲気を十分に堪能させて頂きました


すぐ間近に、WOWOWさんのセンター・カメラや

撮影に関するデジタル周辺機器類があったり、

場内の左右に設置された大型モニターも“真正面”から見て取れたりして、なかなか興味が尽きない席位置だったと思います


“着席指定”のせいもあってか…

いつものようにライブに参加していると云う感じではなく、3Dや4Dシアター的な とてつもなく臨場感のあるライブ・ビューイングを観てると言った方が合ってる席でした(笑


全国各地からファンの方々が参戦されてたんだと思いますが⋯

幕間には“甲斐コール”もあり、

やはり“東”へ来たなという感じがしましたし


甲斐友さんのお話しでは、この日の為に海外からも 馳せ参じられた方もいらっしゃったとか!?


今回のライブ、

本当にライティングの美しさを実感しました


“冷血(コールド・ブラッド)”の一閃一閃の光の筋が近付いてくる緊迫感は、ある程度ステージからの距離がある方が良いと感じましたし⋯


ライティングとカメラ・アングルの計算された演出なのか?


甲斐さんを包み込むように⋯

或いは、

甲斐さん自身がオーラを放ってるかのように⋯

薄い虹色のリングが、

時折 大型モニター画面の中央に映し出され、

神秘的な感じがしました


そして、最後はやはり

“100万$ナイト”での

ミラー・ボールですね⋯


武道館の形状が成せる技でしょうか!?


あの降りそそぐ、数多の光⋯

感動のあまり、言葉を無くしますね⋯


この後“熱狂(ステージ)”が流れる中⋯


『天井には【Kai Band】のロゴが映し出され、


多くのファンが スマートフォンを掲げながら、


その光を

ペンライトのように振っていたそうですね⋯』



“⋯ですね”って、どういう事!?(笑


自身は帰りの新幹線の関係で、

熱狂(ステージ)が流れると、

直ぐ武道館を後に、猛ダッシュで九段下駅まで!!

運良く!?東京メトロが少し遅れていたこともあり、到着した電車に乗り込み、東京駅へ⋯💦💦


何とか新幹線に、間に合いました💦💦

新大阪からの在来線の終電を気にしなければ、

もう少し終演後に、

甲斐友さんとも

お話しが出来たかも知れませんが⋯


最後 、お顔を合わすことなく、

ご挨拶がLINEとなった甲斐友さま⋯

大変 失礼致しました💦💦

今回のライブ参戦で、

東京を訪れたのは11年ぶり!?


40周年のアニバーサリー・ライブの東京国際フォーラム以来である…


前回 訪れた時は、まだ東京駅の八重洲側は、これから開発工事が本格的になろうかとしていた頃で、東京駅構内の地下通路などは あちこち白いシートで覆われいたように記憶している


東京駅に着くや、直ぐさま “ある個人的な目的”で 東京メトロで 新高円寺駅へと向かった


ここまで書いたら…

甲斐バンド ファンの方なら、

お気付きになったかも知れない…


そう!

“聖地巡礼”!!


前回の時は、過去に一度訪れたことのある場所

“あの伝説の地”を甲斐友さんにお願いし、

ご一緒に聖地巡礼をお付き合い頂いた…

あの伝説のライブ

“THE BIG GIG”が開催された“新宿 都庁”に…


今回も、

50周年に相応しい場所を聖地巡礼しようと…


“甲斐バンド伝説の始まり”


“甲斐よしひろ”の原点が生誕から上京までを過ごした福岡 博多にあるのなら、“甲斐バンド”の原点は メンバー4人が上京して過ごした場所なのでは!?と云う勝手な解釈で あの場所を…


甲斐さんが ご自身のラジオ番組「レジェンド:ビート・ハードワーク」で、“新高円寺と東高円寺の中間辺り”と仰っていたのと…

あと、過去に訪れたことのある甲斐友さんに遠い記憶を辿って頂き、そのヒントを頼りに、実際に辿り着けるのか行ってみた(笑


ちなみに、この時点で

マンション名は不明のままです⋯


13:26 東京メトロ“新高円寺”駅に到着

改札を出て 地上に出ると、青梅街道を環七方面へ、

それらしき建物を探しながら、歩を進めた…






うーん、一見しただけでは、それらしき建物が 幾つもあり、気がついたら いつのまにか環七に!?






