こんばんは!
今週も
『大切な人と本当の関係を築く
週1回のLove Philosophy』
にお越しいただきありがとうございます。
毎週末、恋愛・夫婦関係、人間関係を
様々な角度から見つめ、
少しずつ良くしていく記事を
お届けしています。
『人間関係に不満を生む
日本語に注意!
恋愛・夫婦関係、
友人・家族関係で
注意が必要なことばとは?』
私はイギリスの公立学校等で日本語を教えていた教師歴が
過去に数年ありますが、
日本語を教えることは
とても面白いことです。
色々なクラスを持ちました。
日本語検定1級以上のクラスで
江戸時代の文化について、
なかなか日本人も読まないような書籍を中心に
教えることもあれば
まだ「こんにちは」さえ知らない
全くのビギナークラスを持つこともありました。
個人的には
完全ビギナークラスを持つことが
一番好きでした。
なぜなら、ゼロから何も知らない世界に入って行く独特のドキドキ感や感動があるからです。
また、上級レベルになると、
勉強のモチベーションや目標がしっかりと定まっていて
先生がどんな先生であるかということには、あまり影響されず勉強が進んでいきますが、
完全なビギナークラスでは、
先生の手に
彼らの未来が大きく左右されます。
「すごい!面白い!
もっと勉強して日本や日本語のことを知りたい!」
と、はじめの授業に感動して日本語をスタートすることになれば
その人は将来、仕事や友人を通して
日本と大きなつながりを持つことになるかもしれませんし
「なんか難しくてつまらなさそう。
なんとなく日本語を選んだけれどやっぱり他のクラスにかえたいな」
と、はじめの授業で感じてしまえば
一瞬にして日本とのつながりが消えてしまいます。
とにかく、フランス語とかスペイン語のように
たくさんの人が選ぶ言語ではないから
なんとなく日本語を選んでくれる人の存在が貴重です。
大きなサプライズと感動に出会って
楽しさを感じてほしいと、
教える側には力が入ります。
そんなビギナークラスの日本語授業の流れの中で
必ず生徒がびっくりする授業が
あります。
動詞の勉強に入って
まもなくの頃です。
Give の動詞とReceive の動詞をセットで勉強するときです。
この「Give」と
「Receive」の授業では
他の動詞を教えるときとは違って、
これだけのために授業時間を全部使ってしまいます。
なぜなら、このGive とReceiveには
日本語では動詞が3つも存在するからです!
その3つとは
「あげる」
「もらう」
「くれる」
です。
これは外国人にとってかなり衝撃的な授業です。
どうしてGive と Receiveが
単純に2つではなく
3つになるのか。
ややこしいといったらありません。
この3つの動詞を
間違えずに使いこなせるようになるために、
まず、この3つの動詞の使い方を教えます。
「あげる」と
「もらう」は
英語と変わりありません。
主語が「私」のときに、
I give ~ (私は~をあげる)
I receive ~(私は~をもらう)
と使うことができます。
問題は
「くれる」です。
「くれる」という動詞を使う時は
主語は「私」以外の誰かです。
「私は~をくれる」とは言えません。
私以外の誰かが何かをくれるのです。
さらに、「くれる」を使うとき、
受け取る人間は、「私」か、
私以外の「家族や自分にとって近い存在の人」に
限られています。
「先生は私にプレゼントをくれた」
こう言います。
そして、たとえばプレゼントをもらったのが自分の妹だった場合も、
妹は自分の家族のひとりで
自分に近い存在なので、
「先生は妹にプレゼントをくれた」
と言えます。
しかし、
自分にとって、存在の遠い人、たとえば先生にプレゼントをもらったのが、ジャスティン・ビーバーだった場合は、
「先生はジャスティン・ビーバーに
プレゼントをくれた」
とは言いません。
そう、
これははじめて学ぶ人にとっては
とても難しいことばなのです。
なぜなら「くれる」は、
人間関係の中の自分の立ち位置からの目線で選ぶことば
だからです。
