NHK連続テレビ小説「マッサン」
いよいよ最終週、
第24週「人生は冒険旅行」が始まります。
昭和24年(1949年)お酒が自由販売になって半年、
マッサンが苦心の末作り上げた三級ウイスキーは、
「余市の唄」と名付けられ、安くてうまいと大好評であった。
それとともに余市町も有名になり、マッサンは余市の功労者として、
ラジオ番組にもに呼ばれりようになった。
そんななか俊夫は一人ある決意をしていた。
政春の実家・亀山酒造では杜氏も年配となり後継者に困っていた。
俊夫は広島に帰り政志の酒蔵を守りたいと考えていた。
俊夫はそれをみなに打ち明ける。
ところが熊虎は大反対し、親子の縁を切ると言い出す。
しかしハナに親子の縁を切ってもいいと言われ、
仕方なく認めるのだった。
俊夫たちの出発の日、なんと熊虎が、旅姿で現れる。
そして会津の町を案内すると行って俊夫たちと一緒に旅立つのだった。
それから12年が経った。
「余市の唄」に続き、念願の本格ウイスキー「スーパードウカ」も大ヒット。
三級ウイスキーと高級ウイスキーのどちらも売れ行きは好調で、
ドウカウイスキーの経営は安定していた。
マッサンはそれでもなお飽くなきウイスキーの探求を続けていた。
悟は北海道大学の大学院で醸造学を学び、
その後、正式にマッサンの養子となり、
ドウカウイスキーの後継者としてブレンド作業に取り組んでいた。
結婚した悟には2人の子供も生まれていた。
エリーは息子夫婦とかわいい孫に囲まれ幸せな毎日を過ごしていた。
そんななか、アメリカからロンドンに渡っていたエマが帰国。
エマの傍らには恋人でカメラマンのマイクもいた。
政春は戸惑うが、エリーは快く2人を迎えるのだった。
結婚はせず、同棲しているという2人の間柄に、
政春はちゃんと結婚するべきだと言う。
しかしエマは、お父さんとお母さんも結婚式を挙げていないのだから、
先にマッサンとエリーこそ結婚式を挙げるべきだと言った。
人生の岐路にいるというマイクに、
エリーとマッサンは「チャレンジ」と「アドベンチャー」の、
繰り返しだったこれまでの人生を話した。
だがその頃、エリーの体には異変が起きていた。
自分に残された時間があまり無いことを察したエリーは、
英語でマッサンに宛てた手紙をしたためた。
エリーからマッサンへの最後のラブレターである。
エリーの不穏を感じたマッサンは、
主治医の一恵先生にエリーの状態を確かめる。
そしてエリーとの結婚式を挙げることを決意した。
ウエディングドレスも誂え、結婚式の準備をするマッサン。
しかしエリーはそれを着ることなく旅立ってしまった。
エリー亡きあと、
マッサンは2日間一人部屋に籠って泣き続けた。
しかしエリーの最後のラブレターを読んだマッサンは、
エリーはいつまでも傍にいるとあらためて感じた。
そしてまた新たなウイスキー造りに向かって、
歩き始めるマッサンだった。
それから10年後の昭和46年(1971年)
マッサンの作ったウイスキー「スーパーエリー」が、
世界一のスコッチウイスキーに輝いた。
ドウカウイスキーで行われた授賞式の席で、
壇上に飾られたウイスキーの傍らには、
エリーの写真が飾られていた。
政春の耳には、
エリーが歌う「オールド・ラング・サイン」が響いていた。
その後マッサンは、
「スーパーエリー」を携えてエリーの墓を訪れた。
グラスに「スーパーエリー」を注ぎ乾杯するマッサンは、
このウイスキーが造れたのはエリーのおかげだと感謝した。
「エリー、ありがとう」何度も呟くマッサン。
そのとき、「マッサーン!」エリーの声が聞こえて来た・・・
そう、エリーはいつもマッサンの傍にいたのである。
完
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