朝ドラ「マッサン」野々村のモデルは、芝川ビルの芝川又四郎。 | 朝ドラ マッサン 余市町ブログ

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NHK連続テレビ小説 マッサン(朝ドラ マッサン)の情報やあらすじ・感想と、ニッカウヰスキー余市蒸溜所や余市町を紹介します。

朝ドラ「マッサン」
第7章「触らぬ神に祟りなし」が終わりました。

今週は、マッサンの家の家主、
野々村家のエピソードがメインでしたね。

実際の史実とは異なりますが、
この野々村氏に近い、モデルとなった人物が、実際に存在しました。
芝川又四郎という人物で、不動産事業を手広く行っていた資産家です。

芝川又四郎 野々村のモデル 芝川又四郎

芝川又四郎が、昭和2年に大阪市伏見町に建築した芝川ビルは、
現在もレトロ感溢れる商業ビルとして活用されています。

芝川家は、又四郎の曾祖父、芝川新助が、唐物商を興し、
欧米からの輸入品の商いで繁盛しました。
その後、又四郎の祖父・芝川又平が不動産経営に転じました。
又四郎も不動産事業を押し進める傍ら、建築事業にも力を入れました。

朝ドラ「マッサン」では、スコットランドから帰国後、
大阪で最初にマッサンが、エリーのために借りようして、
家主に外国人には貸せないと、断られてしまった洋館が出てきました。

しかし、実際には、マッサン竹鶴政孝が借りたのは、
リタのために、洋式トイレが設備された洋館でした。
この洋館は、住吉酒造のモデルとなった、
摂津酒造の社長、阿部喜兵衛が用意したもので、
この洋館の家主が、芝川又四郎です。
その後も、マッサンと芝川とは、家族ぐるみの付き合いがあり、
実際に、芝川の娘たちに、リタは英語を教えていたそうです。

そしてマッサンが、北海道の余市町で、
大日本果汁株式会社を設立した際には、
芝川又四郎は出資し、後のニッカウヰスキーの株主にもなったのです。

ちなみに、平成19年、芝川ビルの地下金庫室から、
木箱に入った1ダースのニッカウイスキーが見つかりました。
昭和2~30年頃に造られたウイスキーで、
株主への配当品だったと思われます。

芝川又四郎が、そこまでマッサンのことを応援していたということは、
マッサンとリタとの親交を通じて、マッサンという人物に、
なみなみならぬ信頼があったからではないでしょうか。

そして芝川又四郎は、マッサンのその人柄と確かな技術に期待し、
マッサンの事業を応援したのでしょう。

芝川ビル 外観 現在もそのまま残っている芝川ビル

マッサン1週間の感想のまとめ >>>


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