英語や殆どの他の言語では
誰があげようと、giveであり
誰がもらおうと、receiveです。
ところが日本語は、
それを誰が使うかによって
使えるようになったり使えないようになったりもするのです。
「あげる」
「もらう」
「くれる」
は、さらに他の動詞とくっついて、
このような人間関係の見える文章を展開していきます。
「してあげる」
「してもらう」
「してくれる」
「作ってあげる」
「作ってもらう」
「作ってくれる」
「言ってあげる」
「言ってもらう」
「言ってくれる」
・・・・・・・・・
限りない数のことばが生まれますが
私達日本語ネイティブの人間は
このような
「あげる」「もらう」「くれる」が
出て来るたびに、
その背景と状況をちゃんと理解することができます。
私達は特に何も考えずに
これらのことばを
使いこなしています。
しかしこれらは
多くの意味を含みます。
たとえば「あげる」を含むことばは、
使い方によっては
恩着せがましく
自分の行いに対する執着を表すことばにもなります。
人間関係の中で
必要以上に「~してあげる」を使っていませんか。
「私はいつも
ご飯を作ってあげている」
「私はいつも大事なことを
教えてあげている」
「私はいつも手伝ってあげる」
「私はあなたと一緒にいてあげる」
「私はあなたの話を聞いてあげる」
「あげる」を含むことばを使うとき
そこには「あげている自分」と
「受け取っている誰か」の
関係があります。
受け取る相手なしに「あげる」は、ないのです。
ですから、頭の中で考えるとき、
また、人と話すとき、
いくら無意識のうちに使っているとしても
「あげる」ということばを使いすぎると、いつのまにか
自分自身の労力と時間を
人のために「あげて」いるように
思えてくるでしょうし、
最終的に自分が何かをしてあげる側ばかりにまわっていることに気付くと、損をしている気分になるはずです。
そこからこんな不満が生まれます。
「私は毎日
ごはんを作ってあげているのに」
「私はいつも話を聞いてあげるのに」
「私は一緒に行ってあげたのに」
もしはじめの段階から何かをしてあげているという
見方をしていなかったら、
このような不満は少なくなるでしょう。
「ごはんを作ってあげた」
のではなく
「ごはんを作った」のであったら、
「一緒に行ってあげた」
のではなく
「一緒に行った」のであったら
後々、自分はあげるだけあげて、相手は受け取るだけ受け取ったという気はしないはずです。
人間関係に不満が多い人は、
「あげる」を使わない考え方や行い方をすれば
人間関係がもっとフェアなものになり
『自分は自分の意志でそれを行った』
『何も損はしていない』と
感じることが
できるはずです。
「くれる」はどうでしょう。
「~してくれない」ということばは、
「私の立場」から見たことばであるために、
とても主観的な不満に聞こえます。
実際に「~してくれない」というのは自分が、受け取るにふさわしい分、
受け取っていないことに対する不満です。
「彼が電話をしてくれない」
「彼は時間に来てくれない」
「夫が家事を手伝ってくれない」
「夫は育児に協力してくれない」
これらは、
とても主観的な響きを持っているので
どうしても話し合いの場でこのような言い方をすると、
不満をぶつけるように聞こえてしまいます。
これを
「彼は電話をしない」
「彼は時間に来ない」
「夫は家事を手伝わない」
「夫は育児に協力していない」
に言い換えると、事態は一気にクリアになり、
一方的な不満ではない、事実を語ることばになります。
考え方にしても
話し方にしても
「あげる」や「もらう」「くれる」を
使いすぎると、それは物のやりとりと同じように
価値のあるものの行き来を表現するようになってしまい
何らかの形で不満を生むことになるのでは、と
私は思います。
私達日本人も、これらのことばを使うときには、
語学とは別の意味で、
十分な注意が必要です!
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