ここで、甲斐友さんから“聖地巡礼”の進捗状況の確認のLINEが…


開場時間などを考慮し、

今度は 同じ道を新高円寺駅方面に戻ってみて、

これで見付けれなかった時は、諦めようと…


甲斐バンドの“あの曲のタイトル”

その目印である“目的物”を慎重に探しながら…


かなり ゆっくりと、

入念に通りを覗き込みながら 歩いていたら…

ん!? あれかな???

それぽっいなぁ…あの形状!!


妙に気持ちが高鳴る…


少し通りを入ると、

その“目的物”の全容が見えてきた!!


これかな!?  ここ!? ここかぁ!?


〈注〉まだこの時点では、この建物がメンバー4人が過ごしたマンションという確信はないです(笑


現在お住まいの方もいらっしゃいますので、敢えてマンション名は記しません

ライブを前にして、住人の方から不法侵入などで通報されても困るので💦、マンション内に足を踏み入れることは一切せず、その曲のタイトルになった“物”だけを記念として、写真を1枚だけ撮らせて頂きました


それなりに良い時間になっていたので、

早々に 本来の目的地である “武道館”へと向かった…


甲斐友さんに聖地巡礼の報告をと、

“目的物”を撮った写メとマンション名を

LINEで送ると…


甲斐友さんから、

「〈マンション名〉そう そう」

「確か」

「〈目的物〉ビンゴたぶん」と返ってきた


この瞬間、聖地巡礼が達せられた気がして、

自然と笑みが浮かんだ⋯


念のため、大阪への帰路の新幹線内で、その“マンション名” “築年数”を入れてググッてみたら⋯


甲斐バンドのメンバーが上京する※年前の

“197※年完成 築年数5※年” と出てきた


〈注〉※印は、敢えて逆引きでマンション名が検索結果で出てくるのを防止するための配慮です


今回の目的 “達成” !ですかね⋯(笑










P.S

前回 ご一緒頂いた甲斐友さんのお姿も、今回 遠目ながら アリーナ席で見受けられ、相も変わらぬお姿に、安心致しました⋯


2025年11月8日 (土)

10:00に 新大阪 を出発し、

東京駅には定着時刻2分遅れの12:29に到着


この数週間、東京の週末の天気は 雨天ばかりで、

ライブ当日は どうなるんだろうと心配していたが…

甲斐さんの “お力(ちから)” もあってか、

曇天ながらも 雨が降ることはなかった


時間があれば、

ライブ参戦後記として書こうと思いますが⋯

“個人的なある目的”を済ませ、

東京メトロ 半蔵門線 九段下駅に到着したのは

14時30分を少し過ぎたあたりだった


田安門をくぐり、

武道館へ向かって歩いている途中

奇遇にも 甲斐友さん御三人に出会った


何なんでしょうねぇ…


見知らぬ土地で出会う面々に、

この安堵感って…(笑


「グッズの列が エライことになってる!」と聞き、

再会のご挨拶もそこそこに 

最後尾を案内するプラカードの前に並んだ…


15:35 

今回お目当てのTシャツを購入すると、

そのままVIP特典を促すアナウンスに誘われるまま、交換所へと…


先ほどの甲斐友さんと 少しのお喋りを楽しみ、

16:10頃に 1階スタンド席へ

甲斐さんのマイクスタンドが 真正面に立していた⋯


しばらく、武道館の雰囲気を堪能していたら、

ようやく 別の甲斐友さんのお姿に気付き、

ご挨拶をすることが叶った…


17:00

WOWOWの生中継が入ってるいるので、

定刻に開演するだろうと思っていたが…


そこは 甲斐さん⋯


自身の席から見えていたWOWOW撮影クルーの

機材に付されたデジタル時計が17:13 過ぎた頃、

場内が暗転した…


しばらくして、メンバーがステージに現れ、

個々の楽器を手に携える…


束の間の静寂


“翼あるもの”の軽快なリズムサウンド…


“甲斐よしひろ ”が颯爽とステージに現れると、

場内のファンは 一気にハイギアに入る


2曲目 の “三つ数えろ”では、

最後にブルース・ハープを 

思いっきり蹴飛ばす甲斐さんの姿があった

 

まさに 

“甲斐バンド” と呼ぶにふさわしい セットリスト


“カーテン”での一郎さんと稲葉さんの

ステージ中央でのギターバトル(掛け合い)は、

かつて 大森さんと一郎さんが見せたシーンが 脳裏を過ぎった


そして“冷血(コールド・ブラッド)”

ステージを流れる一閃一閃の光の筋は、

これまでの どのライブよりも美しく映えていた


アンコールの “ダイナマイトが150屯”  では

“甲斐よしひろ” の健在ぶりを誇示するに十分な

圧巻のマイクパフォーマンスを披露


この日 最後の 曲…


“100万$ナイト”


