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7/31、8/1亡母ネタです。

今日も亡母ネタです。


令和元年8/2は母の葬式でした。

8/1から不思議なことが始まります。


8/1

通夜葬式は会場を借りると100%決めていましたが借れなかったんですよ。


まず

葬儀早割に、入会していたためそこに電話しました。


そこから自宅や病院近くの葬儀屋が斡旋される仕組みのようです。


🔰生まれて初めて「葬式お願いします」と注文しました。


電話対応して下さった方は、不慣れでちんぷんかんぷんな方でした。


私の言葉で書くと

会場を借りて通夜葬式がしたい。一泊二日を注文するが


明日が友引にて火葬できません。

二泊三日でなければなりませんと言われる。


友引でも葬式火葬は出来ることを周知しておりました。


一泊二日を推しますが通じない。

一泊増えると料金が


プラス料金5万だったかな?いや10万だったかな?忘れた。


5万だったかな?安いコースは遺体は安置室保管となり葬式まで遺体と対面禁止。


10万だったかな?こちらは

部屋に棺祭壇付き遺体と二泊可。


(記憶曖昧)


車いすのぱぱちゃんと、

(後々判明する

精神が衰弱していました)なんだか変な


弟の様子をみながら私は喪主にもなりました。


200%葬式会場借りる予定でいましたが実家で通夜葬式を決意しました。


棺と小さな祭壇設置となりました。

(今となってはこれが大正解。良かった。)


母は帰りたがってましたから母の仕業だと思ってます。


(車いすぱぱちゃん(要介護2)を1人おいておくことはできず、


実家においておくことも出来ず。実家と住まいを


行ったり来たりしました。ぱぱちゃんを連れて行ったり戻ったりしました。今考えると大変でした。よくやれたものです。)


斡旋にて

きてくださった葬儀屋に


友引葬式火葬はだめと言われたことを

お話しますと


いやいや出来ますよと2つ返事で翌日火葬の段取りしてくださいました。

(これも良かった)


和尚様、弟、ぱぱちゃん(車いす)、私がどうにか座れる程度の広さでした。


父の仏壇がある部屋でした。

亡父も始終見守ってくれたのだと思います。

(これも良かった)


火葬場は、「友引」にて日が悪く

その日の火葬は2人。施設の職員が教えてくれました。


もう一方は私達と入れ替わりでした。

広い広い静かな施設(火葬場)は


貸し切り状態でした。

帰路は最寄りの駅までタクシーに乗りました。


助手席に私、後方に遺骨を抱く弟とぱぱちゃんが座りました。


間もなく駅に到着するころ

私は後方を向き3人で話をしてました。


弟が前を指さすので前を向きました。

あーら、いたづらに


母の愛車がグイグイ飛ばしてブイブイ前を走ってました。


シンクロニシティ!

🎊🎊🎊


それ見て安心しました!

(もちろんナンバーは違います)


30秒だったでしょうか1分くらいだったでしょうか。前を走ってました。


忙しそうにみえました。

「これからお父さん(旦那)の所に、行くのよ」って言ってる、感じがしました。


母は迷子にならず父の元へ愛車で向かってるのだなと思いました。


勝手に私が、作り上げた話にはなりますが

この、タイミングで


シンクロニシティ(愛車)は私にとって

不思議な体験でした。


それから

その後、(100日でしたか?)


納骨式を終え母の実家訪問(長男宅)、祖父母の墓参りを終え


帰路の途中にまたまた母の愛車が現れたのです。


シンクロニシティ

🎊🎊🎊


10秒くらいでしたが驚きました。

ちゃーんと


父と同じ納骨堂に入ったんだなって思いました。私はちゃんと母を父の元へ連れて行けたのだなと安心しました。


母は、

郷に戻ってきたのでみんなに挨拶回りしてるように思いました。


懐かしかったでしょうね~


このエピソード

私には宝物です。


今日も庭ガールのつぶやきを聞いて下さり有難う御座います。


母よ

私は大丈夫。

あなたの好きなように自由に遊びまわりくださいね。いつも仏壇にそう伝えてるんですよ。


では、またね~🐼