最近、年かもしれない…、と考えることあり。


35歳までは特にそんなこともなかったのだが…





男性の平均寿命が78歳ほどであるこの時代。


標準偏差が分らないし、わざわざ調べる気にもならないので、


勝手に誤差範囲を平均から3%程度と考える。


ならば、75-81歳くらいでなくなっても平均の範囲内ということになる。




とすれば、俺の年齢はそろそろ人生の折り返し地点ということだ。


場合によっては、そんなもの、とっくに折り返してしまっているかもしれない。





だから、と言ってよいのかどうかは分からないが、


この1-2年で、急に、それまで全く興味のなかった結婚や、


家庭生活というものも多少なりとも考えるようになってしまった。






違う、そんなことではない。


不惑を数年後に控え、惑っているわけではない。




それも全くないわけではないが、


最近帰ってきて疲れ果てていると、


ベッドに潜り込むことなく、テレビを点けたままソファの上で気を失ってしまう事が


頻回になっていることに気付く。


疲れているし、眠いからしょうがない。


ただ、それと意図せずソファで眠ってしまうと、


①疲れが取れない


②何故だか、やってしまった気がする


③むしろ首回りや体が異様に疲れてしまう






そして、こんな時間に目を覚まし、やれやれと思いながら、


前日の片付けと、本日の準備を始めることになる。





では、シャワーでも浴びてこよう。

昔、一緒に学んでいたヤツら、


その中には、医学部に進んだヤツと


法学部に進んだヤツが


少なくない。


今回は、法学部に進んだ人々に、


以前聞いた事柄からのインスパイア。








法曹を志す人にとって、


「神」と呼びたくなるほど(?)名を知られた人物として、


「伊藤」先生と言う方がいらっしゃる。





平仮名で書くと、


「いとう まこと」先生だ。






何故、平仮名で書いたかと言うと、


そちらの世界に少しでも接触したことのある人には分かると思うが、


司法試験受験界において、高名な伊藤先生は


二人いる。






一人は、司法試験受験界の雄、「伊藤 真」先生。





もう一人は、


民事訴訟法の重鎮、「伊藤 眞」先生である。








学問的に法学を学ぶ人にとっては、眞先生は神であるし、


学問としての法律なんてどうでもよく、


司法試験合格至上主義の人にとっては、


真先生は避けては通れない人物だ。






なんだか、自分で書いてても面倒くさい文章だな。







何故に、今回こんなことを書いたかと言うと、


色々ブログを見て回っていると、


結構、「伊藤真」信者が多いなという感想を抱いたから。








別に非難している訳ではない。





法曹を目指す者にとって司法試験合格は、


第一義に考えなければならないものだし、


真氏は司法試験受験のプロなのだから、


そのプロに寄り添うのは当然のことであるからだ。






ただ、感じたのは、


ある種のツールとして伊藤真氏を信頼しているのではなく、


単なる信者になり下がっている人々も少なくないのが事実。








重ねて言うが、非難している訳ではない。


そんな考えは毛頭ない。











簡単に言うと、


単に、羨ましい、それだけだ。







ある意味、自分の頭で考えることを放棄し、


見ず知らずの他人に、


そこまで依存し、心酔できることに対してだ。











まったく、羨ましいな、


自分の人生を誰かに丸投げできるって。





俺は、毎日を過ごすだけで精いっぱいだ。


ヤクザのチャンバラみたいなもんだ。


無我夢中で毎日が過ぎていく。









日本語の理解力が低い人のために、


三度言おう。


この文章は、「伊藤真」批判ではない。


当然、「伊藤眞」批判である筈もない。





もし、批判が存在するとすれば、


ろくに自分の頭で考えることもせずに、


他人の意見に盲目的に同調する人間に対してだ。







オウム事件のときに分かっただろ!?


自分がエリートだと勘違いしているやつに限って、


自分の「感覚」に疑問を持たずに盲信する。





ただでさえも法学部に行く奴なんて、


たいして頭の良くない輩も多いんだから、


たまには、少しは自分の頭で考えてみろよ。






そうじゃないと、


どうせ、人の為とか言って法曹になっても、


結局は隠していた本音通り、


出世の為、金の為、名誉の為になって、


民意と乖離する結果になるだけだからな。






「親の為」、「人の為」になりたいなら、


介護士になる方が、余程文言通りだろ!?










俺?


俺は、金の為、自由の為、自分の為、


好きなように好きな仕事をやらせてもらうよ。






そこに偽善者はない、


自分の欲望に正直なだけ。




それが本音だ!






JOKER

少し前の、


ダイヤモンドだったか、日本版ニュースウィークリーだったか、


それとも日経系の雑誌だったか忘れてしまったが、


最近の小中学校では、


実家が自営業の子供たちにとって、


厳しい環境にあるとのことだ。





なんでも、一般家庭(ここでは自営業以外の職業と言う意味)の親が、


自分の子供に、


「自営業のところの子供と仲良くなってはいけない」


と教え込むらしい。





近年の不況で、継続的に大打撃を受けている


零細企業の自営業。


金銭的に余裕のない家の子供は、教育にお金をかける余裕がない。


だから塾にも家庭教師にもありつけず、


あまり成績も芳しくない。


成績が芳しくないから、当然、進学先も芳しくない。


そんなところへ行く生徒と自分の子供が仲良くなっても、


何一つ子供にとってメリットがない。


そういう理屈らしい。







勉強のできる奴と仲良くなれば、


付き合いの中で影響され子供も成績が伸びるかもしれないし、


万が一、将来相手が出世した時、そこで「友情」がモノを言うかもしれない。


そのように一部(?)の両親は、お考えということだ。







でも、これって、全くの考え足らず、


アホのアイデアだと思わないか!?





