新生活というと、4月から始まる新たな学生や社会人の為にあるような言葉だったはずだ。
今現状で言うと「感染リスクと共に生きる為の新しい生活」といったニュアンスが強く感じる。
ニューライフではなく、ニュースタンダード と言うらしいが。
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話は変わって、新横浜とか新百合ヶ丘とか新大阪とか 地名は英語にしても『Shin-Osaka』となるわけで、決して『New-Osaka』とはならないのが不思議だなと思いました。
それは、『食事』という言葉が『Eat-Thing』にはならず、『Meal』になるのと同じで漢字で分けるな馬鹿者と言われそうではあるが、、、
大阪と新大阪の違いを漢字を覚えたての外国人に説明するとしたら
「新しい大阪だから、ニュアンスとしてはニュー大阪なんだよ」
そんな具合にしか説明できないかなぁ。
と、ここまで考えてから「新(幹線が停まる)大阪」なのでは? と少し納得したのだ。
まぁ新百合ヶ丘には新幹線ではないがロマンスカーが停まるからセーフかな。
__閑話休題_____
他にも『ソーシャルディスタンス』や『三密』だったりと新たな単語が飛び交うがうちの都知事は呼び名に拘るのが好きですね。
しかしそれが悪いという訳でもなく、馴染みやすくも印象的な言葉を選ぶのは重要だと思う。
「適度な距離」と言われるよりは明確な距離感を提示したうえで「これこそがソーシャルディスタンスです。」と言われるとなるほど、印象的であるし話題に上がり、新たな『スタンダード』として認識されていくのだろう。
実際町に少し出るだけでその生活様式が大きく変わったなと感じる。
買い物に行くと、レジに並ぶ感覚が保たれ接客はフィルム越しで、金銭の受け渡しはトレーで行う。
公園のベンチや図書館の椅子は封鎖され滞在時間の短縮を求められる。
どこでもマスクと消毒液は見かける。
配送の荷物は対面で受け渡しの必要がなくなる。
さっき小腹がすいたので少しコンビニに軽い散歩がてら向かったら、小さな赤ん坊を抱えた夫婦が軽装で散歩をしていた。
いかにも買い物の雰囲気はなく近所から歩いていた装いだったので夜泣きが酷く出てきたのかなとも思ったが、
季節的にも暑く、マスクをしなければ世間的に出歩きづらい日中に散歩をするよりもずっと過ごしやすく、安心できる気もしたのだ。
私はその後買ったファミチキをすぐ開けて食べ歩きながら帰路に就いた。
この食べ歩き、買い食いもそうだがとても好きなのだ。
行儀が悪いと言われればそれまでなのだが、あの解放感が好きなのだ。
登山に行った時に小休止でお菓子を食べる美味しさに似ている。
片手で食べられる手軽さや時間の効率性も魅力的な一因だ。
自分の趣向の説明はこの辺にして、
結局この行為も日中マスクマンがスタンダードな世の中では白い目で見られている気がして遠慮しがちになるのだ。 非常に心苦しい。
新しい生活様式はどこかで区切りがついてまたガラっと変わるのだろうか?
恐らくそれは無いと思う。
極度の不便があるかといったら 無い し、買い物の在り方や日々の過ごし方も少し我慢すれば良いだけなのだから。
そう。 少しの我慢。
この少しの我慢がいつまでも続くのかと思うと気分が悪くなる。
きっとこれが日本の悪いところであり、良いところなのだ。
「感染対策をしないことで批判されてしまうから」
「国や都が宣言をしたから」
保守的であることは美徳とされる傾向にあるし、米国のように多くの死者が増えて黒人が殺されたからと言って便乗して暴動が起きたりするよりずっとずっと良いことに違いない。あれは本質的にはコロナ騒動の延長だと思う。
そう。 ずっと良いのだ。
それでもやっぱり気持ちが悪い事には変わりないので、毎日もやもやしている日々でございます。