“甲斐よしひろ”が

全身全霊で魂の叫びを発すると…


それに共鳴するように、


“松藤英男”が満身創痍でドラムを打つ…


そして 、


“田中一郎”は


“大森信和 ” (Gibson ES-335)と共に、


武道館に哀哭を響き渡らせた…                                   

まさに “甲斐バンド” が、そこに在った…

そして、
あの日の忘れ物は、
一生に一度の忘れ得ぬ“経験”となった…


何から書いてよいのか⋯


まだ 熱気 冷めやらぬまま、

ブログを書き始めている


2025年11月8日(土) 日本武道館にて、

昨年から始まったアニバーサリーライブのクライマックス“KAI BAND 50th Anniversary 100万$ナイト”が開催された⋯


昨年、50周年の幕開けとなったライブハウス・ツアーが始まり、甲斐さんのライフワークとなっているビルボード・ライブ・ツアー、そしてホール・ツアーの日程が矢継ぎ早に発表される中で、ファンの間ではある“噂”が流れていた⋯ラストは“武道館”で演るのでは!?と


あくまで噂であって、それが現実になろうとは⋯


1986年 甲斐バンドのラスト・ライブ“PARTY”があったのは、高3だった

もしタイムマシーンがあったら、あの時の自分に「お前一浪するから、(大学)受験 気にせず、甲斐バンドのライブ行ってイイよ!」と言ってやりたいと⋯


自身にとって人生の忘れ物⋯


だから、

“甲斐バンド”が再び武道館で演ることがあれば、

必ず参戦すると いつの頃からか ずっと決めていた


その後、甲斐バンドが期間限定で一時的に復活し、

武道館でライブを演る機会があった時でさえ、参戦叶わずで、あの日の忘れ物は ずっと心の片隅に置き放しになったままだった⋯


あの日の忘れ物は、

全く 同じ物ではないけれど⋯

田中一郎さんのコラムが、最終回を迎える⋯


今回の内容は、

ファンにとって 

とても楽しみな事が書いてあった⋯


一郎さんらしい フライング!?

ネタバレ的な内容が⋯(笑


11月8日(土) 武道館ライブの追加席販売の告知もあったので、そこは問題無しなんでしょうね⋯(笑



あと、コラムの中で

こんなことが記されいました⋯


『50周年ツアーで全国を回っている時、

甲斐さんは「これからも、ずっとやってもいいんだけどね。 2人がやりたいって言うなら」とちょくちょく言っていました。 2人は何も言っていないけど、ずっと続くと思います。

生きている = 甲斐バンドをやることです。』

【博多っ子熱情 82話より】


我々ファンにとって、

こんな嬉しいことはないですね⋯


一郎さん、ありがとうございます!!


“Kai Band is still on the way and goes on to!”
















P.S

最終回まで、コラムをありがとうございました⋯


秋の夜長のせいか、懐かしい話もあれこれ⋯


そして、思いもせぬ 嬉しい風の便りもあり⋯


本当に、ありがとうございました⋯


現在、西日本新聞で掲載されている“聞き書きシリーズ”「博多っ子熱情」(聞き手:塩田芳久 氏)は、田中一郎さんの幼少期からの音楽との関わり合いを綴ったコラムである


現在 66話を迎え、当時の甲斐バンドの解散の経緯や真相が、一郎さん自身の言葉で語られているのが、とても感慨深い⋯


この回のコラムを読むと、甲斐さんは一方でソロ活動を始めていたが、やはり 甲斐バンドとして、まだまだ演りたいことがあったのだと思わされるのと⋯


甲斐バンドのサウンドに大森さんのギターは不可欠であり、甲斐友さんの仰るように、甲斐さんの大森さんへの尊敬、あるいは畏敬の念と云うものが 感じられる


「たら、れば論」は無意味なのは承知だが、もし あの絶頂期に解散なければ⋯

もちろん、そこには大森さんの体調不良も無いとの前提であるが⋯

甲斐さんは どんな曲を作り、甲斐バンドは どんなライブを演っていただろう⋯


2025年11月8日(土) かの武道館にて、

甲斐バンド結成50周年ライブツアーの集大成がある


甲斐さん、松藤さん、一郎さん

そしてファンにとっても、これは通過点あり⋯


まだまだ 甲斐バンドは、

これからも 走り続けると信じている⋯





P.S

いつも、コラム ありがとうございます⋯