そりゃあ、一般論として金をかけた方が勉強できるようになる確率は


幾分か高くなるとは思うが、


塾に行ってもバカな子供はバカだし、


賢い子供は参考書を自分で読んでも、勉強のヒントをつかめるだろうよ。


実際、俺の大学にも結構自営業の息子がいたもんだ。


(俺も塾なんて行ってなかったし…)


まあ、時代が違うと言われれば、それまでだが。




それに、そんなバカ親達の大好きな


最近流行りの、坂本龍馬に出てくる、


武市半平太だって、饅頭屋の近藤長次郎だって貧乏だったろ。


(龍馬は、金持ちだけど評判のバカだったし、


 もし、『いや、龍馬は学問が苦手だったけど頭は良かった』と


 反論する奴がいるなら、

 

 それなら、龍馬は商人=自営業の息子(才谷屋、もとは造り酒屋)だから


 出来が良かったんだろう、と言い返してやろう。)




それに、本当に、


「出来の悪い子とは付き合うな」という考えが浸透しているなら、


お前のうちの子供だって、出来る奴からシカトされるんじゃないのか!?





だって、お前の子供だもの。

過去に会った男の中で、


口癖のように「忙しい」を口にする奴には


ろくでもない人間が多い。






それは主観的な印象だろう。


でも、いい大人の男が


仮に少々多忙であろうが、疲れていようが、


簡単に「おれ、忙しくてさ」なんて


多少なりともプライドがあったら口にできないんじゃないか!?






単なる美学の問題。


忙しくても、余裕のある振りをする。


時間がなくても、暇のある振りをする。


努力している姿や、苦しんでいる姿を表に出さない。


黙って頑張っていればよい。


自分自身の矜持の問題。






ハクチョウは、


湖面の下で一所懸命足を動かして


それでも表面は優雅に泳いでいるから素敵なんじゃないのか!?





しかし、最近は


アピール好きなヤツらが多いのが現実。


それほど忙しくも努力もしてない奴らでも、


アピール能力だけは旺盛だよ。




本来、努力なんて


陰でするものだろ!!







俺の考えは古いかもしれない。


でもそれは、さっきも言ったように


生きていく上での美学の問題。


生き方のスタイルの問題。








ちなみに女性は、


「忙しい」といっても、俺の中では許容される。


だって、それを許さなかったなら、


嫌な男に言い寄られた時の言い訳が


一つ減ってしまうじゃないか。




気に入った相手だけ、


いつでも暇だから相手をしてくれと


誘ってくれればいい。

だらだらと他人のブログを観ていたら、


「問診表で判断するだけなんですからね。

 薬剤師に権限をもっと割譲したらいいんじゃないでしょうか。

 薬剤師とへなちょこ内科耳鼻咽喉科開業医の闘いの構図。

 したら、医薬品卸もへぼ医者なんかほうっておいて

 より薬に特化した専門家に、専門性を生かして営業できて、

 仕事のしがいも増えるだろうし。

 薬品メーカーの営業マンしかり。

 ジェネリックも一般化してきたことだし、

 医師薬業界ひっくるめて大競争時代のはじまり~

 勿論、勉強熱心な薬剤師の一人がちです。結果は。

 無駄な藪開業医に支払う保険医療費が節約できるんですよ。」

と書いているバカがいた。




困ったな。


いい年して常識が解らず、とりあえず医師や教師、


公務員や政治家の悪口を書いておけば


知的な社会批判ができていると勘違いする、


自分の頭で考える事の出来ない役立たずが


世の中にはたくさん存在するんだ。





こういう奴は家の外に出ると、両目をつぶり、耳栓を2重に挿入して、


外界からの情報を一切シャットアウトしているに違い無い。


それ以外に、いい大人がここまで無知でいれるとは思えないからな。





こいつは、一般論を話しているつもりで、途中から急ハンドルを切るように


きわめて特殊な存在を説明しだして、一般論にすり替えている。







以下が、少しでも自分の頭で考えられるなら、


小学生でもわかる真実、および、論理の欠陥。




問診票を診察の補助とする医者 ⇒ 一般論


へぼ医師 ⇒ 一定数は実在するが、一部の存在 ≠ 一般論


薬剤師 ⇒ 薬剤を扱う専門資格を持つ人 ≠ 薬に特化した専門家


勉強熱心な薬剤師 ⇒ 薬剤師の一部 ≠ 一般論


勉強熱心な薬剤師の薬剤知識 << 臨床勤務する


        「勉強熱心な薬剤師」の薬剤知識 ≦ 一般臨床医の薬剤知識 





それで聞きたいのだが、


もし、このバカの言うように、薬剤師にすべて任せたとき、


薬剤のトラブルがあった場合には、誰が、どう対応するのだろうか?


薬剤師?


人体について知識がないのに!?


副作用に対する対応法も知らないのに!?


『あれ? ショックで呼吸止まりましたか?


 それなら最寄りの病院に勝手に行ってください。


 わたしは薬剤師ですから、薬は出しますがその後のことは専門外なので…』


こいつは自分の家族がこういう目にあっても、ニコニコ微笑んで、


そうですかと納得できるのだろうか。


できるのなら、これはこいつにとっての正論だと認めてやろう。





しかし一般常識的には暴論、


あるいは、単なる無知の寝言。


そして、こういう奴ほど、自分へのトラブルに対して口やかましく、


訴えるだの、ゴネるだの、クレーマーになるタイプの人間失格。







本当に、ブログっていい加減な放言が多いよな。


無知の無知ってたちが悪い。


こいつの上司さん、リストラしたくてもゴネるだけは一丁前だから、大変でしょうね。