2011.3.11東日本大震災で被災した年
ほぼほぼ寝たきりかってくらい
引きこもってました。
初めての精神科にビビった年でもあり
薬の量もあまりにも多くて
今思うと本当に気持ちがやばかったんだなと
つくづく。
今は夜4錠しか飲まなくて済んでて
たまに、もしや❓って時に
安定剤を事前に飲めるくらいに😊
さて
わたしがくるみぼたんのヘアゴムを作り始めた理由をお話ししようと思いまして
ちなみに写真の父が、わたしの背中を押してくれました。
昔から本当にお父さんが大好きすぎて
今でも実家に帰った時は
一緒に買い物に行ったりします❣️
わたしは小さい頃から
父がいろんなところに連れてってくれて
父への反抗期はなかった
わたしがやりたいことはやらせてくれたし
反対された事はない
さてと
また話がそれました😱
被災した次の日
わたしは人生で初めて救助ヘリに乗りました🚁
宮城県東松島市野蒜から仙台にあります
霞の目駐屯地というところに連れてってくださいました
毛布1枚を貸してくださり
引きずりながらふらふら途方に暮れました
当時は髪の毛が長かったのと
髪をしばるものがないし
頭はかゆすぎるで
落ちていた輪ゴムで髪をしばりました
輪ゴムで髪の毛しばると
取るときにめちゃくちゃ痛い😱んです
でも、輪ゴムしかなかった
その輪ゴムさえも切れてしまった💔
【この経験からくるみぼたんのヘアゴムを東北被災地に送る活動を始めました】
大好きな姪っ子ちゃんが
いつも手伝ってくれます😍
大好きなTenbo期間限定ショップでも
くるみぼたんワークショップをさせて頂いたり
Tenbo✖︎tomoComoCo
コラボくるみボタンも販売させて頂いております
被災後にまず必要なのが食べ物
わたしが最初に食べたのは避難したかんぽの宿で出してくれた、ずんだもちクッキー1枚🍪
霞目駐屯地に着いてからの初食事は
真っ赤なリンゴ🍎でした
食べる物が整ってくると
衣類や居場所が必要となってきます
オシャレなんて二の次、三の次になります
生きるのにオシャレなんて必要ないの❓
そんなことはない
顔だって、頭だって洗いたいし
化粧水や乳液やお化粧もしたくなる
男性も髭を剃りたくなりますよね❓
それを感じたきっかけで
くるみぼたんを2011.6月から作り
送る活動を始めました😍
少しでも、笑顔になる時間が増えれば良いな
ただ、それだけです。
たいそうな事はなんにもできてません
最初は無心で始めたくるみボタン作りですが
2011.10月に、両親から福島のボランティアがあるから一緒に行かないかと言ってもらい
父がそこで提案してくれたんです
【くるみボタンヘアゴムを直接渡したら良いかもね😍】
【ボランティアさんには、1つ100円でも買ってもらえたら良いね😍】
初めての東北のボランティアは
まだまだ衣類や食べる物が必要な時期で
わたしと父は衣類をお配りする担当になった
そこにちょこんと
くるみボタンヘアゴムを置かせてもらい
現地の方々にお配りでき
喜んで頂き、お子さんは
かわいい❤️と言ってはしゃいでくれて
それが何とも嬉しくて
【生きていて良かった】
そう思えた時になりました。
その後、わたしは仮説内の他の担当を任せてもらえることになり、しばらくくるみボタンを父にお願いしていました
数時間して
わたしが戻ると
くるみボタンの横には1000円💴が😍❗️
もしかしてどなたかが買ってくれたの❓
わたしが父に聞くと
【お父さんからが置いたんだよって】
😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭
最初にくるみボタンを作るための資金をくれたのが大好きなお父さんだった❤️
これがきっかけで
わたしはゆるりですが
東日本大震災後の熊本地震、西日本豪雨、長野の台風で川が氾濫した地域、千葉での台風被害の後、ネパールやカンボジアの子供達にも届けてきました。
たいそうな事はできないけど
ゆっくりゆっくり
くるみボタン活動をしています😍
今年の3.11には
Tenbo鶴田さんが仕立ててくれた衣装を着て
被災した場所で撮影をさせて頂き
こちらの衣装のはぎれで
くるみボタンを製作中😃
東北の大好きな活動、プロジェクトの品々と合わせて、BASEにて販売させて頂いております
防災グッツにくるみボタンヘアゴムが
入れてもらえたらよいな❤️
衣装 #Tenbo #鶴田能史
カメラマン #イシヅカマコト
ヘアメイク #JyunyaHirota
https://tohokubutton.handcrafted.jp/







